第17話 七恵の告白
七恵はゾンビなのか? 人殺しなのか?……歩は真実を聞くために図書館の地下におりた。そして、七恵がいるはずの部屋の扉を開けた。廊下の一番手前の扉だ。
部屋には明かりが燈っていて、いつものように古い書物の匂いが漂っていた。机の上には数冊の本がきちんと揃えて積み上げられている。彼女の姿はなかった。
七恵は逃げたのか? 映像の真偽はともかく、彼女が人を殺したのは事実かもしれない。……疑惑が膨らんだ。
部屋の奥でゴトゴトと音がした。
書架を巡ってそこに向かう。
七恵は逃げてなどいなかった。小さな影が脚立の上で背伸びをし、本を取ろうとしていた。図書委員としての務めを果たしているのだ。
歩はそっと近づく。脅かして脚立から落ちては大変だ。
見上げるとスカートの中に目が行った。着替えをしているところを何度か目にしているから、彼女の下着の趣味は分かっている。それでも少しドキドキした。
「七恵さん、私が取るわよ」
良い子ぶった言葉だった。
「えっ?」
彼女が、いつもの無表情な顔で驚いた。
「……ありがとう」
そう言って脚立を降りた。
代わって歩が上った。指示されるままに古い本を取って、見上げる七恵に手渡した。彼女はそれを金属製のワゴンに載せた。
七恵の視線がスカートの中にあるような気がする。歩はさりげなく裾を抑えた。
「紫。……お姉さまは大人ですね」
七恵は、歩が言えないことを堂々と口にした。
「もう……」返す言葉がない。
数冊の本を探し終えると、七恵は金属製のワゴンを押して出入り口近くの机まで移動する。
歩はその後を無言で追った。
「お姉さま、何か用事なのでしょ?」
彼女は本を机に移しながら訊いた。
「実は確認したいことがあるの。変な話だから驚くかもしれないけれど、気にしないでね」
「話を聞かなければ、気になるかどうかはわかりません」
「それもそうね」
2人は椅子に掛ける。
「気になっていることが二つあって……」
歩はどちらから先に話そうかと迷う。口をついたのは、新しい方の疑問だった。
「ある人が変なことを言うのよ。七恵さんは、昔、人を殺した。剣で刺し殺したって」
七恵は笑うか、怒るだろうと思った。
「人を殺したというのは本当の話です。ずっとずっと昔の話」
彼女は感情のない声で応じた。
「冗談よね」
ついさっきまで疑っていたのに、本人にそうだと言われると逆に信じ難かった。
「冗談ではありません」
「まさか……。誰を殺したの?」
「お姉さまには関係ないことです」
歩は、七恵のプライベートな部分に入り込みすぎたことに気づいて口を閉じた。彼女が未成年者のために、罪を許されてこの学園にいるのか、あるいは今も保護観察中なのだろう。彼女は事件を忘れたくて、ずっと昔のことと言ったのに違いない。そう思い至ると後悔した。
沈黙は時間が固まったようなものだ。空調機の音だけが静かに埃っぽい空気を振動させていた。その沈黙を七恵が破った。
「お姉さま。もう一つの質問は、なんですか?」
「あ、え、ええ。それは……」
深呼吸をして、七恵を怒らせる覚悟を決めた。
「学園の卒業アルバムに、6年おきに1回、七恵さんと同じ顔をした子が必ずいるの。それをゾンビだなんていう人がいるから、私も困っちゃって」
「座敷童という人もいます」
七恵はいつもの声で言った。その視線を机の上の書物に落とした。まるで失った何かを探しているように見えた。
座敷童、小山咲良がそう呼ぶのを何度か聞いた。
「小山さんね。彼女、きっと悪気はないのよ。でも、今度、注意しておくわ」
それは嫌なことを聞いてしまったことに対する代償のつもりだった。
「いいえ、いいんです。気にしていませんから」
言葉と逆に気にしているように見える。歩は、地下に下りたことを、そして、ばかげた質問を繰り返したことを後悔した。
「誰にでも秘密はあると思います。アユミさんが男であるように、私が1500年も生きているように……。それで、卒業アルバムに何度も顔を出しているのです。そのことに気づいたのは、その人とお姉さまだけです」
「1500年?」
驚きのあまりに椅子から滑り落ちるところだった。
「……冗談よね? どう見たって中学生だもの」
歩は彼女が、冗談だ、と応じると思っていた。しかし、結果は逆だった。
「冗談ではありません。1500年前から私はこの姿なのです」
歩は言葉を探した。彼女の言葉を受け入れる、あるいは否定するための言葉を。
「……な、長生きの秘訣は?」
唇を突いて出たのはボケだった。真実と噓の間にそれがあった。そこで七恵が面白いことを言えば、話がスタートに戻るはずだった。
「私は人魚の呪いを受けたのです」
歩は、再び椅子からこけそうになった。
「ウソ……」
思わず口をついたのは、日頃から疑問に感じていた言葉だった。どうして人は、事実を聞かされて〝ウソー〟とか〝ホントウ?〟と応じるのだろう?
「本当のことです」
「……人魚ということは、盗まれた鱗と関係があるのね。……何があったの?」
納得できない事実の断片を、スペックの小さな脳で懸命に処理しながら言葉にした。まだ、半信半疑だった。
「話すだけ無駄なことです。お姉さまが聞いても事実が変わることはありません」
無表情な顔に似合う台詞だった。
「呪いを解くカギが見つかるかもしれないよ」
彼女は無駄だというように首を左右に振った。
「私は色々と試しました。1500年も時間があったのだもの。できることは何でもしてきました。でも、何も変わらなかった。そうして人は絶望していくのです」
歩には、いつもの彼女の顔が苦笑したように見えた。
「あきらめたら負けだよ」
「人生は、勝ち負けの問題ではないのです。与えられた条件の中で自分がどうあるか、という問題です。……私は人魚の鱗を守る道を選んだ。それが、私が生き続ける意味だと思った。でも、それもなくなりました」
人魚の鱗を失った絶望を、七恵が言った。
「あの鱗が人の寿命を奪うのに?」
「あれを守ることができるのは私だけなのです。私なら死なないから」
守るという彼女は、死にたいのかもしれない。……歩はそう思った。
彼女は人形のように固まって動かない。
死なないというのは、どんな気持ちなのだろう?……想像することもできなかった。
無機質なチャイムが遠くで鳴っていた。正午を知らせるチャイムだ。
「行こうか?」
彼女がコクリと首を縦に振る。
廊下でざわざわと空気が流れた。歩は、自分の気持ちが感覚に反映しているのだろうと思った。
2人はコンビニに向かい、いつものように手をつなぐ。見た目はいつもと同じでも、2人はそれまでより深いところで結ばれていた。
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