第23話 美しい女とは恐ろしいもの

「まだやっていますか」


 暖簾をくぐった行雲はぶっきらぼうに尋ねた。


(旦那様、もっと愛想よくしないと追い出されますよ)


 狸姿の蒼葉も彼に続いてトテトテ店の中に入る。


 建物の外観から昔ながらの茶店ちゃみせと思われたが、店の内装は『はいから』だった。


 机や椅子は西洋のものだが、和風な建物と調和するよう落ち着いた色で統一されている。


 奥には蒼葉がかつて働いていた『かふぇー』のような『ばーかうんたー』があり、その向こう側にいた和服の女性は二人と一匹を見て、柔らかな笑みを浮かべた。


「あら可愛いお客さん。本当はもう店じまいの時間だけど、良かったらお二階にどうぞ」

(わぁ、素敵な人)

 

 蒼葉は黒髪の美しい女性を前に感嘆のため息を漏らす。ここの店主なのだろうか。

 洋物に囲まれながらも着物をきっちり着こなしており、落ち着いた大人の雰囲気に惚れ惚れする。


 先ほど僅かに感じた血の匂いはどうやら彼女から漂っているようだが、きちんと人の気配がするのできっと人間の女性特有の月のものだろう。


「美しい方ですね」

(えっ!?)


 行雲は何を思ったのか、突然店の女性を口説き始めた。

 

 蒼葉は目を丸くしてしばらく固まった後、振り返ってレイの様子を確認する。

 彼女も蒼葉同様、「どういうこと?」と言いたげに口をぽかんと開けて驚きを露にしていた。


(これは……また新たなお嫁さん候補との戦いですか……)


 行雲は実のところ、年上の綺麗なお姉さんが趣味なのかもしれない。

 蒼葉が訝し気に行雲を見つめていると、窓際の小さな机に座っていた男が横から口を挟んだ。


多恵子たえこさんの淹れる珈琲こーひーは美味いぞぉ。この通り、浅名イチと言っても過言でないくれぇの美人だしな」

「ふふ。鎌次郎さん、いつもありがとうございます」


 見知らぬ中年の男は読んでいた新聞を折り畳み、「また来るよ」と言って店を出ていく。常連客なのだろう。


 閉店間際ということもあってか、男が去った今、店の一階には人影がない。

 がらんとした空間に、立派な置き時計の時を刻む音が響いている。


「レイ、二階に上がらせてもらおう」

「は、はい」


 行雲に名前を呼ばれたレイは少し驚いた表情で頷くと、行雲に続き軽快な足取りで階段を上っていく。


(閉店時間なのに良いのかな?)


 去った男性客の机を片付ける店の女性を一瞥した後、蒼葉も後を追った。


◇◆◇


(はわーっ! 美味しい!!)


 蒼葉は机の下でがつがつ甘味を頬張った。


 レイは狸と一緒に食事をすることを嫌がったが、店の女性は珍客を拒絶するどころか、人には出せないという色んなお菓子の切れ端を特別に準備してくれたのだ。


 洋もの、和もの、どちらも扱うお店らしく、和洋折衷の菓子盛りに蒼葉は「何て素晴らしい茶店なのだろう」と大興奮している。


 レイも頼んだ『けーき』を嬉しそうに口に運んでいた。


「行雲様、素敵なお店に連れてきてくださってありがとうございます。久しぶりのケーキ、嬉しいですわ」

「そうか」


 行雲はどうしているかというと、先ほどから何も食していない。それどころか注文した焙じ茶にも手をつけず、口を堅く結んでいた。


 どうせここに妖はいないのだから気を緩めれば良いのに、軍人らしくぴっちり姿勢を正して椅子に座っている。


 そうかと思いきや急に「外の厠へ行ってくる」と大きな声で宣言し、一階へと降りていってしまった。


(変な旦那様。お腹でも痛いのかな?)


 今日の行雲は何だかおかしい。

 軍に命じられている妖狩りの仕事が上手くいかず、動揺しているのかもしれない。


「ふふっ。行雲様、ついに私の魅力に気づいてくれたのかしら。レディの扱いが下手なのはちょっと残念だけど」


 行雲の姿が見えなくなった途端にレイは猫かぶりを止め、本音むき出しのひとりごとを言い始めた。


「このことをあのアホ女に言ったら流石に悲しむかしら。折角だからもっと嫌な思いをさせてやりたいわね」


 レイはとても楽しそうだ。机に両肘をつき、何かを空想してにやついている。

 行雲といる時よりも、こうして悪巧みをしている時の方が生き生きして見えるのは気のせいだろうか。

 

「あの女の結婚式を挙げるふりをして、本当に結婚できると思ってたの? 残念、私と行雲様の結婚式よ、とか良いんじゃない?」


 まさかここに『アホ女』こと蒼葉がいると思っていないレイは「名案! 天才!」と言って次々企みを口にする。


(旦那様の塩対応に傷ついていないか心配していましたが、元気そうで何よりです)


 蒼葉はレイを放って、お菓子の欠片まで綺麗に完食した。

 

「そういえば、この汚らしい獣も邪魔ね」

(えっ)


 レイの視線を感じた蒼葉はびくりとする。

 席を立ち、狸を見下すように立った彼女は涼しい顔で恐ろしいことを口にした。


「思い切り蹴ったら逃げていくかしら?」

(逃げるどころか最悪内臓破裂で死にます!)


 怯えて後ずさる蒼葉だったが、丁度その時、とんとんと誰かが階段を上がってくる音がした。

 行雲は歩く時にほとんど音を立てないので、どうやらお店のお姉さんのようだ。

 

「珈琲のおかわりはいかがかしら」

「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」


 階段から顔を出した女性にレイが可愛らしい声で答えるのを見て、女優さんもあっと驚く演技力ではないかと蒼葉は感心する。


「そう。ゆっくりしていってね」


 ぞくり。


 レイに向けられた女ののっぺりした笑顔に得体の知れない恐怖を感じ、全身の毛が逆立った。

 

 蒼葉は考えるよりも先に身構える。

 

 一瞬にして洋燈らんぷの灯りが消えた。二階の部屋は何故か雨戸が閉まっていて、灯りがなければ真っ暗だ。


「きゃっ!? な、何!? どうしたの!?」


 暗闇の中、人ではない――先程までは確かに人の気配がしていたはずの「何か」がレイに向かって飛びかかる。


(レイさん、危ない!!)


 気づいた蒼葉はパッと体を輝かせ、短い両腕を広げて勢いよくレイに飛びついた。

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