第11話 旦那様とお義母様
行雲の部屋からは障子越しにうっすら灯りが漏れている。今日は珍しく一日家にいたのかもしれない。
蒼葉は廊下と反対の縁側に回る。
(げ、お義母様!)
縁側の障子戸は開いていた。しかも蒼葉の助言を真に受けたらしく、分かりやすく食べ物の載った皿が置かれている。
しかしながら、部屋の中には行雲だけでなく、お義母様の姿まで見えた。親子は机を挟んで向かい合って座り、何やら話をしているようだ。
これでは近づくことができない。蒼葉は慌てて縁の下に身を隠す。
「お国のためになる仕事だとは分かっているんだよ。でも危険じゃないか」
「俺はもう子どもじゃない。放っておいてくれ」
ドンッ、という机を叩く音と共に不機嫌そうな行雲の声が聞こえてくる。
聞き耳を立てていた蒼葉は大きな音にびくりとした。
親子は言い争うような強い口調で話を続ける。
「子どもじゃないっていうなら早く結婚して身を固めてちょうだい」
「それで家業を継げ、だろ。俺は軍を抜ける気も、誰と結婚する気もない」
「はぁ。昔は素直で可愛い子だったのにどうしてそんなふうになってしまったのか。
一晴さんというのは行雲の父親のことだろうか。
今の会話から察するに、百鬼家の親子の仲はあまり良いとは言えないらしい。お義母様は息子を溺愛していると思っていたので、少し意外だ。
しばらく沈黙が続いた後、行雲が口火を切った。
「……母さん、もう出て行ってくれ。それと、次から次へと嫁を連れてくるのも止めてくれ」
激しく責め立てるような言い方ではなかったが、声音は低く、拒絶の意を感じる。
「今回のは特に失敗だった。今度こそお前が気に入る気立ての良い子を見つけてくるよ」
お義母様はそう言うと、部屋を出て行ったようだ。みしり、みしり、と床が軋み、廊下側の戸が開いて閉まる音がした。
続いて行雲の深い溜め息が聞こえてくる。
(旦那様は望んでいないのに、お義母様はどうしても結婚させたいのですね)
蒼葉はのそりと縁側へと上がり、お義母様の姿がないことを確認してから皿の中を覗き込む。
(鶏肉と芋を煮たやつだ!!)
どうやら夕飯の残りらしい。大好物を前に興奮した蒼葉は旦那様の前だということを忘れてがっついた。
一滴の汁も残さず綺麗に食べ終えたところでふと視線に気づく。
行雲だ。伏せていた顔を上げ、じっとこちらを見つめているではないか。
(はっ、旦那様!! これは、これは、お見苦しいところをお見せしました!)
蒼葉は狸の短い手で一生懸命口元を拭う。
獣が食事をする光景など、見ていて楽しいものでもないだろう。蒼葉は人間姿の時でさえ「食べ方が汚くて吐き気がする」とお義母様に怒られているくらいなのだから。
行雲は座椅子から立ち上がり、殺風景な部屋の隅に置かれた風呂敷に手をかける。中から現れた箱には、小さなあんころ餅がお行儀良く詰められていた。
(はわ〜っ! ふっくらもちもちで美味しそう!!)
目を輝かせる蒼葉に行雲は問う。
「お前、ポン太というのか?」
(はい!!)
「食べるか?」
(勿論です!!)
お義母様にばれぬうちに物置小屋に戻らねばと思うのに、蒼葉は甘味の引力に抗えず、部屋の中へと足を踏み入れるのだった。
◆◆◆
西の駐屯地から夜な夜な大きな妖が暴れているとの応援があり、行雲は遠征を余儀なくされた。
しかし、気を引き締めて向かった先に待っていたのは、妖でもなんでもない巨大な猪だったのである。
骨折り損のくたびれ儲けというやつだ。
上官からは数日休むよう言われたが、休んだところで特にすることもない。むしろ、母親から結婚して家業を継げという圧をかけられ息苦しいだけだ。
唯一の慰めといえば、家の庭に住み着いているらしい狸に買ってきたあんころ餅をやれたことくらいか。
(あの鈍臭そうな嫁候補の言う通りだったな)
縁側に食べ物を置いたら狸のポン太はすぐにやって来た。そして、相変わらず野生とは思えない人懐こさで、行雲に撫でられたまま夜更けまで眠りこけていたのだった。
ポン太の腹と尻尾の柔らかな感触を思い出しながら、行雲は軍服に着替え、腰に刀を差す。
休みなら一日で十分だ。暇を持て余しているくらいなら、登営して妖の情報を待った方が良い。
和館を出て朝靄の中に一歩踏み出したその時。
「一体どうやって縄から抜け出したんだい!?」
遠くから母親の怒鳴り声が聞こえてくる。怒られているのは、あの鈍臭そうな嫁候補だろうか。
(いつものことだ。放っておけ)
そう自分に言い聞かせるが、何故か無性に狸に似た娘のことが気になった。
門の方へと進みかけた足を止め、踵を返して声のした方へと向かう。
「いや、えーっと、それは……えいっ、とやったら解けたといいますか」
「夏帆の仕業か」
「違います! 夏帆さんは全く関係ないんです!」
「一丁前に嘘をついて、このっ! このっ!」
小屋の前に二人はいた。母親が手にした箒で若い女を打ちつけている。
母が女中や自ら連れてきた嫁候補をいじめて次々追い出していることには薄々気づいていたが、まさか暴力まで働いているとは。
父がいなくなってから、母はおかしくなってしまった。
(あの時、俺が死ねば良かったのに。俺が言いつけを無視して森の奥に入らなければ――)
そうすれば、こうはならなかっただろう。
博識で皆に慕われる父。優しく気立の良い母。行雲が無邪気に笑えた頃の家族はもうどこにもいないのだ。
「母さん」
「行雲……こんな朝から仕事かい」
落ち窪んだ目がぎょろりと行雲を睨む。
「そういうのはやめてくれ。俺に嫁をあてがおうとする割に陰でいびって、何がしたいのか分からない」
「礼儀知らずの娘を躾けて何が悪い」
母は鼻をふんと鳴らして言った。自分を正当化し、まるで話を聞き入れる気配がない。
行雲は小さな溜め息をつく。
「……縄なら昨晩俺が解いた」
地面に蹲っていた娘はまん丸な目で、不思議そうに行雲を見上げる。
それはそうだろう、行雲が縄を解いたというのは彼女を庇うためについた嘘なのだから。
「今後も同じようなことを続けるつもりなら、俺は家を出て軍の宿舎で暮らす」
母親が最も嫌がるであろうことを言い残し、行雲はその場を立ち去った。
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