第31話 身代わり婚のご挨拶

「わざわざ帝都の外れまですみません。今お茶を準備させますね」


 姫花の母は落ち着かないようで、先程から立ったり、座ったりを繰り返している。

 逆に父親の方は座ったまま、緊張で固まっているようだ。


 あの鬼婆の息子――それも鬼神と呼ばれる男が来たのだから当然の反応なのかもしれない。


「顔合わせの場に同席できず、ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした」


 座布団を外し、両手をついて頭を下げた男を見て姫花の両親はぎょっと目を見開く。


 父親が慌てた様子で「頭を上げてください」と言い、母親は呆然と蒼葉に向かって「とても優しそうな方ね」と呟いた。


(それはそうでしょうとも!)


 何故なら、蒼葉の隣で挨拶をしているのは行雲ではなく惣田なのだから――。


 口ぶりからして行雲が挨拶に赴くのかと思いきや、自分よりも相応しい人間がいると相方に身代わりをさせて、彼自身は山の様子を見にいってしまったのだ。


(旦那様ったら、もう)


 思い出すと頰を膨らましたい気持ちになる。

 宴会での一件からしても、確かに惣田の方が適任なのだろうが、蒼葉は行雲に居てほしかった。


 蒼葉は姫花の身代わり花嫁。惣田は行雲の身代わり花婿。なんともややこしい、化かし合いのはじまりである。


「この子は上手くやれていますか?」

「はい。ご存知かと思いますが、母がなかなか気難しい人で……。彼女は認められようとめげずに頑張ってくれています」


 まるで蒼葉が自分の娘であるかのように姫花の母が尋ねると、話術に長けた惣田も自然な返事をする。

 他愛ない世間話や身の上話をする間、蒼葉は机の真ん中に置かれた茶菓子をじっと見つめていた。


(おせんべい……)


 誰も手を付けないので食べて良いのか分からず、ぐっと我慢する。

 お義母様に厳しくしつけてもらったおかげで、少しは堪え性がついたように思う。


「そういえば先日このあたり出身の上官から聞いたのですが、裏の山は入るのを禁じられているようですね。何か理由があるのでしょうか」


 惣田がついに八滝山の話を切り出した。

 蒼葉は煎餅に向かってそっと伸ばしていた手を引っ込め、姿勢を正す。


「田舎によくある言い伝えですよ。子どもが山に入らないようにするためのね」


 姫花の父は一瞬目を見開いたが、すぐに人当たりの良い笑顔を浮かべて答えた。

 父親はがっしりした体つきのわりに、柔和な印象を受ける人だ。しかし、姫花によると仕事中は厳しく、怒ると怖いらしい。


「山に入ったら悪い龍に食べられてしまうぞー、とかいうやつですか?」

「そんなところです」

「何だ、そういうことでしたか」


 惣田はにこにこと笑って話を流し、代わりに何を思ったのか突然酒蔵の見学を申し出た。


 この前の宴会でもたくさんお酒を飲んでいたのでお酒が好きなのかもしれないが、酒蔵は姫花でさえ入れてもらえない場所である。


「酒蔵は繊細な管理が必要な場所なので……申し訳ありません。代わりに後で好きなだけ酒を持っていってください」


 姫花の父は頭を掻き、申し訳なさそうに眉尻を下げて言う。

 未だに百鬼の人間に怯えているのかもしれないと思い、蒼葉は事情を付け加える。


「そうですよ、惣……じゃない、旦那様。酒蔵は家族であっても女人にょにんや獣は入れない場所なんです」

「そうでしたか。何も知らず厚かましいお願いをしてしまってすみません」


 惣田は諦めたようで、お勧めの銘柄や扇という名でどうして酒屋を営んでいるかを尋ね、興味深そうに頷いていた。


 ここに居たのが行雲であれば、姫花の両親を凍てつかせるような発言をし、気まずい沈黙の時間が流れていた気がする。


 大して気遣いのできない蒼葉が一生懸命気を回す必要もなく、惣田が代役を務めたのは正解だったのかもしれない。


「蒼葉ちゃん、酒蔵を見に行ってくるからしばらく二人の気を引いておいて」


 惣田はそう耳元で告げると、突然手洗いに席を立った。


(えっ!? 惣田さん???)


 当分戻るつもりはないので、不信感を持たれないように誤魔化しておいてくれということだろう。


(どうしよう……何て誤魔化そう……うーん、うーん?)


 適切な言い訳を思いついた蒼葉はパッと顔を上げる。


「旦那様、緊張でお腹が痛いと言っていたので長い方かもしれません!」


 姫花の両親は目を丸くし、顔を見合わせた。


「あら。意外と繊細な方なのね」

「鬼神は一人で百の軍勢を倒したと噂に聞いたが、随分想像と違うな」

「旦那様が良くしてくれているので、向こうのお家でもなんとかやってけてます」


 これは本当のことだ。行雲が蒼葉を庇ってくれなかったら、お義母様とレイに追い出されたまま戻れなかったかもしれない。


 惣田が戻るまでまだ時間がかかりそうなので、蒼葉は「おせんべいでも食べて待ちましょう」と言い、ようやく茶菓子にありついた。

 

「姫様はお元気ですか?」


 バリバリごくんと食べてから、蒼葉は尋ねる。すると、母親の顔色がさっと曇った。


「……実はあまり容体が良くないの。日に日に痩せ細って、このままでは長くもたないわ」

「そんな……」


 姫花の父も、黙って俯いている。どうやら姫花の病状は深刻らしい。


 一目会いたいとは言えなかった。


 姫花の両親は得体の知れない化け狸が病気の愛娘に近づくことを良く思わないだろうし、蒼葉も大好きな恩人の死にそうな姿を見るのは辛い。きっとわんわん泣いてしまうだろう。


 蒼葉は煎餅をとる手を止め、目を伏せる。

 

「すみません、遅くなりました。皆さん、どうかしましたか……?」


 戻って来た惣田は暗い雰囲気に面食らっているようだ。


「旦那様、お腹はもう大丈夫ですか?」

「もう大丈夫、心配ありがとう。そろそろお暇しようか」


 結局、蒼葉は姫花に会わないまま、偽の旦那様とともに扇家の敷地を出た。

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