第14話 雷

 玉麗のおごりということで、居酒屋福労に足を運んだ歩と梅世、栄花の3人。店はランチタイムには少し早く空いていた。


「今日の日替定食は、トンカツね。日替定食、三つ」


 梅世が店員に向かって指を三本立てた。


「待ってください」


 歩は声を上げた。自分でも嫌になるほどとげのある声だった。


「玉麗さんがおごってくれるというんだから、もっと高いのを注文しませんか?」


 実は、日替わりランチに不満はなかった。ただ、梅世にメニューの選択権を奪われたことが面白くなかった。


「何を言うのよ。玉麗さんは大物に見えてなのよ。おまけに根に持つタイプ。こんな時に高いものを注文したら、ボーナスの査定に響くわよ」


 梅世の言葉には説得力があった。


「なるほど。そういう人ですか……」


「多かれ少なかれ、経営者というのは、そういうものよ。トイレットペーパーの種類にまで口を出す人だっているんだから」


「へー、どんな風にですか?」


「ダブルは使いすぎるから、シングルに……」


 彼女の話が終わるより早く、店員の細井さんが日替わりランチを運んできた。


「日替わりランチ三つ、お待たせしました」


 その声が微妙に震えている。彼女は、目の前の女性が歩の女装だと気づいているのに違いなかった。当然だ。梅世と普段通りに話していたのだから……。


「痛いな」


 歩がつぶやくと、梅世と栄花が箸を止めた。


「何が痛いの?」


「視線です。みんなが僕のほうを見ている」


 調理場へ続く通路で、店員たちがヒソヒソ話しながらスマホのレンズを向けていた。


「細井ちゃんよりアユミのほうがきれいだから安心しなさい」


 店員の名を出し、栄花が微妙な励まし方をした。


「やられた……」歩は気づいた。「……玉麗さんは、わざと僕をこの店に入れて楽しんでいるんだ」


「女王様はいたずら好きなのよ」


 栄花がいう。


「これは、社員に対するパワハラですよ」


 歩が断じた時、隣の席に二つの影が座った。玉麗と好子だ。


「何がパワハラだって?」


 好子が笑った。


「トレーニングよ。細井ちゃん、日替わりランチね」


 玉麗が手を上げる。


「アユミちゃん、美味しいでしょ?」


 彼女が歩のトンカツを指してにんまり笑った。


「美味いものを食べるのも、世間の注目を浴びるのも悪くないでしょ? きっと癖になるわよ」


 好子の言葉が歩の頭上を通り過ぎた。


「女装男子でも雇ってもらえますか?」


「もちろん。能力さえあれば、サルでも歓迎するわ」


 玉麗がさらりと応じた。


 言葉のムチと店員の視線……、歩が感じるのは苦痛ではなく屈辱だ。それが食事を終えて車の席に座るころには、試練を乗り越えた充実感に変わっていた。


 梅世が運転する車は、スピードバンプの設置されたをゆっくり進んだ。バンプによって車を減速させ、歩行者が買い物しやすい環境を作ったはずだが、商店街に人影は少なくシャッターの下りた店舗ばかりだ。歩が何度か足を運んだアイドルのフィギュアやポスターがならぶ模型専門店のショーウインドウだけは、いつものように美しく飾られていた。肌もあらわな美少女戦士のフィギュアがこちらをじっと見ている。


 美少女戦士に目をやりながら、経済も人の心も、望んだようには変わらないと考えた。


 車は地方テレビ局の前を通って涅槃山のすそ野を東に曲がった。そこから聖オーヴァル学園は目と鼻の先だ。


「玉麗さんはあんな言い方しかできないけれど、アユミちゃんを応援しているのよ」


 思い出したように梅世が話した。


「アユムです」


「細かいのね。そんなことだから女王様が怒るのよ」


 栄花が大人のような口をきく。


「名前を正しく言ってもらうのは、細かい事じゃないと思うよ」


「ほらほら、それがいけないのよ。アユミちゃん」


 梅世が指摘した。


「歩です」


「がんばれ、アユミ!」と栄花。


「歩だよ」


 車は学園に到着。3人の漫才は終わった。


 歩が車を降りると「じゃあね」と梅世が手を振った。車はもと来た道を引き返す。


「がんばれ、アユミ! 応援しているよ」


 栄花が車の窓から上半身を乗り出して手を振っていた。


「歩だよ!」


 歩は叫んだ。


「……まったく、なんて親子だ」


 車が見えなくなってから校門をくぐった。


「アユミさん、どうしたの?」


「歩だよ」


 うっかり応えてから、声が香苗のものだと気付いた。大木の陰から彼女が姿を現した。


「あ、あれれ、……なあに、香苗さん?」


「あれれ、って。なんだか変よ、生理?」


 彼女がトントンと駆け寄ってくる。


「違います!」


 女子大生に恥じらいはないのか、と胸の内で突っ込んだ。漫才の乗りが復活していた。


 歩は図書館に向かう。そこで検討したいことがあった。


「ねえ、ねえ……」気安く香苗が隣に並ぶ。「……今晩、合コンするんだけど、来ない? みんな就活や帰省していてさ。頭数が足りないのよ」


 親の会社に就職する彼女はのんきだった。


「ふーん。どこの人とやるの?」


 就活不要の香苗にやっかみながら、話を合わせた。


「F大学、現代文化愛好会」


 それは歩が席を置いていたサークルだ。


「ごめんなさい。無理だわ」当然、即答。


「どうしてよ、生理じゃないんでしょ?」


 どうしてそうなる!……歩はつっこむ。


「私、アニメが嫌いなの」


 まるで隠れキリシタンがマリア像を踏んだような気持だった。ごめんなさい、イエス様。手塚治虫様……。


「座っているだけでいいからさ。……話しをしなくても、飲んでいるだけでいいからさ。……お金もいらないんだよ。呑み放題だよ」


 香苗はしつこかった。座っているだけなら七恵と同じではないか、と思いながら図書館に向かう足を速めた。


 ――ドーンー!――


 涅槃山の山頂で大きな雷鳴がした。それから空気の激しい振動……。衝撃波だ。全身の肌がしびれる感覚があった。雷が落ちたのだ。


「キャァ!」


 悲鳴を上げた香苗が歩に抱き着いた。悲鳴こそ上げなかったが、歩も香苗に抱きついた。柔らかく気持ちがいい。男子のごうが鎌首をもたげた。


 見る見る間に、厚い黒雲が空を覆う。


「雨になるわよ」


 歩は香苗の手を引いて校舎に向かって走る。


「セーフ」


 2人が建物に入った途端、ゲリラ豪雨が学園を襲った。車軸のような雨が降りそそぎ、雨水は校庭を池に変え、通路を川に変えた。


「もう、何よ、これ!」


「雷様の祟りじゃー」


 校庭でクラブ活動をしていた生徒たちが悲鳴を上げながら逃げ惑い、校舎に飛び込んだ。


「とにかく、合コンは無理なの。ごめんなさいね」


 歩は腕にしがみついた香苗を振り切り、図書館に向かった。


 ――ゴロゴロゴロ――


 雷鳴が図書館を震わせる。稲光が室内に幾何学模様を作った。


 最上階の学習室に入り、窓ガラスを滝のように流れる雨をながめた。いつもなら遠くまで見渡せる窓も、黒雲が光を吸い取ってゆがんだ鏡に変えている。時々稲妻が走って鏡の向こう側に街並みを映した。


「確かに、雷様の祟りだわ」そんな表現がぴったりの景色だった。


 雷は何に祟っているのだろう?……自分でないことを願う。


 背後のドアが静かに開いた。その様子が、ゆがんだ鏡に映る。


「お姉さま、ごきげんよう。いいかしら?」


 詩織だった。聖オーヴァル学園の紋章の入ったウインドブレーカーが濡れていた。雨の中を走ったようで、髪も結んだリボンも濡れている。


「ごきげんよう。もちろん、いいわよ」


 ごきげんではなかったけれど、何も手につかないので時間つぶしの相手を歓迎した。


 詩織の後ろから同じウインドブレーカー姿の少女が4人続いた。2人は詩織の取り巻きの由香里ゆかり茉緒まおで、後の2人は歩が初めて見る顔だ。


「ごきげんよう」と少女たちは言う。


「この子たちは1年のマリエと葉月はづき」


 詩織が紹介すると彼女たちは「よろしくお願いします」と握手を求めた。


「ひどい雨ですね。クラブが中止になりました」


 詩織が窓に近い席に座った。そのほかの少女も、おもいおもいの場所に座る。詩織の正面の席が空けられたのは、彼女たちの配慮だ。


「三月の雷は珍しいわね。濡れているから着替えたほうがいいんじゃない。風邪をひくわよ」


 話しながら、詩織の正面に座った。


「大丈夫です。濡れたのはほんの少しですから。雷のおかげでお姉さまとお話が出来ます」


 そう言う葉月の痩やせこけた姿は骸骨がいこつのようだ。歩の基準では28点、……ワースト記録だった。


「みんなアユミお姉さまのファンなんです」


 詩織が言うと、他の少女たちも口々に同じようなことを言った。


「そうなの? ありがとう」


 お世辞だとしても嬉しかった。


 少女たちは持っていたカバンから菓子と飲み物を取り出してテーブルの上に並べ、歩に質問を浴びせた。それから音楽やドラマの話題で盛り上がり、話題が男性のことに移ると、歌手の誰がいいとか、俳優の誰が素敵だという話に変わった。


 行き着く先は恋人がいるかいないかといった話で、友達の好きな男子の名前を聞き出そうとし、憧れの人を振り向かせる方法を話し合った。


「魔法で男性の気持ちをきつけることはできないの?」


 歩は魔法に詳しい詩織に尋ねた。


「できまますよ」


 詩織がさらりと答えたのは予想外だった。「えーっ」とか、「キャー」とか、他の少女たちが奇声を上げた。


「でも、魔法で手に入れた男子の気持ちは、魔法が切れると離れやすいのです。だから、魔法の効果がある間にしっかりと相手の気持ちをつかみきらないといけない。結局、努力をしないといけないことに変わりはないの。それなら魔法を使わずに、最初から愛される工夫をしたほうがいいと思うでしょ?」


 詩織が大人のような正論を言う。歩は眼をぱちくりさせた。


「あのあの、ずーっと、魔法を効かせておくことはできないのですか?」


 マリエが訊いた。


「難しいと思うわね。魔法は一定の期間がすぎれば解けるものだし、何度もかければかかりにくくなるものなのよ」


「魔法で愛されている間に、殺してしまえばいいのよ」


 茉緒が言った。


「やだ、怖い」


 少女たちが一斉に声を上げた。


「アユミさんは、恋人がいるのですか?」


 由香里が訊く。


「私は、いないわよ」


 即答できるのが情けない。


「気になっている人は?」


「そうねぇ」


 脳裏に玉麗が浮かんだ。それはない、と強く打ち消す。七恵の能面のような顔が通り過ぎ、詩織の顔が目の前に残った。


「だめだわ。いい男がいない」


 歩が言うと、少女たちが「やったー」と声を上げた。


「どうかしたの?」


 頬を染めた詩織に訊いた。


「私たちアユミお姉さまのファンだから、シングルでいてほしいんです」


「今の最大のライバルは、七恵さんです」


 由香里が詩織を見ながら言った。


「よく、お姉さまが七恵さんと手をつないでコンビニに入るのが目撃されています」


「七恵さんとは、どういう関係なんですか?」


 歩は頭を傾ける。その顔を少女たちが穴の開くほど見つめた。


「彼女が外を出歩くのは怖いと言うから、それで手をつないでいるのよ」


「ふーん」「カマトトね」


 納得した少女も、しない少女もいた。


 詩織は何も言わず、顎の下に人差指を置いて首を傾けている。その唇が開かないことに歩は緊張した。時によって沈黙は不気味だ。まるで心をのぞかれたように感じる。


 午後5時のチャイムが鳴った。雨はとっくに止んでいた。空は血のような夕焼けに染まり、雨に洗われた街はスポットライトに照らされたジオラマのように見えた。


「もうこんな時間」


 少女たちは驚きながら、自分たちの過ごした時間の充実さに喜んだ。


「今日は楽しかったわ。またお話させてくださいね」


 詩織が立った。


「ごきげんよう」


 少女たちが口々に言って学習室を出ていく。


 歩はへとへとだった。女装がバレないようにしていたために、神経が擦り減っていた。少し時間をおいてからそこを離れた。


 階段を下りたところで、七恵がいつもと同じ顔で待っていた。その顔はあどけなく、今朝、彼女が歩のキノコを握ったというのが信じられなかった。


「コンビニ、行く?」


「ハイ」


 坂道はすでに乾いていた。2人は肩を並べて歩き、交差点の信号の前でどちらからともなく手をつないだ。


 七恵は、歩が男だと知っても態度を変えなかった。むしろ歩のほうが、七恵を異性として、というより、自分を男として意識していた。


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