第20話 失踪

 歩と七恵が朝食をとっていると、ドアをノックする者がいた。


 七恵がドアを開けると、緊張した面持ちの紅子が姿を見せた。隈川理事長が呼んでいると言う。


 歩と七恵は、食事を切り上げて学園長室を訪ねた。そこにひとりでいた彼が2人を見てから、七恵に向かって頭を下げた。


「おはようございます。七恵さん」


 彼が、おもむろに歩に向く。


「実は、一昨日から学園長の所在が分かりません。どうやら、最後に会ったのはアユミさんのようなので、お話を伺いたい」


 歩は学園長の机に眼をやった。一昨日、疲れた顔の学園長がそこにいた。机の上はその時よりもきれいに片付いている。学園長の行先の手掛りを探すために、紅子がそれらを調べて整頓したのだろう。飾り棚や書棚まであの時より整然としていると感じた。


 隈川が紅子に部屋を出るよう指示すると、彼女は不服そうな顔をして出て行った。


「理事長は、知っているのね?」


 歩は七恵に確認した。


「ハイ、私のことはすべて知っています」


 その返事に、歩はいくばくかの嫉妬を感じる。


「こうなったら、私もすべてお話ししておいた方がいいようだ……」


 隈川が背筋を正した。


「……この学園の創設者は七恵さんなのです。そのことを知っているのは、代々の理事長と学園長のみです。書類上、学園を運営しているのは理事会であり、収益の一部が創設者の子孫にあたる七恵さんに支払われる形式になっています。ですが、七恵さんは戸籍を持たず、住民票もない。預金口座も七恵さん本人のものではありません。人魚の鱗が盗まれても警察に届出なかったのは、そうした事実を隠すためです」


 歩は、思わず七恵の横顔に目をやった。彼女の顔には、いつものように表情がなかった。


「人魚の鱗は寿命を奪う。しかし同時に、七恵さんが七恵さんであることを証明するものでもあるのです。代々の学園長は陰陽師おんみょうじ土御門つちみかど家の血をひく者が多く、七恵さんにかけられた人魚の呪いを解くべく研究を重ねていました。門外漢の私にはわからないのですが、相馬学園長は呪いの秘密に近づいていたのだと思います。これが屑籠くずかごから見つかった学園長のメモです」


 理事長の説明は信じがたいものだった。しかし、その内容を前提にすると、学園長の疲れた様子と机に積まれた書物が怪しげなものであることにも納得がいった。


 歩の前に置かれたメモは簡単なものだった。〖大日如来→スクナビコナ→ミズハノメ→オウイカヅチ→トヨタマヒメ→大日如来 禊、法要7日、赤玉(人魚)・白玉(七恵)〗とある。神の名前と大日如来が並んでいるのには違和感を覚えた。


「それから、引出しから航空券の半券やレンタカーの領収書が見つかりました。学園長は、東京から奈良、兵庫、福岡辺りを巡っていたようです」


 隈川が、領収書の数々をテーブルに並べた。


「矢印は旅のルートで、禊や法要はやるべきことでしょうね。赤玉と白玉は用意する道具でしょうか……。カッコの中の人魚と七恵という意味が分かりませんが……」


 歩は首をかしげた。図書館には様々な道具がある、と詩織が言ったのを思い出す。そこに赤玉と白玉があるのかもしれない。図書館に詳しい七恵ならわかると思ったが、彼女は心当たりがない、と首を横に振った。


「アユミさんが一昨日、学園長と話したことを教えていただけませんか? そこに何らかのヒントがあるかもしれません」


 隈川の質問に応じて、歩は一昨日のことを思い出しながら、言葉を選んで話した。


「私は、人魚の鱗が盗まれた現場の状況を魔法で見せてほしいと頼みに来たのです。それができるはずなのに、学園長には断られました。そして、七恵さんを守ると約束するなら、七恵さんの過去を見せよう、と誘われたのです。私は、おそらく六世紀ごろのこの地で、七恵さんが……」


 彼女を傷つけてはいけないと思い、眼をやる。相変わらず彼女はこけしのように、ただそこにいた。歩は、話を続けた。


「……私は、七恵さんが人魚と夫を刺し殺すところを見ました。その時、七恵さんは人魚に呪いをかけられたようです。私の記憶にあるのはそれだけです。私はそこで意識を失い、事務長さんに起こされるまで、ここに寝ていました」


「学園長は、他人に過去を見せる力を持っていたのですか?」


 隈川は学園長がその魔法を使うことを知らなかった。


「ええ。そのことは数人の生徒が知っていました。七恵さんも」


 七恵の横顔に目をやる。彼女は反応しなかった。


「それなのに、学園長は事件当日のありさまを再現しようとはしなかった」


 隈川が眉間にしわを寄せた。


「それをすれば、人魚の鱗のありかを、私が探す必要などないはずなのです」


「七恵さんは、そのことを知っているのに、あの時は黙っていたのですね。何故ですか?」


 隈川が尋ねる。


「わかりません」


 七恵が機械のように応じ、隈川の顔に失望の色が浮かんだ。


「可能性の話ですが……」歩は言った。「……七恵さんは、その時、魔法のことを思い出さないように、誰かに記憶をコントロールされていたのではないでしょうか?」


「それは学園長にということですか?」


 隈川が言う。


「ええ。学園長は、犯人をかばっていると思うのです」


「なるほど。とにかく、学園長を見つけ出して問いただしましょう」


 問題は原点に、……朋恵の失踪のことに戻った。


「メモの法要7日は、七日法要のことかもしれません。最近、誰か亡くなっていますか?」


 歩は昨年、祖父が亡くなった時のことを思い出していた。その時は法要など他人事だったけれど、人の運命や魂、あるいは社会を安定させる儀式として、意味があるものかもしれない。今更ながら強く感じた。


「葬式の後の法要のことですか?」


「ええ」


「特に関係者が亡くなったということはありませんが……」


 隈川が答え、七恵に視線を向けた。彼女も「知らない」と首を振った。


「それならば、法要を7日間続けるということかもしれませんね。呪いを解くための儀式なのかもしれません」


 歩は想像を言った。


「もしそうなら、22日から始めて28日か、29日に終わるということですね。法要というからには寺で行われているのでしょうか……?」


 隈川が顎をさすりながら自問する。


「……そういった儀式なら、何故、学園長は私に話さなかったのでしょう。隠す必要などないと思うが?」


 彼が言うのはもっともだった。学園長と理事長は、学園の経営でも、七恵の秘密を隠すという点でも協力関係にあるのだから……。


「あっ……」歩の頭を過るものだあった。「……儀式自体が理事長さんにも語れない、秘匿すべきことなのかもしれません。私が鱗や七恵さんのことを尋ねた時、話してしまうと準備したものが無駄になってしまう、とおっしゃっていましたから」


「なるほど。秘術、とでもいうようなものなのですな。七恵さんには、学園長が行きそうな寺に心当たりはないですか?」


 隈川が鋭い視線を七恵に向けた。


「私は分からない。大日如来を祭る寺はそう多くはないと思うけれど」


 七恵の口調は普段より大人びていた。けれど、感情がないのはいつもと同じだった。


「では、私と事務長で近隣の寺と、大日如来ゆかりの寺にあたってみます」


 立ち上がろうとする隈川を、歩は引きとめた。


「待ってください。学園長は、出張時に神社仏閣を巡って来たと言っていました。すでに大日如来ゆかりの寺も回った可能性があります。大日如来と法要にも関係がないのかもしれない。それに、学園長も大人でしょう。慌てて探す理由があるのですか?」


 歩が疑問を口にすると、隈川は整理された朋恵の机に視線をやった。


「実は、学園長が身辺整理をしている形跡があるのです」


 室内が整理されているのは、紅子だけがしたものではなさそうだった。


「まさか、……自死ですか?」


「さあ……、遺書らしきものはありません。が、今後の手続きの一覧やら連絡先が、まとめて封筒に入れられていたのです。そこには次の学園長候補の氏名もいくつかありまして……」


 隈川が不安の理由を述べた。


「先日の様子では、自死を考えていたとは思えません。ただ、とても疲れた様子ではありました」


「私のためですね」


 七恵がぼそっと言った。表情には出ないが、ひどく落ち込んでいる。歩はそう感じた。


 歩と七恵は、学園長室にあった古い書物を持って部屋を出た。その中に学園長が向かった場所の手掛かりがあるかもしれないと考えたからだ。


「自分のせいだとか、考えない方がいいわ」


 歩は慰めた。


「それよりも、学園長が行きそうな場所を早く探しましょう。その中に手掛かりが必ずあるはず。私も調べたいけど、残念ながら古い文字は読めない。七恵さんだけが頼りよ」


 図書館の地下に下りてテーブルに本を置くと、七恵は早速その中の一冊を手にした。


 歩は、テニスコートに向かった。学園長の愛弟子を自称する詩織なら、何か知っているかもしれないと考えていた。


 テニスコートを使っているのは大学生だった。歩は踵を返して寮の詩織の部屋を訪ねた。ノックをしても返事がない。SNSのメッセージにも返信はなかった。


 詩織がつかまったのは午後になってからだった。彼女は、いつものようにテニスコートにやって来た。


「お姉さま。私を待っていてくださったの?」


 彼女が長い髪をなびかせて駆けてくる。


「詩織さんの力が借りたいのよ」


「うれしい!」


 詩織が歩の手を取ってぴょんぴょんとはねた。


「詩織さんの魔法で、学園長の居場所を探してほしいの」


 学園長が危険な状態にあることには触れず、連絡が取りたいとだけ説明した。


「携帯はつながらないのですか?」


「詩織さんもメッセージの返信をくれないでしょ」


 歩は嫌味を言った。


「えへ。ちょっと、お姉さまを焦らしてあげたんです」


 彼女が小首をかしげる。可愛らしさアピールだ。


 状況が切迫している。歩は彼女の誘惑にのらなかった。いや、のれなかった。


「無理なら、学園長が足を運びそうな場所だけでも教えてちょうだい」


「お姉さまの頼みだもの。やってみます」


 詩織がテニスのコーチのもとに走り、練習を休むと告げて戻った。

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