第3話

 飲食店やバーが並ぶ夜の路地に多くのアバターが往来している。


 そこは『グロウバレー』と呼ばれる夜の東京の繁華街をモチーフにしたパブリック・ヘヴンだ。


 ヘヴンへの出入りを行うエントリーゾーンは、ヘヴンの端の方に設定されることが多く、園川と玲奈がいる場所も中央からは外れたエントリーゾーンのひとつだ。


 そのとき、園川は路地の奥の方から響く怒声に気がついた。どうやら喧嘩でもはじまったようだ。


 一方はいかついスキンヘッドにサングラスの不良軍人めいた男。それに対し、もう一方には金髪を逆立てた男が立っていた。


 すると、園川のとなりで玲奈が言った。


「もうちょっと落ち着いたところにいきましょ」

「はい。……わかりました」


 パブリック・ヘヴンともなれば、ふとしたことで争いに巻き込まれることもある。不用意に相手を傷つけても、自分が傷つけられてもペナルティがあるため、争いごとからは距離をとるにかぎる。


 大通りに出ると、中央街を照らしてそびえる『グロウタワー』が見えた。車は入ってこられないようで、そこかしこに人がたむろしていた。


 談笑する男女。大道芸人と観客たち。リングの上で格闘する者。ギターなどの楽器を演奏する者。路上バーで立ち飲みする者。


 夜闇の中、グロウタワーから降り注ぐ光を浴びて、多種多様なアバターたちの生命力が渦巻いていた。




 そんな中で、ひときわ異様な集団がいた。


 通りに面した広場に人が集まっており、その中央正面のステージで1人の男が演説していた。


 その男はダークグレーのスーツに短髪、山のような体躯をしており、いかにも剛毅な印象だが、その太い声は妙な丸みを帯びていた。


 両手で胸前に抱える水晶の塊が、その光景の異質さの仕上げになっている。男の手には四角く透明な水晶の塊のようなものがあった。


 園川の記憶によると、その塊は『クリスタル』と呼ばれていたはずだ。


 また、その集団のアバターの姿は様々で、年代もさまざま。スーツ姿から私服姿、動物や化け物じみたアバターなど、色々な種類があった。


 園川はその光景にめまいを覚えた。できれば関わりたくない集団だったからだ。


 玲奈はなぜか険しい表情をして、彼らを睨みつけていた。彼女にもなにかしらの因縁があるのか。


 ステージ上の大柄な男は言った。


「……ですので、本日は私たちの、いわゆる奇跡をご覧に入れます」


 すると男は目を閉じて、うつむき加減になった。水晶から光がほとばしり、低い振動音が響きはじめる。


 やがて男を覆うように、大きな人の形をした『なんらか』の上体が現れた。


 その巨躯の全てが透明な銀色の金属質で、背後の光景を透かしていた。


 男は続ける。


「この神の写し身は、我々が作り上げたものです。知恵と愛により、ヘヴンの人々と、ヘヴンの外の世界をも救わんがために、我々を見守ってくださるのです」


 にわかに群衆からどよめきが起こった。――ヘヴンの中であれば立体投影などは当たり前のことだが、それでも演出や男の語りなどに心動かされるものがあったのだろう。


 そのとき園川は、信じられない光景を見た。


 玲奈が舞台の上に駆け寄り、飛び乗り、スーツの男に向っていったのだ。


 そこで玲奈が右手を振り上げると指輪が光り、ぶうん、という振動音とともに青い刀が現れた。


「そんなもので、人々を惑わせるのは止めなさい!」


 と玲奈は声を張り上げて進む。


 人々はざわめき、スーツの男は険しい表情をしている。


 そのとき、群衆の中から黒い影が飛び出してきた。


 影は一瞬で玲奈の背後に近づくと、両手を走らせた。


 すると、玲奈の右手が刀とともにステージに落ちた。


 影は黒ずくめの忍者風の衣を着ており、顔には鬼神の仮面をつけ、右手に赤い刃の刀を持っていた。


 園川はその姿を見て、危うく声を漏らしそうになった。『なぜお前が、そんな仕事をやっているんだ』と。まさに彼は、園川たちから『影』と呼ばれていた存在だった。


 玲奈は右腕の付け根をおさえて逃げ、舞台から転げ落ちた。


 園川は群衆を割って近づくと、玲奈に手を差し伸べた。


「先輩、大丈夫ですか? とりあえず逃げましょう!」


 園川は玲奈をささえて群衆を離れ、街の外れへと走る。


 ヘヴンの中央から離れた外周にある、エントリーゾーンに行かなければ即時の離脱はできない。


 大通りを曲がり、視界の端の地図にもいよいよエントリーゾーンの緑色のラインが近づいてきたとき、目の前に先ほどの影がいた。


「そんなにかんたんに、逃げられるかよッ」


 と、影は近づいてくる。


 園川は傷ついた玲奈の前に立つ。


「とりあえず、玲奈先輩は逃げてください」

「ごめん。こんなことになって」

「いえ」


 そのとき、影は玲奈をじっと見て、なにかに気づいた様子で言った。


「まさか、あんたは……。いや、関係ねえな」


 次に影は園川を見ると、刹那の動きでなにかを投げつけてきた。


 園川はとっさに体をそらせて『それ』をよける。それは影のはなった黒いダガーだった。園川は影の奥の手のひとつの、この攻撃を知っていた。


 影はうろたえた様子で、


「な、なんで、そいつを避けられるんだよ……。誰だよ、オマエ……。くそっ」


 影は再び刀で斬りかかってきたが、園川は初太刀をいなし、間合いを詰めて影に体当たりをする。影が後ろに吹き飛ぶのを見て、園川は玲奈の手を引いて走り出す。


「待てよ! 許さねえぞコラ」


 と、背後から声が聴こえる。


 園川はそのまま路地をひたすら走り続ける。


 しばらくして振り向くが、影が追ってくる気配はなかった。――園川はにわかに安堵した。影はよほど油断していたのだろう。影からあの程度で逃げ切れたのは奇跡に近かった。


 やがて視界の端に「エントリーゾーンに入りました」という表示が出た。


 そこで玲奈は、


「もう、めちゃくちゃになっちゃったけど。……ここで起きたこと、黙っていてくれる? お互いに、その方がいいでしょ」

「……そうですね。ええ。わかりました」

「ありがと」


 玲奈は黙ったままうなずいて、蒸発するように消えた。ヘヴン・クラウドから離脱したのだ。


 こうして実地の業務研修は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る