第24話 女郎蜘蛛

「チッ」


 飛び掛かってきた『何か』は光り輝く狸に怯んだのか、舌打ちをして一旦距離を取る。


「やだ、何これ、眩しい! どうなってるの!?」


 恐慌状態に陥ったレイは甲高い声で叫び、胸元あたりに飛びついた蒼葉を力づくで引き剥がした。


(いでっ!!)


 受け身を取る間もなく床に落ちた蒼葉は尻を打つ。

 慌てて体勢を整えようとしたところ、体に何か細いものが巻きついて、そのまま床からひゅっと視界が離れていく。


 数秒経ってからようやく、蒼葉は自分が糸に絡めとられ、逆さまの状態で宙に浮いていることを理解した。


「きゃ……んぐっ!!」


 レイの悲鳴が聞こえたと思ったら、彼女の口も一瞬でぐるぐる巻きにされてしまった。

 糸は女だった『何か』の背後から噴出され、体に生えた複数の細長い手がそれを操っているらしい。


 今ならはっきりと分かる。


 茶屋の店主と思われた女性は人ではなく、蜘蛛の妖怪だ。

 僅かに感じた血の匂いは人を食らった時のもので、人の気配の方が偽装だったのだろう。


 正体を現した今、人姿の時の美しい面影はなく、のっぺりした顔の大きく裂けた口からは鋭い牙が覗いている。


「下等な化け狸の分際で食事の邪魔をしよって」


 蜘蛛の妖は蒼葉に怒っているらしく、血色の悪い顔に皺を寄せて睨みつけてくる。それと同時に巻き付いた糸の束がぎゅっと胴体を締め付けた。


(あわわわわ!! 吐きそう!!)


 折角美味しいものをたくさん食べたのに、全て戻してしまいそうになる。


(い、痛いっ!! このままだと戻すどころか体が千切れる!)


 もうだめだ。そう思った時、蜘蛛女はさっと何かを避けた。

 その拍子に体を締め付ける糸が僅かに緩む。


(旦那様!)


 いつの間にか現れた行雲は高く跳躍し、床から壁に逃げた蜘蛛女を追撃する。


「何だ、戻ってきたか。下剤入りの茶は飲まなかったのか?」


 蜘蛛女は糸の束で行雲の刀を受け止めにやりと笑う。刀は通らない、それどころか糸に巻き取られてしまいそうだ。


「男の血肉に興味はないがまぁいい。お前もろとも始末してやる」

「よく喋る奴だな」


 刀に糸を巻きつけたまま床に着地した行雲は涼しい顔で言う。

 すっと刀を払うと巻き付いていた糸が切れ、はらりと落ちた。


「チッ、破魔の刀か」


 蜘蛛女の顔に動揺が滲む。どうやら行雲の刀は対妖用の特別なものらしい。

 慌てて距離を取ろうとする蜘蛛女だったが、行雲は容赦なく切りかかる。


「くたばれ、化け物」

「化け物!? 私は美しいだろう!?」


 太い糸の束を出して斬撃を受け止める蜘蛛女だが、ことごとく行雲に切り捨てられる。


(すごい。旦那様ってやっぱり強いんだ)


「この美しさを保つためにどれだけ苦労してきたと思っている!」

「それは無駄な努力だったな」


 行雲は糸を切るのではなく、わざと絡めて自分の方へと引いた。

 引っ張られた蜘蛛女はすぐに自分から糸を切り離すがもう遅い。「ぎゃっ」という短い悲鳴と共に、蜘蛛女の顔から胸にかけてざっくり亀裂が入る。


「ア、アア……顔が……もっと若い女を食べなくては……」


 蜘蛛女は壁を伝ってよろよろと、宙吊りにされたレイの方へと向かおうとする。

 しかしながら最早攻撃を防ぐ力もなく、行雲に背中から胸を貫かれて絶叫した。


「ギャアアアアアッ!!」


 ぱたりと妖の動きが止まり、最後は灰になってさらさらと消えていく。

 その瞬間、蒼葉を縛っていた糸も消えた。


 急な落下に肝を冷やす蒼葉だったが、行雲はレイと蒼葉を軽々受け止めてくれる。流石は軍人、鍛え方が違う。

 

「大丈夫か?」


 彼は一番に狸に視線を向けて尋ねた。


(はい。こう見えて結構頑丈なので! それよりレイ様が心配です!)


 レイは意識がないらしく、行雲の腕の中でくたりと横たわっている。

 呼吸はしているようなので、失神しているだけだとは思うが、早いところ医者に見せた方が良い。

 

「この店のことは後で調べさせるが、例の妖の討伐はできたようだ」

(旦那様は初めから疑われていたのですね)


 店の女を見て「美しい方ですね」と言ったのも、例の妖だと疑っていたからだろう。

 蒼葉が妖の気配を察知してこの店を選んだと誤解をしていたせいもあるかもしれないが。


「危険な目に遭わせて済まなかった」


 行雲は意識のないレイを雑にかつぎ、毛がぼさぼさに乱れてしまった狸を見つめて言う。


(私のことより早くレイさんを!!)


 知らぬ間に囮にされ、恐ろしい妖に襲われたレイは、きっと心に深い傷を負っただろう。


「ポン太」

(はい、何でしょう)


 ようやく歩き始めた行雲の後ろを蒼葉はトテトテ走ってついていく。

 行雲は狸の名を呼んだまましばらく黙り込んでいたが、店を出たところで続きを口にした。


「次からもう手伝わなくて良い」

(えっ、でもまだ惣田さんは……)


 重い怪我を負った彼が完全に復帰できるのは、まだ当面先だろう。


「俺一人の方が楽だ」

(あれま)


 蒼葉は小さな口をぽかんと開ける。

 今回の件で足手纏いと思われたのか、蒼葉はどうやら相棒をクビになってしまったようだった。

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