第16話 お家へ帰ろう

「行雲〜、なんかちまいのついてきてるけどどうする?」


 灯りを持って隣を歩く男――惣田そうだは緊張感のない声で言う。

 背後を気にして何度も振り返っていたのは、行雲には察知できない妖気を感じていたことが理由らしい。


 人当たりがよく朗らかで、少し大雑把な惣田と性格は合わないと思っているが、妖の気配を感じることのできる彼は行雲にとって不可欠な存在である。


「山の妖と関係あるのか」

「たぶんないね。大した力のない化け狸の類だと思う」

「狸か……」


 行雲は家の庭に現れるようになった、人懐こいもふもふの塊を思い浮かべる。もしかしたらと思ったが、あの狸がここにいるわけないだろう。


「あれ、動物好きなんだっけ」

「そういうわけではない。それで、肝心の妖の方はどうなんだ」

「うん。これは相当だ。いくら鬼神と呼ばれるお前でも気を引き締めてかからないと不味い。というか八割がた死ぬんじゃないかな」


 惣田はさらっと死亡宣告をしてのける。戦闘の実力でいったら惣田よりも行雲の方が上だ。

 行雲が死んだ時点で大方彼も死ぬことになるのだが、死を予想する声はどこか愉しそうだった。


 妖討部隊には変わり者が多いと軍部内で言われているが、彼もまたその一人というわけだ。


(ようやくだ……)


 行雲は深呼吸し、いつ妖が現れても応戦できるよう集中していく。いつにも増して心臓がうるさい。

 この先に父の仇がいると思うと、緊張と興奮で手が震える。これはきっと武者震いだ。


「何があったか知らないけど、すごい執念だよね。今日は偵察くらいで済ませときな」


 惣田は呆れたように言う。それもそうだろう。軍に命じられた仕事がない日は惣田を連れ、見回りと称してこの場所――父を失った八滝山やつたきやまを訪れていたのだから。


「堕ちた龍神」


 行雲は自身に言い聞かせるようにして呟く。


「山の妖のこと?」

「このあたりではそう呼ばれているらしい」


 人口の多い街からは少し距離があり、昔ながらの生活が営まれている地域だ。


 八滝山には『堕ちた龍神』がいて、決して立ち入ってはならないと言われていることを、かつて幼い行雲は知らなかった。

 山を買って土地を切り開こうとしていた父も知っていたかは定かでない。


 行雲と惣田は心許ない灯りを頼りに真っ暗な森に足を踏み入れる。


 妖討部隊に入ってから何度訪れても変わりなかったこの場所が、何故か今日は開かれている。

 流石の行雲も、いつもと違う道に入ったことに気づいて異変を感じた。


 何度も訪れる妖狩りが鬱陶しくなり、ついに排除することにしたのだろうか。


「祠か……」


 いつもの獣道を進んだにも拘らず、今まで行き着いたことのない場所に出る。そこには朽ちかけた小さな祠があった。


「行雲、くる!」


 惣田が一音目を発した瞬間、行雲は刀を抜く。


 祠の後ろの暗闇から、真っ黒で細長い塊が宙を這うようにして現れたと思ったら、行雲を避けるようにぐんと伸びた。


「惣田っ!!」

「ぐぁっ」


 人が跳ね飛ばされ、何かにぶつかる鈍い音ともに灯りが消え、視界が真っ暗になる。


「〜っ!!」


 木の葉が揺らめく微かな音と勘を頼りに、行雲は自分を狙った第二、第三の攻撃をどうにか刃で受け止めるが、視界が絶たれ妖気も辿れない状態で長くは保たない。


 身体中から嫌な汗が滲み出る。屈強な異国の兵士相手には鬼神と呼ばれた男が、妖相手にはこのざまだ。


 せめて灯りがあれば――。


 そう思った瞬間、ぱっと周りが明るくなった。

 行雲はすぐ目の前に迫っていた第四の攻撃をぎりぎりで避け、黒く長い図体を縦に切りつける。


 オオオオオ。


 地響きのような低い声が夜の森に響き渡り、湿っぽい泥臭さが充満した。

 消滅させるにはまだ足りない。


 黒い塊は複数の触手を伸ばし、暴走を始めた。

 行雲は出鱈目な攻撃をかわし、灯りのもと――神々しく輝く一匹の狸に向かって伸びようとした触手を切り落とす。


「惣田!! 生きてるか!?」

「……なんとか」

「コイツを頼む」


 もふもふの光る狸をひょいと拾って、惣田の方へと投げ渡す。

 行雲は触手による無差別攻撃を受け流しながら勢いをつけて飛び上がり、黒い塊の中心に切り込んだ。


 オオオオオオオオオ。


 断末魔かと思いきや、黒い塊はひゅんと収縮して森の奥へと消えていく。


(しまった、仕留め損ねたか)


 またもや油断した。

 行雲は自らの失態に小さく舌打ちをする。


「惣田、妖の気配は」

「完全に消えた。今日のところは出てこないかも」

「そうか」


 行雲は刀を手にしたまま、惣田に預けた煌々と光り輝く狸をじっと見つめる。

 狐火というのは聞いたことがあるが、狸火というのもあるのだろうか。


「この子、助けてくれたっぽいね」


 惣田は狸の片手を持ち、人形を操るようにして動かす。

 光る狸は大人しくされるがままだ。よく人に慣れている。


「……もしかするとポン太か」


 なんとなくそんな気がして尋ねると、狸はこくこく頷いた。切り捨てられるとでも思っているのか、体は小刻みに震えている。


(屋敷からここまで後をつけていたのか?)


 理由はよく分からないが、妖の類なら人の後をつけるくらい朝飯前だろう。


 刀を仕舞い、行雲は怯えた様子の狸に語りかける。


「家に帰ろう」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る