第22話 絶妙な三角関係
(今日こそ例の妖を見つけてみせます!!)
夏帆と一緒に大きな洗濯物を片付けた蒼葉は、狸姿に戻って行雲の部屋に向かった。
昨日のお菓子の残りを食べさせてもらい準備万端かと思われたが、狸を鞄に詰めた行雲が洋館を抜けようとしたところ、客室からレイがさっと飛び出してくる。
まるで行雲が通るのを待ち構えていたかのようだ。
「行雲様、今日もお仕事ですか?」
そう言って行雲を見上げる彼女はとても愛らしく、蒼葉の部屋をめちゃくちゃにした犯人には到底思えない。
しかし、部屋に残っていた蜜のような甘い匂いは間違いなくレイから香るものと一緒だ。
「軍服姿、とても凛々しくて素敵ですぅ。ああ、私もお仕事について行けたら良いのに」
レイは目をうるうるさせ、両手を組んで懇願するように言う。
「……。これから仕事で浅名の歓楽街に行く。ついてくるか」
しばらく黙って冷たい視線を向けていた行雲が口にしたのは、意外な言葉だった。
「えっ!? も、も、もちろんですわ! すぐに準備しますので玄関でお待ちを」
レイは頬を薄桃色に染めて軽く頭を下げると、自室へ戻りさっと扉を閉めた。
中からばたん、どんがらがっしゃんという大きな音が聞こえてきたので、きっと今頃慌てて出かける準備をしているのだろう。
(レイ様を誘うとは意外です。旦那様、もしかしてこれが浮気というやつですか?)
つい先日、結婚すると言ってくれたのは何だったのか。
じとりと見つめる狸の視線に気づいた行雲は頭をぽんぽん撫でてくれる。
「そんな目で見るな。仕事だと言っただろ」
(別に良いですけど。その代わり、私にも同じくらい美味しいものをくださいね)
レイの準備はなかなか終わらなかった。
離れの方にいる運転手を呼び、車の準備ができた頃になっても現れず、既に乗車した行雲は足を小刻みに揺らしていた。
(仕方ないですよ、旦那様。普通の女性は準備に時間がかかるんですから)
化け狸のように葉っぱを載せてぽんと化ければ済む話ではないのだ。蒼葉は鞄から身を乗り出し、お腹を見せて愛嬌を振りまく。
お人形のようなレイの可愛さに人間姿では劣るかもしれないが、狸姿では負けていないはずだ。
それを示すかのように、行雲は優しい手つきで狸の腹を撫でる。
それからまたしばらくして、レイは胸元が大きく開いた洋装で現れた。
体の線を強調する大人っぽい服だが、童顔のレイにはあまり似合っていない。
「その格好は何だ」
「折角のお出かけなのでおめかしをしてみたのですが、似合わないでしょうか」
「……まぁ良い、早く乗れ」
誘ったのは行雲の方だというのにレイへの態度は氷のように冷たい。
しかし、レイの方もなかなか肝が据わっていた。行雲の言葉をどう解釈したのか、嬉しそうに隣に座って身を寄せる。
そこでようやく蒼葉の存在に気付いたらしい。彼女は行雲の膝上に堂々と座る狸を見て、小さな悲鳴を上げた。
「その獣は何ですか?」
「見ての通り狸だ」
「行雲様、いけませんわ。動物ってとても汚いんですよ。変な病気を移されるかもしれません。すぐに捨ててください」
レイは力強く主張するが、行雲は車窓に手をかけそっぽを向く。
「これは軍用の特殊な狸だ。問題ない」
(旦那様、嘘が雑っ!!)
レイに車から放り出されるのではないかと身構える蒼葉だったが、彼女は何故か「そうだったんですね、すごいですわ」と納得したようだ。
(……もしかしてレイさんも、もふもふ狸の魅力に?)
蒼葉はふかふか尻尾を彼女の方に垂らしてみたが、「毛がつくから近寄らないで!」と怒られてしまった。
狸の愛らしさをもってしても、レイとは友達になれなさそうだ。
◇◆◇
無表情の軍人。黒い『ろんぐどれす』姿のレイ。――そして寸胴の狸。
二人と一匹は様々な人がいる歓楽街でも一際目立った。
どのかの芝居小屋の役者さんかしら、という声まで聞こえてくる。
確かに行雲とレイは美男美女。普通にしていたら似合いの二人に見えるのかもしれないが、行雲はレイと距離を置き、その距離をレイが詰めるということを繰り返していた。
「お芝居を観るわけではないんですね。どこかのレストランで夕食かしら?」
歓楽街の中心から外れ、薄暗い道に入ったところでレイが尋ねる。
「仕事だと言っただろう」
「え? どういうことでしょう?」
「黙ってついてくるだけで良い」
行雲の言葉は冷たかった。
レイは怪訝そうな顔をしながらも、とりあえず言われた通りに歩いている。
妖気を放つ提灯の前を通り過ぎる時、蒼葉は行雲の言葉を思い出してハッとした。
若い女の方が良いかもしれないと、彼は昨日呟いていた。
(……旦那様、もしかしてレイさんを囮に?)
恐ろしい人だ。狸にはすこぶる甘いので、冷酷な軍人であることを忘れるところだった。
(これは流石に酷いですよ)
二人で出掛けられると嬉しそうにしていたレイの顔がどんどん曇っている。
可哀想に思った蒼葉は「ぎゅい」っと鳴いて、近くにあった茶店を差し示した。
「あそこか」
(まぁ、違うんですけど。甘いものでも食べてちょっと休みましょう)
行雲は蒼葉が妖気を察知したと誤解したまま、店の古びた格子戸をがらりと開ける。
店の中から溢れてくる濃い茶葉の匂いに紛れて一瞬、僅かに血なまぐささが鼻についた。
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