第2-2話 中編1

◇次の日

昨日退院した珠希を交えて、今日は早速桐生法律事務所前で父と待ち合わせをした。

父は、昨日から泊りがけで資料を集めているらしく、事務所で落ち合うことになった。

「珠希は、もう退院して大丈夫なのか?」

「うん、まだ経過観察段階だけど、少しずつ男性や社会にも慣れていこうかなって。厳しかったら、すぐにおばさんにお迎え頼むから」

「そっか。無理だけはするなよ」

「ふふ、まこちゃん、お兄さんみたい」

「ふ、軽口が叩けるようになるまで回復したと判断しよう」

そういう珠希は、真琴の手を強く握っていた。恐怖をこらえているようだった。

「おーい、お待たせ」

父がエレベーターからエントランスに現れた。

珠希は、真琴の後ろに隠れながら、そっと顔をのぞかせて父を見ていた。

「うむ、早速だが事件の概要を説明したい」

父は、二人を刑事弁護ルームに案内した。


「早速だが、事件の概要を説明する。

3月28日午後9時頃、本田警部の自宅に侵入し殺害するという、殺人事件が発生した。そして、犯人は殺人を犯した後に、娘である珠希くんに、傷害した。そして、そのショックで珠希くんに事件当時の記憶がないと…

警察の捜査で、足跡、凶器の指紋から、近くの工場に寮暮らしをする被疑者、荒木克也あらきかつや(25歳)が逮捕された。また荒木の自宅を家宅捜索した際、被害者の血の付いた作業服が見つかった。動機は、荒木の傷害の前科だ。荒木は二十歳の時に仲間と、歩行中の大学生グループに因縁をつけ、相手に傷害を負わせた。

その事件の捜査をし、逮捕した刑事(デカ)が本田大翔警部だったというわけだ。

つまり、お礼参りだな。

ここまで強固な証拠がある。警察も検察も、荒木が犯人の筋を見込んでいて、起訴を決めるだろう。それこそ99.9%有罪となってしまっている」

話を聞いた真琴は考えこみ、珠希のほうは真琴にしがみつきながら、何故か挙動不審でいる。

「強固な証拠…99.9%有罪ねえ…だから、日本の刑事司法はダメなんだ」

「え?」

父が驚きを示す。

「警察の捜査をもとに、検察は都合のいい筋書きを作り、それを筋で有罪だと決めつけてしまう。

そして、そんな危険な起訴を、裁判所は事実として受け入れてしまう。

残りの0.1%に事実が隠されているかもしれないのに…」

「ほう、じゃあこの検察の筋書きのどこに、矛盾があると思う?」

「そうだな…この荒木さんは、本田警部のことをどのくらい知っているんですか?」

「どのくらいとは?」

「強さですね」

「強さ?」

公平は、息子が何を考えているのか疑問だった。

「なぜ、そんなことを聞く?」

「だって普通、警察官を殺すのに、包丁1本で挑もうとしますかね。ましてや、警察の大会で何度も優勝・準優勝の成績を収めえた“武の守護神”本田ですよ。家を調べたなら、そのくらいの情報も調べていると思いますが…」

「!! 確かに」

「あと、家なのも気になります。家の場合、見つかった際に木刀などの武器が近くにあり、殺害は困難かと思います。よっぽど、警察署からの帰りの無防備な状態を襲ったほうが合理的です」

「!!! そう言われればそうだな。だが、武器があるのを想定していない可能性も…」

「あり得ませんね。本田警部は、毎日時間の余裕ができたときに、しょっちゅう素振りをしています。家を調べるほどの犯人が、そんな目撃情報を把握していないとは考えにくいです」

「ねぇ、この調書に裏付けできるデータがあるよ」

珠希がそっと書類を、公平と真琴に見せる。

「当時の傷害事件の逮捕にかかる書類か。

被疑者荒木は、サバイバルナイフを持ち、本田警部補を威嚇。だが、本田警部補は警棒を振るい、サバイバルナイフを折り、更に小手を打ち、犯人を無防備に。殴りかかる荒木を軽くいなし、本田警部補は柔道の背負い投げで、荒木を無力化。その後も、仲間9名を柔道・合気道・空手を用い、無力化。本田警部補1人で、10名を逮捕…

え? 彼は人間ですか?」

「まぁ、僕ならこんな化け物に、包丁一本で殺そうとは思わないね」

「私も、無理かも…」

「ふむ…一理も二理もあるな」

「ね、0.1%の事実がありそうでしょ」

俺のこの数日の有罪バイアスに傾いていたのが、息子によって無罪に傾き始めた。


◇荒木家

荒木ゆかりと愛梨は、混和していた。

確かに、息子の克也は、少年時代に悪い仲間とつるみ、非行を行ってきた。でも、それはあくまで、少年の悪ふざけにすぎる程度で、決して関係ない人を傷つけることではない。ましてや、お世話になった警察官を、その娘の前で殺すなんて外道に成り下がったとは、親バカかもしれないがどうしても思えなかった。

「母ちゃん、俺は何もしていねぇよ」

息子が連行される直前、警察官に取り押さえられながらも、必死に叫んでいた。

その目には、嘘はない。

母親として、確信できる。

ニュースでは息子を、逆恨みの警官殺しと、酷く罵る。

数日前までは、お気に入りだったイケメンニュースキャスターも、平気な顔で息子を冤罪で糾弾しているようにみえ、TVが見られなくなった。

職場にも、謹慎命令を出された。働くことさえ、自由にできない。

家には、嫌がられせが続く。

家の壁には、『人殺し』『社会のごみ』『お前の家族も皆殺しにされればいい』など、散々ないたずら書きがされた。正義感を気取って、平気で石を投げつけられてしまう。

この国の刑事司法はやってもない罪で人を逮捕し、冤罪でここまで人生を追い詰められてしまうものなのか…

警察も検察も何度もお願いに行ったが、「忙しいから」・「善処はしている」と、歯牙にもかけない。

息子は、どうなってしまうのだろうか。

持病の胃潰瘍で、ますます胃が痛めつられ、心も体もボロボロだ。


◇柏木警察署面会室

荒木克也は、弁護士との面会に呼ばれ、面会室の席に着く。

アクリル板を挟んで向かい合うのは、実年齢より若く見える中堅弁護士だ。

警察も検察も一向に話を聞かない。「お前がやったんだろ!」の一点張りで、まるで岩に話しかけているようだ。荒木自身、少年時代は少年課に補導され、刑事の説教を受けていたが、彼らはもっと温かみのある連中だった。

どうも捜査一課(強行犯係)の連中は、荒く冷たい印象がある。

拘束されているのもあって、そろそろ気が滅入りそうだ。

俺はこのまま冤罪で殺人犯に仕立て上げられてしまうのだろうか。言いようのない不安が押し寄せる。

「おはよう、今日は君に大事な話が合ってきた」

弁護士は、いつもとは雰囲気を変え、話しかけてきた。

「家族の許可を取って、君の冤罪を晴らすために切れ者の助っ人をよんだ。参加されるか否かの選択権は、君にあるそうだ。

どうしたい?」

荒木はしばし黙って考え込んだ。

「なぁ先生、そんな切れ者ってことは、真相を、俺の無実を暴いてくれる可能性もあるってことだよな…」

「勿論、君が無実ならその可能性はあるな」

「分かった。先生、参加させてくれ!」

荒木は、一途の望みを協力者に託すことにした。


荒木は、面会室に再び呼ばれ、席に座った。

今度は弁護士以外もいるので、監視の警官が付いた。

目の前には、桐生弁護士の隣に座っていたガキが挨拶をする。

「こんにちは、桐生真琴といいます。よろしくお願いします」

「わ…私は桐生珠希です。よ…よろしくお願いします」

「ちょっと待ってくれ、弁護士さん。中坊のガキじゃないか!

天下の弁護士様が、ガキに捜査協力を依頼したのか?」

「言いたいことは分かる。だが、文句はこの面会を受けてからにしてくれ」

「まぁ、弁護士さんが言うなら分かったよ」

「ありがとう。申し訳ないが、桐生君達にも、もう一度事件のあった日の話をしてくれないか?」

「分かった。

あの日は仕事を終えて、酎ハイ飲んで寝たな。あの日は疲れていたんだろうな。酔いが回るのが早かった気がするし、よく眠れた。途中起きなかったからな。んで、起きたら次の朝になっていた。本当にそれだけだな。

んで、後日警察が来て、俺の部屋を家宅捜索したら、部屋の中から血の付いた包丁と、俺の被害者の血で塗られた作業服がでてきた。

でも、俺は何も知らないんだ」

荒木は、覚えている範囲で事件の概要を語る。

すると、さっそく真琴が切り出した。

「お酒は強いほうですか?」

「酒? なんでそんなこと聞くんだ?」

俺が不審がると、「いいから、質問に答えて」と、弁護士は指示を出す。まぁよく分からないが、答えてやるか。

「あぁ、強いと思うよ。いつも、酎ハイの後に、日本酒をロックで飲んでいるからな」

「じゃあ、あの日はどのくらいのお酒を飲みましたか?」

「確か、缶チューハイ1本」

「濃度は?」

「5%くらいだな」

「分かりました。

では、その日の仕事は、いつもと違っていたんですか?」

「いやぁ、変わらないな」

「毎日飲む薬はありますか?」

「毎日? あぁ喘息の薬と花粉症の薬だな。」

荒木は不思議だった。警察でも検察でも、今まで一度もこんな話をしていない。こんな話を聞いて、一体何がわかるというのだ…。

だが、こんなに自分の話を受けいれて聞いてくれたのは、初めてだった。

「そうですか…

では、本田警部について聞きます。

本田警部に恨みは?」

やっと、事件に関係ありそうな話に移った。

「恨みなんてあるわけないだろ!そりゃ、パクられたことに怒りを感じた時期はあったけど、あのおっさんの取り調べは温かいものだったし、有罪でも情状酌量だったし、仕事だっておっさんが見つけてくれたんだ。

俺の仲間もそうだ。あのおっさんのおかげで、取り返しのつかない所に行かずに済んだ。

親もセンコーも見捨てた俺らを、少年課の刑事(デカ)として、素手で本気でぶつかってくれた。

俺らが復讐でボコられてたら、夜中でも単身で駆けつけてくれた。俺らは困っていたら、いつでも警察署で話を聞いてくれた。

おかげで、俺らは大人を信じられるようになった。

俺らで本田のおっさんを恨んでいる奴なんていねぇよ。

それにな…一課の刑事から聞いたところによると、犯人は娘の前で殺したらしいじゃねぇか。俺には、到底そんなことはできない。

俺らが腹を減らしていれば、小学生だった娘さんは手料理を作ってくれた。家事の『か』の字も知らない俺らに、丁寧に家事を教えてくれたのだって娘さんだ。

俺は断じて、そういう人の思いやりまで踏みにじるような、外道に成り下がったりしない。」

「そうなんですね…父は、そんなに人望があったんですね」

「…もしかして、お嬢ちゃん、本田のおっさんの…」

「はい、本田珠希です。今は、桐生家に養子に入っています」

「そうだったのか…親父さんには、本当に世話になった。ありがとう!」

荒木は、涙ながらに深々と頭を下げる。

荒木はこの子の悲しみを考えたら、俺の無罪よりも先に、一刻も早く事件が解決してほしいと願いのだった。


3人は面会室を出る。

「動機がないとなると、ますます怪しくなってきたね」

「そうですね。父さん、私たちはこれから現場を見てきたいと思います。」

「分かった。じゃあ一緒に行こう」

真琴と珠希は、荷物をまとめ、駐車場に向かった。

それから数分で、タクシーの黒のクラウンが駐車場に到着した。


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