第27話 空気を読まない旦那様

 美味しいものを食べてドンチャン騒ぐ宴会を想像していた蒼葉は、期待に胸を膨らませて踊りの先生に同行したのだが――。


 敷居の高そうな料亭に用意された控室の片隅で、蒼葉は置物のように固まっていた。


 それもそのはず。踊ることはおろか、何の作法も知らない化け狸なのだ。迷惑をかけないよう、静かにしていることくらいしかできない。


「先生はどうして何の役にも立たない初心者を連れてきたのかしら」

「百鬼家の縁者らしいわよ」

「ふぅん。とてもそうは見えないけれど」

 

 肌に白粉を塗り、華やかな舞台衣装に身を包んだ娘二人は先生の姿が見えなくなると、蒼葉に冷ややかな視線を寄越す。

 その後も陰口が続いたので、居づらくなった蒼葉は外の空気でも吸いに行こうと部屋を出た。


(えっと、出入り口はどっちだっけ)


 蒼葉が廊下をきょろきょろ見回していると奥の部屋から背の高い男が現れた。

 見たことのある茶髪に、見たことのある甘ったるい顔だ。軍服姿でなくとも彼は目立つ。


「あれっ、惣田さん?」

「蒼葉ちゃんはどうしてここに?」


 蒼葉は目を見開き、惣田は不思議そうに首を傾げて尋ねる。


 山の妖との戦闘で怪我を負ってからまだ二週間も経っていないはずだが、彼の腕に包帯は見当たらず、何事もなかったかのように普通だった。

 そして相変わらず何の気配もしない。


「私は踊りの先生に連れられて軍人さんの宴会に……もしかすると、旦那様も一緒ですか?」

「ああ、そういえば大佐が伝手で踊り子さんを呼んだって言ってたな。行雲もいるよ」

「ということは、もしかするとここに妖が!?」


 茶店での一件があったので、また潜入捜査をしているのだろうかと蒼葉は思った。しかし惣田は首を横に振る。


「今日の任務は妖狩りじゃなくてお偉いさんの接待だよ。俺は迎えに出なくちゃいけないから、また後で」


 惣田は人当たりの良い笑顔を浮かべ、ひらひら手を振って行ってしまった。

 ついていけば外に出られると思ったが、彼と入れ違うようにして先生が戻ってくる。


「蒼葉さん、そろそろ移動するので部屋に戻りましょう」

「先生! 私、お邪魔ではないでしょうか……格好もこんなですし」


 袴でなく着物に変化したことを除けば、蒼葉は化粧もせず、いつも通りの姿だった。


「貴女は隅でお道具を盆に載せて待機する役です。何か問題が生じたら、我々を呼びつけた者に責任をとってもらいます」

「は、はい」 


 先生は流派を無視して宴席に『呼びつけた人』のことをあまり良く思っていないようだ。語る時の口調が厳しい。


 惣田は行雲も来ていると言っていた。もしかしたら先生はそのことを知っていて蒼葉を連れてきてくれたのかもしれない。


◇◆◇


「芸者さんか。土居が呼んだのか?」


 宴会部屋に入ってきた壮年の男は舞台脇に控える蒼葉たちを見て言う。


 既にどこかで飲んできたのか、続いてぞろぞろやって来た男たちからはうっすら酒の匂がする。

 中には顔を赤らめている者もいたが、眼光は餌を狙う猛禽類のように鋭かった。


 今日は誰も軍服を着ていないが、ただならぬ強者の雰囲気から軍の偉い人たちだろうとすぐに分かる。


「たまには華やかで良いかと思いまして」


 そう言って重鎮を先に案内する中年男を先生はキッと睨んでいた。


 髪の薄い彼こそが先生の知り合いであり、流派を無視してここへ『呼びつけた人』なのだろう。

 そして席の並び順からして恐らく行雲の上官でもある。


(旦那様……!!)


 姿勢良く真っ直ぐ前を見て座っていた灰色髪の青年と目が合った。

 面白くなさそうに口をへの字に結んでいた行雲だが、蒼葉に気づくと僅かに顔を緩める。


 それから行雲はまた元の無表情に戻り、軍の偉い人たちと話す時も、踊りを見る時も、顔色ひとつ変えなかった。




「鬼神は噂通りの堅物だな。もっと飲め飲め」

「明日も仕事ですので」

「俺の酒が飲めないってのかぁ?」


 お偉いさんに煽られた行雲は、お猪口にたっぷり注がれたお酒を一気に飲み干した。

 人間というのは目上の存在には逆らえないらしく、惣田も同じように先程から何度も飲まされている。


(うーん、人間の宴会ってあまり面白くないんだな)


 無礼講で思い思いに楽しむ化け狸の宴とは大違いだ。

 部屋の隅で待機する蒼葉は勿論一口もご馳走にありつけず、先程からお腹がぐうぐう鳴っている。


 酔いが回り、調子に乗ったお偉いさんたちは、横についてお酌をしていた先生のお弟子さんたちにも絡み始めた。


「お上品な踊りも良いが、もっと愉快で盛り上がるやつを見てぇなぁ。どうだ姉ちゃん、ひと肌脱いでみないか?」


 周りの男たちは「そりゃ裸踊りってことか」とゲラゲラ笑う。

 先生のお弟子さんは顔を引き攣らせ、愛想笑いを浮かべていた。


「今度はもっとすごいのを連れてきますよ」


 行雲の上官は先生の方を一瞥すると、気まずそうに頭を掻きながらお偉いさんたちに向かって言う。


「馬鹿らしい」


 迷惑だと誰も口にすることができない状況を破ったのは行雲だった。

 騒がしかった宴席の場に静寂が訪れ、発言者に一同の視線が集まる。


 すっと冷めた表情のお偉いさんたちを見て、人間のことに疎い蒼葉でも行雲の立場が危ういことを悟った。

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