第四章 良妻は一日にして成らず

第25話 ぎこちないお裁縫

 レイは眠っていると西洋のお人形のようで一層可愛らしい。

 朝の柔らかな日差しが色素の薄い髪にきらめいて、まるで芸術品のようだ。


 蒼葉はなかなか目覚めないレイの寝台の傍らに椅子を置き、布を縫って糸を結ぶ練習をしていた。


 これがまた単純な作業のようで難しい。指に何度も針を刺してしまい、縫い目もがたがたなうえ、最後は上手く糸を止められない。

 始めて一日も経たぬうちに蒼葉は挫折しそうになっている。


「ん……」

「レイさん!!」


 眠り姫が小さな声を漏らし、身じろぎしたのを蒼葉は見逃さなかった。

 縫い物を放ってレイの顔を覗き込む。


「……ここは?」


 彼女はゆっくりと瞬きをし、ぼんやりあたりを窺う。


「良かった、意識が戻られたんですね! 三日間ほど寝込んだままだったんですよ!」


 蜘蛛女に襲われた後、レイは眠り続けた。

 普通のお医者様にも、妖に詳しいという軍医にも診せたが理由は分からず、ただ命に別状はないとだけ聞かされた。


 目覚めることを拒むほど、あの日の出来事が恐怖を与えたのではないかと蒼葉は思っている。


「何で貴女が部屋にいるのよ……」


 レイは不満げに蒼葉を睨む。

 しかし、これは珍しくお義母様が許可してくれたことだ。


「急に容体が悪くなるといけないので、誰かがついていた方が良いと思いまして」


 行雲が意識を失ったレイを連れ帰った時、お義母様は息子の鞄に潜む狸に気づかないほど動揺し、ふらふらとその場に倒れてしまった。


 レイは行雲のお嫁さん候補というだけでなく、重要な取引先のご令嬢だ。彼女の身に何かあれば家業に響きかねない。

 お義母さまはそれを心配したのだろう。


 こっそり人の姿に戻った蒼葉がレイの傍につくと申し出たところ、お義母さまは「そうしてちょうだい」と力なく頷いていた。


「そうだ、私。光る狸に襲われて、変なものでぐるぐる巻きにされて、それで……」


 レイはがばりと起き上がり、早口に話し始める。


(むっ、何か誤解されてますね。狸のせいにされては困ります)


 蒼葉は我慢ならず横から口を挟んだ。


「店の女主人が若くて美しいレイさんに嫉妬して襲ったらしいです。狸はレイさんを護ろうとしただけかと」

「何で貴女が知ってるの」

「えっと、旦那様に聞きました。旦那様がレイさんを助けてくださったんですよ」


 行雲は人間姿の蒼葉に一言も事件のあらましを語らなかったが、こう言って誤魔化すしかない。


「まぁ、行雲様が! これで行雲様に助けていただくのは二度目ね。残念ながら前回も助けてもらった時の記憶はないのだけど」


 効果覿面こうかてきめんだった。

 レイは頰を紅潮させ、パァッと満面の笑みを見せる。


(もしや旦那様……以前もレイさんを囮に使ったことが……?)


 嬉しそうなレイには悪いが、蒼葉はなんとなく状況を察して不憫に思う。


「ふふん。良いでしょ。私、行雲様と浅名に出かけたのよ」

「そ、そうですね。羨ましいです。私も焼きとうもろこしとか食べたかったです」


 蒼葉は何も知らないふりをしてぎこちない返事をする。

 

 レイは気を良くしたのか蒼葉の放り投げた布切れに視線を落とし、馬鹿にしたように鼻で笑った。


「何それ、へったくそねぇ」

「これは……習い始めたばかりでして」


 蒼葉は床に落ちた練習用の布を拾い、後ろ手に隠す。


 昨日行雲から「これを使え」と裁縫道具を渡されたばかりだ。

 行雲やお義母様は既に習いに行っているものと思っているかもしれないが。


「私は洋服も和服も繕うことができるわよ。やっぱり行雲様の嫁に相応しいのは私ね」


 レイは唇を吊り上げ、自慢げに微笑む。


(これは勝負を挑まれている……?)


 獣の直感に従い、蒼葉も負けじと胸を張った。

 敵と睨み合った時には自分を大きく、強そうに見せることが鉄則である。

 

「私も洗濯物は最近上手になりましたよ! レイさんが今寝てるべっどのしーつだって、私が洗いましたから! 土汚れもちゃんと落ちました」

「土汚れ?」

 

 お嬢様に洗濯物は難しいだろう。案の定レイは目をぱちくりさせて驚きを示す。

 

「この前、土とミミズを私のべっどに盛ったのはレイさんですよね? そのしーつを洗うついでにレイさんのも洗ったんです」

「まさか……まさかとは思うけど、一緒に洗ったの?」

 

 余程衝撃を受けたのか、彼女は顔を引き攣らせ、震える声で尋ねる。

 勝った、と蒼葉は思った。

 

「はい」

「◎$△×@%☆!?」

 

 凛々しく答えると、レイは言葉にならない叫び声を挙げた。

 

(まさかこんなにも悔しがるとは)


 蒼葉はおっかなびっくりしつつも、これだけ叫ぶ力があれば健康に問題ないだろうと安堵する。

 

「では私はお義母様にレイさんが起きたことを伝えてきます」


 蒼葉は足早にレイの部屋を後にした。


 午後には踊りを習いに行くことになっているので、早めに準備を始めた方が良い。

 蒼葉の言葉を鵜呑みにした行雲が困ったことに先生を見つけてきてくれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る