第28話 お見せしましょう狸の舞い!!

 部屋の温度が下がったように感じるのは気のせいだろうか。蒼葉はぶるりと体を震わせる。


「今のは岸辺中将に対して言ったわけではないですよ。な、行雲」


 惣田は孤立してしまった相方に助け舟を出したが、行雲は真顔で口を開く。


「いや、言葉通りの――」

「あのっ!」


 蒼葉は行雲の言わんとしていることを察して思わず口を挟んだ。

 今度は皆の視線が舞台脇に控える蒼葉に向く。


(旦那様を助けないと! でも、どうやって?)


 目の前にある踊りの小道具を見てハッとする。

 彼らはお上品な踊りではなく、愉快なものが見たいと言っていた。それなら蒼葉にもできそうだ。


「宴会芸なら私にお任せください! 皆様を楽しませてみせます!」


 傘を手にした蒼葉は胸を張り、一段高く造られた舞台の上に堂々と立つ。


 顔を強張らせて首を横に振る先生を見なかったことにして、「どんちゃん、ずどちゃん、ぼんぼこぼん」と化け狸の一族に代々伝わる唄を口ずさみ、とっておきの舞を披露した。




(ふぅ、やりきった……)


 息を切らした蒼葉が顔を上げると拍手喝采。

 軍のお偉方は酒に酔ったのか、とろんとした表情で手を叩いてくれている。


 先生や、控え室で冷ややかな視線を送っていた娘たちまでも顔を綻ばせ、手を叩いていた。


(あ、あれ……?)


 皆を楽しませると宣言したものの、まさかこれ程までに好評とは。

 異様に温まった雰囲気の中、行雲と惣田、そして彼らの上官だけが平常通りだ。

 

「これは……」


 部屋を見回して顔を顰める上官に、惣田は「そうですね」と言って困ったように笑う。


 蒼葉は彼らに「私、何かやらかしましたか」と聞きたかったが、口髭を貯えた男が手招きをしているではないか。


 中将と呼ばれ、この場で一番偉そうに振る舞っている人だ。無視はできない。

 蒼葉は恐る恐る歩み寄り、お膳を挟んで彼の前に正座する。

 

「度胸があるね、お嬢さん。気に入った。うちの倅の嫁に来ないか?」


 顔を赤く染めた中将は酒をちびりと飲んでそう言った。


「え、ええ? 嬉しいですが、私には旦那様が――」

「中将、彼女は百鬼の嫁なんですよ。今日は踊りの先生について偶然ここへ」


 いつの間にか背後に惣田が立っていた。

 徳利とっくりを手にした彼は膝をついて中将にさっと酒を注ぎ、どう振る舞って良いか分からず狼狽える蒼葉を助けてくれる。


「そうか。鬼神の嫁とは残念だ。何か欲しいものはあるか? 踊りの褒美に何でもやろう」


 困った蒼葉は惣田を見上げるが、彼は「好きなものを頼みなよ」と言わんばかりの優しい眼差しを向けるだけだ。


「それならえーっと、そこの海老が欲しいです」


 食が細いのか中将はお酒を飲むばかりで、お膳にはまだたくさんの食事が盛られている。

 蒼葉は中でも一番美味しそうな衣のついた大きな海老を指差した。


「なんだ腹が減っているのか。おい、この子に海老の天麩羅と何か食事を持ってこい」


 食器の上げ下げを行なっていた料亭の娘は「かしこまりました」と言って慌てて部屋を出ていく。


 ようやく食事にありつけると目を輝かせる蒼葉に、惣田が耳打ちをした。


(蒼葉ちゃん、中将に聞きたいことがあるんだ。話を合わせてもらっても良い?)

(分かりました)


 蒼葉はこくこく頷く。

 惣田は再び中将のお猪口に酒を注ぐと、偉い人相手にも物怖じせず、爽やかな笑顔で話し始める。


「中将は八滝山やつだきやまの麓にある扇屋をご存知ですか? 扇屋という名で、扇ではなく酒を造っている店です」

「ああ、あそこの酒は美味い。今でも時折取り寄せる」

「彼女はそこの娘なんですよ」

「そうか。同郷の出か。通りで親近感を覚える」


 中将は何やら納得したようだが、蒼葉の本当の故郷はもっと北の山で、今はもう獣の住める場所ではない。


 余計なことを言わぬよう蒼葉は口を閉ざし、惣田が話すのを見守った。


「あの地では、堕ちた龍神というのは有名なのでしょうか」

「何だ仕事の話か」


 中将は溜め息混じりに言うが、機嫌を悪くしたわけではなさそうだ。少し惚けたような顔で酒を飲み、惣田の話を聞いている。


(この前逃げられちゃった妖の話かぁ。あの山、八滝山っていうんだ)


 酒蔵と裏山には近づかないよう姫花に言われていたが、山の名前は初めて聞く。


「あそこには何度も足を運んでいるのですが、有力な情報を得られず……中将ほどの方なら何かご存知かと思いまして」

「田舎の人間はよそ者には話したがらないからな。その類の話なら、それこそ扇家の者が詳しいだろう」


 煮物をつまんだ箸で中将は蒼葉を指した。

 痺れてきた足を崩そうとしていたところだったので、ドキリと心臓が跳ねる。


「蒼葉ちゃん、何か知ってる?」

「私は山に近づくなと言われていただけで、詳しいことは知りません。……というのも、長いこと床に伏していたもので」


 蒼葉はへらへら笑って誤魔化した。


 丁度そこへ新たなお膳と座布団が運ばれてくる。なんと蒼葉のものらしい。

 大きな海老が二尾も載り、おまけにお刺身や御御御付おみおつけ、野菜の揚げ物までついていた。


「わーっ! 美味しそう!! 中将、ありがとうございます!!」

「安いもんだ。好きなだけ食べると良い」


 行雲の辛辣な発言により一時はどうなることかと思ったが、夜は愉しく更けていった。

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