第21話 鏡の告発

 詩織の部屋は先日と同じように整理整頓が行き届いていた。魔法の鏡もそこが定位置だとばかりに、机の中央を陣取っている。


 七恵の過去を鏡で見せられた時には手品のような仕掛けがあるのだろうと考えたが、今はそれに全てをかけるつもりだった。学園長の行方を探すには手がかりが少ないうえに、彼女の命そのものがかかっているからだ。


「学園長がうまくみつかるかしら。お姉さまも、魔法が成功するように祈ってくださいね」


 詩織が真顔で言った。


「何か呪文でも唱えればいいの?」


「学園長の姿をイメージしてください」


 詩織はそう言うと、歩の頬を両手で押さえて唇を重ねた。


「えっ!」


 思わず身を引く。鼓動が早まり、顔が赤くなるのが自分でもわかった。


 詩織が歩の唇に人差指を当てて質問を封じる。


「これは、大切な儀式です。霊力を高めるための」


 そう告げてから、彼女は机の前に座って鏡を手に取った。


「はじめます。精神を集中して」


 そう言われてもキスによる動揺が激しく、学園長の姿を想像できなかった。


 彼女はフーと息を吐いて呼吸を整えた。それから指でと文字を書く真似をした。


 両手で鏡を覆い、時間をかけてゆっくり開く。


 歩は鏡を覗き込んだ。自然と2人の頬が近づいた。自分たちの顔に重なり、奥に暗い廊下が映った。それは見覚えのある図書館の地下だ。


 学園長の後ろ姿が現れる。防火扉を開けた彼女は保管庫に入り、目的の金庫の前まで迷わずすすんだ。金庫の扉を開けると、その細い手が箱を取り出した。彼女が振り返ると、箱を手にした胸元がアップになって鏡から消えた。


 前に見たのと同じ鏡の割れる映像が映り、歩が瞬きをする間に、鏡は変哲のない鏡に戻った。


「これは、人魚の鱗が盗まれたシーン……」


 驚きのあまり、声が続かなかった。犯人は学園長なのか?


「人魚の鱗って、なんですか?」


 詩織の瞳がじっと歩を見ていた。


「あっ……」


 こぼれた言葉はもう戻らない。言葉を撤回し、なかったことに出来るのは政治家だけだ。


「……聞かなかったことにしてね。おねがい」


 詩織に向かって両手を合わせた。


 それは形式的で、実際、頭にあったのは人魚の鱗を盗んだ犯人が学園長だ、という事実だけだった。学園長は犯人をかばうために魔法を使わなかったのではなく、自分が犯人だから魔法を使わなかったのだ。その可能性は考えていなかった。


 学園長は研究のためではなく、人魚の鱗を持っていたために年老いて見えたのだし、鱗に寿命を奪われて死ぬことを覚悟し、身辺整理を行っていたのだろう。


 いくつかの要素が一点で結びついた。


「学園長の、今の居所は分からないの?」


 歩の使命は、朋恵を見つけ出して人魚の鱗を取り戻すことだ。


「私と鏡の気のエネルギーが溜まるのに、時間がかかります。ごめんなさい」


 詩織がぺろりと舌を出して謝った。


 彼女は切迫した状況を理解していないようだ。……彼女に対する憤りが泡立つのを覚えた。


「少しはお姉さまのお役にたてたかしら? 力が強ければ未来も見ることができるそうですけど、私にはその力がありません。できることなら、今度は私とお姉さまの未来が見たいわ」


 歩の気持ちなど考えないのだろう。彼女が無邪気に言った。


「私は、未来は見たくないわ。ごめんなさい」


 歩は失望していた。これ以上彼女といたら、憤りを言葉にしてしまいそうだった。


 学園長が人魚の鱗を盗んだ犯人だと隈川に報告しなければならない。事実を知れば、隈川が判断を変えるかもしれない。


 歩は部屋を出ようとしたが、詩織が袖をつかんで離さなかった。


「なぜ? 未来、気になりませんか?」


「自分の未来を知ったら怖いもの。辛い未来なら、絶望して自殺しちゃうかもしれない」


 たとえば正社員に採用されなかった場合、と胸の内で付け加えた。


「未来を見るのは禁忌だと、学園長がおっしゃいました」


 彼女が歩の腕を抱え込む。柔らかい胸の感触が腕から伝わる。歩は、彼女を突き放せなかった。


「それならどうして見ようとするの?」


「新しい道を切り開くためです」


「逆じゃないの。見たら、自分の未来には夢も希望もないとわかってしまうわ。学園長は禁忌だと言ったのでしょ?」


「自分の乗る飛行機が落ちて死ぬと分かったら、それに乗るのを止めてしまう。すると別の誰かが乗って代わりに死ぬ。……誰もがリスクを避けるために魔法を使って未来を予測しあい、行動を決めるとしたらどうなると思います? そんなことになったら、宇宙が不安定になる。学園長はそうおっしゃいました。でも……」


 詩織が歩の頬を両手で挟む。


 再びキスをしようというのか?……歩は動けなかった。憤りが小さな色欲に組み伏せられた。


 彼女の唇はとても柔らかかった。


「宇宙ねぇ。難しい話だわ」


「未来を知ることができるのが、私たちだけだとしたら。……詩織、お姉さまと、たくさんお話がしたい」


 普段の歩なら鼻の下を伸ばして座り込むところだけれど、女装の歩はそうできない。学園長をみつけて人魚の鱗を取り戻すという使命も、彼を突き動かした。


「お話は、次の機会に聞きますね」


 心を鬼にして詩織の部屋を後にした。


 事務室を訪ね、理事長も事務長も学園内にはいないと事務員に教えられた。理事長の携帯番号を聞いて電話を掛ける。


 5回目のコールが鳴った後に「もしもし」という押し殺した声がした。隈川は大日如来のある寺を訪ね歩いていると言う。


 歩は知ったばかりの情報を簡潔に伝えた。


「そうですか……」隈川は言葉の少なさで落胆を示し、高等部の生徒が過去を見る魔法を習得していると知って「まさか!」と驚いた。


「私の知らないところで、様々な変化が起きているようだ。だが、学園長が犯人で、鱗の呪いによって命を失うのが自業自得だとしても、私がやるべきことに変わりはありません」


 隈川は、学園長を救う意思を告げて電話を切った。


「次になすべきことは……」


 歩には策がなく、図書館に向かった。困ったときには、いつもそこに向かっている、と自分を笑った。


 七恵はたったひとりの空間で、舐めるように古い文字を追っていた。


「何かわかった?」


 彼女は返事をしなかった。書物から目を離すことなく、懸命に文字を追っている。ただ、左右に首を振った。


 学園長が人魚の鱗の窃盗犯だと告げるのが忍びなく、歩は部屋を出た。少し迷って廊下をあの保管庫に向かう。


 魔法の鏡が映した場面は学園長が人魚の鱗を盗むところだったが、学園長の居所を映した可能性もある。盗んだものを返しに来た可能性だ。


 歩は重い防火扉を開けた。


 保管庫の中は真っ暗で、人の気配はなかった。照明のスイッチを入れると、壁面全体に並んだ金属のダイヤルが妖怪の目玉に見えて不気味だった。


 沢山ある金庫の中から、七恵が開けた金庫のあたりのレバーを手当たり次第に押してみた。一つの扉が開いたが、中は空っぽのままだった。自分の推理の甘さに落ち込みながら廊下を引き返した。


 会計を〆る月末まで、あと1週間、落ち込んでいる暇はない。考えろ、ジブン!……自分に喝を入れ、階段を上った。


 学園長のメモは、最後の場所が大日如来だと示している。学園長が今もそこにいるのか、あるいはそこを離れてしまったのかはわからないけれど、彼女の考えを知るためには大日如来が何かを知る必要があるだろう。


 歩は情報機器コーナーに足を向けた。


 インターネットで検索すると、大日如来は宇宙を司る仏で真言密教の釈迦にあたり、万物の慈母、神仏習合の解釈ではアマテラス大神にあたる、とわかった。


 言葉で知ることと、理解しているということは違う。宇宙を司るということひとつとっても、歩にはよくわからない。「とりあえず、すごくえらい仏様だということだ」その程度の理解だった。


 注目すべきはアマテラス大神だ。……歩は閃いた。学園長のメモでは神の中に仏が混じっている印象だったが、大日如来がアマテラス大神なら、学園長のルートは日本の神の体系の中で理解できる。


 学園長の行先はアマテラス大神を祀る伊勢神宮ではないか?……推理して伊勢神宮のサイトを開く。


 伊勢神宮があるのは三重県。それならば、出張に出ていた学園長は旅先から伊勢に向かったはずだ。否定的な要素が見つかると理性が戻る。他の神々を神の名前で書きながら、アマテラス大神だけを大日如来に置き換えるのは不合理に違いない。


「大日如来そのものに意味があるんだ」


 推理は反転、言葉にして目を閉じた。


 ふと、詩織の顔が浮かんだ。未来を見ると宇宙が不安定になる、と彼女は言った。寿命を迎えて死ぬべきものが死なないということは、宇宙を不安定にしていることではないだろうか?


 学園長は宇宙を安定させるために、それを司る大日如来を訪ねているのかもしれない。それは1500歳の七恵に〝死〟を与えることだろう。


 思考は二転三転、あやふやな推測ばかりで答えを導かなかった。


 立ち上がり、背伸びをして固まった思考を解きほぐす。ふと、近くのブースに朱里がいるのに気づいた。この場所に足を運ぶたびに彼女はそこにいる。手慣れた様子でマウスを動かし、数値を入力している姿がプロのようで、歩の好奇心を刺激した。


 そっと近づいてモニターをのぞくと、使っているのは前に見た時と同じ動画編集ソフトだった。垣間見えた映像は歩の横顔に見えた。


 えっ、私?……息を止めて観察する。編集しているのは、明らかに自分を盗撮した動画だった。


「あのう……」朱里の背後に立って声をかけた。


 彼女が振り返り、ビヨンと跳ねて椅子から落ちた。


「ヒェー、お許しください、お姉さま。私が悪うございました。ほんの出来心なのでございます」


 彼女はその場にひれ伏した。声が人の少ない図書館に響き渡る。


 歩は彼女を学習室に誘い、悪戯の全てを聞きだした。


 その夜、詩織からメッセージが届いた。明日、魔法の鏡でアユミの過去を見せるという。歩は、見に行くと返事を送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る