第12話 なんと、新しいお嫁さん

(旦那様にお礼、言いそびれちゃったな)


 庭師が切った葉や小枝を箒で掃きながら、蒼葉は一昨日の出来事を振り返る。


 お義母様にバレないうちに小屋に戻ることはできたのだが、自分で自分を縛り上げることが難しく、諦めて居眠りをしていたところを見つかってしまったのだった。


 縄を解いたのは自分だと行雲が庇ってくれなければ、無実の夏帆まで折檻される羽目になっていただろう。


 軍服姿できりりと立つ行雲を思い浮かべ、優しい人だなと蒼葉は思う。


 初めて会った時は彼の表情や態度から、狸を捕まえたら鍋にでもしてしまいそうな冷酷人間に思えたが、本当に結婚に興味がないだけなのかもしれない。

 狸姿の蒼葉にはすこぶる優しく、人間姿の蒼葉のことも何だかんだ助けてくれる。


 次に会えたら礼を言おうと思っていたが、どうやらあの日から行雲は家に帰ってきていないようだ。

 お義母様と喧嘩したせいで帰りたくなくなってしまったのだろうか。いや、以前から神出鬼没だったのできっと仕事が忙しいのだろう。


(ん?)


 自動車の駆動音が次第に近づいてくる。

 蒼葉は庭掃除を続けるふりをして、洋館の玄関口が見える位置へささっと移動した。


 行雲が帰ってきたのかもしれないと思ったが、ぴかぴかの黒い車から降りてきたのは若い女性だった。

 彼女は真っ白でお上品な洋服を纏い、つばの大きな洋風の帽子を被っている。身なりからして裕福な家の娘のようだ。


(誰だろう? 百鬼家の親戚かな?)

 

 じっと観察しているところにお義母様が現れ、蒼葉は思わず顔を背ける。

 横目でそっと様子を窺うと、お義母様が若い女性に向かって恭しく首を垂れているではないか。


(あ、あのお義母様が、頭を下げた!?)


 蒼葉に対しても、扇家の人間に対しても、お義母様が頭を下げることは一度もなかった。

 あの娘は一体何者なのだろう。気になって仕方なかったが、お義母様に見つかるのが怖く、蒼葉はせっせと箒を動かしながら元の位置へと戻った。


◇◆◇


 ぐうぐうと腹が鳴る。

 広大な庭の掃き掃除に飽きた蒼葉は、正体不明の来訪者のことなどすっかり忘れ、池を優雅に泳ぐ紅白模様の鯉に目を奪われていた。


 魚たちは丸々としていて、焼いて食べたら美味しそうだ。生のまま、人間のように醤油をつけて食べても美味しいかもしれない。

 一匹くらい食べたところで誰も気づかないのではないだろうか。


 じっと池を見つめていた蒼葉だが、背後から近づいてくる誰かの気配を察知して我に帰る。


 殺気を感じないのできっとお義母様ではない。そうであって欲しい。


「ねぇ」


 若い女性の声だった。

 お義母様ではないことに安堵し、蒼葉が振り向いた先には白い洋服の女が立っていた。

 

 数時間前に車でやって来た彼女だ。


 その可愛らしい容姿に蒼葉は思わず息を飲む。色素の薄い青い目はくりくりとして愛らしく、『くりーむ』をたっぷり入れた紅茶のような髪色は『かふぇー』で見た西洋のお人形を思い起こさせる。


 蒼葉は言葉が通じるのかどきどきしながら「何でしょう?」と尋ねた。


「扇家の娘さんがどこにいるか知らないかしら」

「扇蒼葉なら私です」

「あら、まぁ……そうなの。お手伝いさんかと思ったわ。他にもお嫁さん候補がいると聞いたから会ってみたかったのだけど、貴女なのね」


 意思疎通の心配は無用の綺麗な発音だが、言葉の節々に棘がある。

 憐れむような、蔑むような視線からしても、蒼葉は自分が下に見られていることを瞬時に悟った。


「貴女、もう実家に帰って良いわよ。行雲様のお嫁さんなら私が引き継ぐわ」


 案の定、彼女はにっこり笑ってそう言い放ったのだった。




「蒼葉様、お掃除は終わりましたか?」


 女性が立ち去った後もぼんやり立ち尽くしていた蒼葉は、干し終わった洗濯物を抱えて通りかかった夏帆に声をかけられる。


「夏帆さん……あの方は誰ですか」

「ああ、レイ様ですね。なんと、新しいお嫁さんだそうです」


 蒼葉は状況が呑み込めず、首をひねった。


「お金持ちは何人もお嫁さんを作るんですか?」

「いえ、恐らく菖蒲様は蒼葉様を追い出そうとしているのだと思います」


 夏帆は何てことないかのように言ってのける。むしろ、声が弾んでいてどこか楽しそうだ。

 どうやらいよいよ追い出されそうだというのに、蒼葉もつられて少し愉快な気持ちになってきた。


「なるほど。どちらがお嫁さんに相応しいか、勝負というわけですね!?」

「相応しいという点では、今回のお嫁さんは百鬼と取引のある海外の大きな会社の、お偉いさんの娘だとか」


 お義母様が使用人の真似事はさせなくて良いと言っていたので、かなり気に入られているのではないか、というのが夏帆の見立てだった。


「それなら最初からその方を呼べばよかったのに。うーん、不思議」

「旦那様があまりにも結婚する気がないので、今回こそは、というつもりなのでしょう」


 話を聞けば聞くほど、蒼葉に勝ち目はないように思える。


 ただ追い出されるのであれば一匹の化け狸が路頭に迷うだけなのだが、扇家は結納金として受け取ったお金はどうなるのだろう。

 もしかしたら、娘を返すからお金を返せと言われるのだろうか。


(それはまずいな……)


 蒼葉としてもできればここに残りたい。想像していた『すろーらいふ』とは程遠いが、お義母様の折檻を受けたとしても野良狸をするよりは暮らしが安定しているし、時々美味しい甘味も食べられる。


「どうしたら勝てるでしょうか」

「私が思うに蒼葉様は歴代のお嫁さん候補いちの強さなので、このまま居座って旦那様に気に入られれば、もしかしたら菖蒲様をぎゃふんと言わせられるかもしれませんよ! かくいう私も図太く居座ってきた身です」


 夏帆の力強い言葉には説得力があった。

 確かに、お義母様は耕雨や行雲には強く出られないようだ。その二人に気に入られれば、あわよくば――。


(でもどうやったら気に入ってもらえるんだろう)


 行雲は狸姿の蒼葉――ポン太のことは大層好いてくれているようだが、お嫁さんとしての蒼葉には何の感情も抱いていないように思う。

 もしかしたら、嫁ですと挨拶したことを忘れ、蒼葉を新しい使用人だと勘違いしているかもしれない。


(私だったら美味しい物をくれた人のことは大抵好きになるけど……。それだ!!)


 蒼葉も行雲に美味しい物をあげれば好きになってもらえるのではないだろうか。名案だ。


「気に入ってもらえるよう頑張ります! 夏帆さん、私に甘辛い卵焼きの作り方を教えてください!」

「よく分からないですが、分かりました!」


 こうしてお義母様の目を盗み、卵焼き作りの特訓が始まったのだった。

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