第32話 酒蔵の秘密

 「遅かったな」

 

 先に山の視察を終えていたらしい行雲は、扇家からほど近い集落にある蕎麦屋の店先から静かに姿を現した。

 

「挨拶して世間話をしていたらこのくらいかかると思うけど。山の方はどうだった?」

「何の異常もない。そっちは何か聞けたか」

 

 惣田は肩をすくめ、力なく首を振る。

 

「いーや。喋りたくない、そんな感じだったね」

「そうか」

 

 行雲は呆れたように短く息を吐く。何の成果もなかったことにがっかりしたのだろう。

 

(呑気におせんべいなんか食べてないで、お山のことや姫様の容体のことを聞くんだった……)

 

 使えない奴と思われていそうで、蒼葉は惣田の背後でしゅんと項垂れる。

 

「不満なら自分で行けば良かったのに」

「いや、お前が適任だった。それでも聞けなかったのなら仕方ない」

 

 行雲はふいとそっぽを向く。

 折角蕎麦屋の前で待ち合わせをしたのに、とてもこれから蕎麦を食べる雰囲気ではない。

 

 しかし、惣田は相方の機嫌を気にも留めず、にやっと笑って言った。

 

「言っておくけど、行雲は結婚の挨拶に緊張してかわやに籠ったことになってるから」

「どういうことだ」

「そのまんまの意味だよ。お腹が痛くなって大――」

 

 行雲が刀の柄に手をかけたのを見て、蒼葉は慌てて割って入る。

 

「ごめんなさい、旦那様! 私のせいなんです! 惣田さんが席を立ったのを誤魔化すよう言われて、腹痛だと説明してしまいました」

 

 あの時は上手く誤魔化すことができて「自分は何て天才なのだろう

!」と思っていたが、そんなことは全くなかった。

 挨拶の相手が仮の両親であっても、旦那様を下げる発言をするなど、良い妻にあるまじき行為だ。

 

 ついに呆れられ、行雲にまで出ていけと言われるかもしれない。彼の口がうっすら開いたのを見て、蒼葉はぎゅっと目を瞑る。

 

「原因を作ったのはお前じゃないか、惣田」

「原因を作る原因を作ったのは行雲だけどね。いい加減そういう態度直さないと蒼葉ちゃんに嫌われ――あっ、峰打ち希望します!」

 

 おちゃらけた惣田は結局、思い切り足を踏まれていた。

 以前もどこかで見たことのある光景だ。この二人は何だかんだ仲良しのようである。

 

「そういえば、惣田さんは何故酒蔵へ?」

 

 姫花の両親との会話に酒蔵の話が出てきたわけでもない。

 帰り際、軍への直帰を理由にお土産は断っており、お酒に執着があるようにも見えなかったので蒼葉は益々不思議に思った。

 

「ああ。酒蔵に少し違和感があって。近づいて確認してみたかったんだ」

「何があった」

「そんなに急かさないでよ。――蒼葉ちゃんは扇家にいた時、妖気や異変を感じなかった?」

 

 惣田の丸っとした猫目が興味深そうに蒼葉に向いている。

 

「うーん、特にないですね。私は惣田さんのように敏感ではないですし、酒蔵には近づくなと言われていたので」

 

 怪我をして偶然扇家に迷い込んでからのことを振り返ってみたが、思い当たる節はない。他の妖に出くわしたことも、妖気を感じたこともなかったはずだ。

 

(あれ、私、惣田さんに妖気が読めるって話したっけ?)

 

 最近、誰にどこまで素性を知られてしまったのか分からなくなってきた蒼葉は首を捻る。

 行雲はそのことを気にする素振りもなく、惣田に問いかけた。

 

「酒蔵から妖気が漏れてるということか?」

「正確に言うと敷地内の建物に関しては酒蔵からだけ、建物が自然と存在する気配? みたいなものを不審なくらい何も感じなかった」

 

 惣田はやはり、蒼葉よりも多くのことを感じられるらしい。

 

(私が惣田さんの気配を感じられないのと似てますね)

 

 建物の気配というのは蒼葉には全く分からないが、目の前に存在する物体の気配が感じられない時の違和感なら理解できる。

 

「だから近づいて確かめてみたんだけど、たぶんあそこは何かしらの結界で護られている」

「結界か……厄介だな」

「ふむ、結界ですか」

 

 行雲に続き、蒼葉も知った顔をして頷くが、これまで結界というものに出会ったことがない。

 自身も妖の一種とはいえ、変化できること意外は普通の狸と殆ど変わらないのだ。

 

「なんだけど、近づいてようやく分かるくらい、ごく僅かに妖気が漏れている」

「その妖気は山の妖と同一か?」

「恐らくは」

 

 一同の間に緊張が走る。会話の声は周りに聞こえないよう、自然と小さくなっていく。


 そこへ突然、蒼葉が「あっ!」と叫んだので、行雲と惣田はぎょっとした視線を向けた。

 しまったと思った蒼葉はできる限り小さな声で、しかし興奮気味に話し始める。

 

「そういえば、お二人が山の妖と戦ったあの日! 何だか酒蔵の方が騒がしかったんです!」

 

 妖狩りの二人は黙って顔を見合わせた。蒼葉は自分の失言に気づき、さっと青ざめる。

 あの時、居合わせたのはポン太であって、蒼葉ではない。

 

「ええと……私はあの日、お義母様に家を追い出されて、扇家に帰ってきていたんです。偶然そこでお二人をお見かけして……」

「その話は後だ。惣田、もう少し状況を整理してくれ。作戦を練りたい」

「はいはい」


 行雲は相方に指示を出すと、蒼葉にいつもの曇った眼差しを向ける。

 

「蒼葉は……」

「はい」

 

 何を言われるのかと思いきや、行雲は真剣な表情で言った。

 

「ひとまず蕎麦を食べて待っていてくれ」

「蕎麦!! ……でも、私だけ良いんですか?」


 蒼葉は喜びを抑えながら尋ねる。


 先程二人が顔を見合わせたのは、蒼葉の発言を不審に思ったことが理由ではなかったらしい。


「ここから先は俺たちの仕事だ」

「分かりました! お腹いっぱい食べて、戦いに備えます」

 

 ほっとしたらお腹がすいてきた。

 酒蔵への突撃に備え、腹ごしらえをすることにしよう。

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