第12話 ゾンビ?

 夢の中という自覚があった。玉麗の前で踊っていると、いつの間にか彼女の顔が長い髪の少女に変わった。少女は泣いている。


「僕が悪いの?」


 歩は困惑する。


 少女が目を吊り上げて怒り出す。


「なぜ、私に冷たい態度をとるの」


 少女は歩にのしかかり、どこからともなくメガネを取り出した。それを掛けた姿は、吾妻小百合だった。


「エッ!」


 歩は彼女の重みを感じて目を覚ます。身体を預けていたのは小百合ではなく、こけし顔の七恵だった。子供だから寝ぼけてベッドを移るのだと思っていたが、毎日同じことが続くので、別な理由があるのだろう。気になるところだが、彼女のことより盗まれた人魚の鱗の捜索を優先すべき時だ。


「アッ……」


 学園長が魔法でそれを探していることを思い出して力が抜けた。時刻も午前4時、とても眠い。そんなだから、昨日のことも忘れていたのだ。


 いつものように、もぐら模様のパジャマ姿の七恵を彼女のベッドに戻し、眠りなおそうと横になった。が、頭の中に小百合の顔がちらついて眠れなかった。


「まったく、不思議少女ね」


 女言葉が自然になった自分も不思議に思いながら、浴室に足を運んだ。


 シャンプーをしながら七恵のことを考えた。どれほど読書をしたというのだろう。自分は英語の読み書きも満足にできないのに、中学2年生の彼女は、純文学からSM小説まで読み漁り、ラテン語の聖書までも理解している。


 きっと彼女は天才なのだ。僕ならよほどの奇跡が起きない限りありえない。


「奇跡!」


 その言葉が、多くの謎を説明してくれるのではないか、と思った。


 午前8時30分。歩は図書館が開くのを待って通用口から駆け込んだ。七恵を部屋に置き去りにしたのは初めてだった。


 卒業アルバムの並ぶ書架の前に座り込み、吾妻小百合の写真が載った卒業アルバムの前年、更にその前の年と、年をさかのぼって卒業アルバムをめくった。


「あった」


 それは吾妻小百合が卒業した年よりも更に6年前の卒業アルバムだ。


 名前は大隈美和おおくまみわ。やはり七恵とよく似た少女の顔がある。髪はショートでメガネはかけていない。左目の下に目立つ泣き黒子があるけれど、そういった小さな差異を除けば七恵そのものだった。


 歩は、更に古い卒業アルバムをめくる。


「また……」


 6年前のアルバムに宮畑七恵みやはたななえの名前があった。やはり髪型は違うけれど、その顔は七恵のものに違いない。


 更に6年前のアルバムを取ってページを開くと福島小百合という名の七恵がいた。


 歩は6年ごとの中等部と高等部の卒業アルバムを抱えて学習室に入り、すべてのアルバムを開いてテーブルに並べた。そうすると、七恵の顔は約50年前から今日に至るまで、変わっていないとわかった。


「これは奇跡だ」


 歩はうなった。奇跡は七恵の能力ではなく、七恵そのものだ。


「そうよ。奇跡なの」


 背後から聞こえた声は詩織のものだった。


 振り返ると、ツインテールに淡いブルーに白いリボンがついたワンピース姿の彼女がいた。その美しさが眩しかった。


「どうしてここに?」


「ごめんなさい。図書館の前でお姉さまを見かけて、尾行していたの」


 詩織はアルバムに視線を向け、テーブルの前に立った。


「なぜ、奇跡のことを知っているの?」


「私も調べていたの。ひとり部屋にいて、授業にもあまり出ずに図書館にこもっている七恵さんのことを」


「学年が違うのにどうして?」


「従妹の卒業アルバムに、同じ顔があったから」


「吾妻小百合さん?」


「ええ。調べてみたら、彼女は6年ごとに高等部卒業と中等部入学を繰り返している。大学に進学しないのは、顔が子供っぽいからだと思います。普段、この学園を出ることはなく、家族が訪ねて来ることもない。彼女と親しくしているのは理事長と学園長だけ。……七恵さんが6年ごとに名前を替えて再度入学できるのも、歴代の理事長と学園長が手配しているからです。そのことに七恵さんが気付かないのは、学園長が魔法で七恵さんの記憶を書き換えているからだと思います」


 詩織が淡々と説明した。


「そんなこと……」できるはずがない。そう頭の中で言いながら、声にはできなかった。合理的にはあり得ないことにもかかわらず、目の前に並んだ卒業アルバムの七恵の顔が、詩織の説に信憑性を与えている。


 あるはずがない。……どうしようもないほど動揺していた。全身から力が抜けて椅子に腰を落とした。


 詩織が歩の隣に座る。


「記憶の操作は可能なのです。学園長クラスの能力があれば」


「七恵さんはそのことを知らないのね?」


「ええ。さり気なく聞いてみたことがあります。彼女は自分が普通の生徒だと思っています」


「信じられないわ」


 歩はアルバムの中の七恵の顔に視線を落とす。どの顔も、硬い表情を作っていた。


「私は、七恵さんが学園の力で生かされているゾンビだと思うのです。同室になったお姉さまも、最初はゾンビではないかと疑いました。でも違った……」


 彼女がホッと吐息をもらした。


 歩は、詩織が空想癖の強い少女だと思ったが、すぐに否定した。未知の力を想定しなければ、目の前に並んだ卒業写真が証明している七恵の奇跡を説明できないからだ。ゾンビという詩織の解釈のほうが、直面している現実を合理的に説明できるだろう。人魚の鱗の盗難事件捜査に、学園長が過去を見る能力を利用しないのも、七恵がゾンビでそれを知られないようにするためなら理屈が通る。ゾンビ、記憶操作魔法、過去透視魔法……。歩はその存在を仮定した。


「ゾンビなんて、本当にいるのかしら?」


 それは確固たる証拠を確認するための質問だ。


「陰陽師は式神を使います」


 式神のことは七恵の口からも聞いていた。信じてはいないが、仮定はできる。歩はうなずいた。


「式神は霊魂の一種で、それを式札しきふだという紙に宿らせて実体化させるのです。聖オーヴァル学園は、生命エネルギーであるエロスを研究している学園です。研究の結果、エロスの式神を、遺体を式札として体内に宿らせることに成功したのではないでしょうか?……卒業アルバムもない時代、当時の魔術師が不老不死のゾンビを創造したのだと思います」


 彼女が真顔で言った。


「本当の七恵さんは死んでいて、体内にある魂は学園が実験で作り出した式神だというのね」


「ええ。ここの地下の一室は魔術関係の本でいっぱいです。そこには本や資料だけでなく、道具や材料までそろっているのです。きっとそこに、七恵さんを創造した術を書いた本があると思うので時々見に行くのですが、まだ見つかっていません。私の顔を見ると七恵さんも嫌な顔をするし……。彼女、地下を自分のものだと思っているんですよ。きっと」


 詩織が顔を曇らせた。


 図書館だから呪いの本があっても不思議ではない。歩自身が学園長の机の上に祟りや呪いに関する古い書物が並んでいるのを見たばかりだ。もっとも、道具や材料までそろえているとなれば、普通の図書館ではない。しかし、それよりすごいのは七恵の表情で感情を理解できる詩織だ。七恵の顔はのっぺりしていて、口元や目元の筋肉が少し動くのがわかる程度だ。彼女がゾンビだから無表情なのだと説明されて納得してしまうレベルだ。


「七恵さんが嫌な顔をするのがわかるの?」


「もちろん、わかりますよ」


 詩織の微笑が魅惑的で、胸の中の違和感が溶けて消えた。


「もし七恵さんがゾンビなら、学園側は私を同室にするかしら。秘密がばれるリスクが大きすぎない?」


 生活スタイルや乳房から七恵がロボットではないと判断したように、コンビニを恐れ大量の本を読む七恵がゾンビとは信じがたい。


「きっと、実験しているんですよ」


「実験?」


「お姉さまが、七恵さんをゾンビだと見破ることができるかどうか。あるいは、お姉さまをゾンビの餌食にしようとか……」


 彼女は真顔だった。


「恐ろしいことを言わないで。私、ホラーは苦手なのよ」


 もしも詩織の言う通り、歩を七恵と同室にするのが目的なら、学園のいう人魚の鱗の盗難自体が偽りの可能性もあるのではないか? いやいや、それでは仕掛けが大きすぎる。実験なら、学園の生徒を同室にすればすむことだ。


 少なくとも人魚の鱗の盗難は、七恵がゾンビだという可能性とは切り離してみるべきだ。……ひとつ、答えを出した。が、まったく前進した気がしない。


「こういうことは本人に聞くのが早いわね」


 歩は立ちあがる。少なくとも七恵なら、そうした質問に率直に答えてくれるだろう。


「待って……」詩織が腕を握った。「……話さないほうがいいですよ。自分が6年サイクルで同じ生活を送っていると知ったら、彼女の精神は崩壊してしまうかもしれない。映画のフランケンシュタインみたいに暴走したら大変です」


「まさか……」フランケンシュタインは、創造主の博士のコントロールを離れて、市民を傷つけた。身長140センチほどの七恵が暴走したところで止めるのは簡単に思えるけれど、七恵が七恵でなくなってしまう様を想像するのは気分が良くなかった。


 詩織の不安を解消できる根拠がなく、歩はよろけて腰を下ろした。


 長い沈黙の時があった。そして突然、正午を知らせるチャイムが鳴った。異様に大きな音だった。いや、そう聞こえた。


「お姉さま、お昼です。食事に行きましょう」


 詩織に手を引かれて腰を上げた。


 2人が学習室を出て階下に降りると、1階に七恵がいた。下りていく歩を見上げている。歩がくるのを待っていたのだ。


「あっ」と声をもらしたのは詩織だった。


 3人がそれぞれの目の前に並んだ顔を見まわし、困惑が渦巻く。


「私、午後はクラブだから、行きますね」


 詩織が機転を利かす。ところが立ち去り際、「あのことはですよ」と声にした。七恵に聞かせようという悪意を感じた。


 歩は慌てたが、七恵が詩織の言うに関心を示すことはなかった。2人は、いつものように手をつないでコンビニに足を向けた。歩は時折、その手を見つめてゾンビにも体温があるのだろうか、と考えた。


 昼食は何を食べたのか覚えていない。味の記憶もなく、いつの間にか弁当箱は空になっていた。歩が見ていたのは、七恵の口元ばかりだ。


「お姉さま、今日は変です」


 七恵が感情のない声で言った。 


「気のせいよ」


 当然、ゾンビやフランケンシュタインの話には触れなかった。


 食事がすむと一緒に寮を出た。七恵はいつものように図書館の地下に向かい、歩は渡り廊下で足を止めて空を見上げた。天はどこまでも青く、空気はどこまでも清らかで、日差しはどこまでも優しい。小鳥の声が鈴のように鳴っている。


 こんな天気の良い時ぐらい、図書館を出て外を歩いたらどうだろう、と思いながらトコトコと足を運ぶ七恵の背中を見送った。


 彼女の姿が見えなくなってから、同じ行動を繰り返す七恵は、やはりゾンビなのかもしれないと考えた。


「彼女は読書好きな知的ゾンビだ。そして私は人間だ」


 自分に言い聞かせ、一歩を進めた。人間なら自分で考え、自分の意思のもとに行動すべきだ。習慣に流されるだけてはいけない。


 春風に誘われるまま、裏山を散策することにした。校門を出て、コンビニとは反対に坂を上る。まだ芽吹いたばかりの木々の葉は小さく、春の日差しは地面にまで届いていた。フキノトウは小さな花を開き、フクジュソウがぽつぽつと黄色い花で殺伐とした大地を飾っている。


 アスファルト舗装の道はうねりながら山の奥に続いていた。


 人魚の鱗を盗んだ犯人が、この道を自分のように歩いて逃げたかもしれない。そんな想像をしてみたが、信じてはいなかった。昔話ならともかく、今どきの泥棒なら車で遠くに逃げるほうが理にかなっている。さっさと山を下り、遠く離れた別の地で鱗を売るなり使うなりするだろう。


「犯人は……」第一発見者の七恵と秘密を抱える学園長の顔が浮かぶ。そして七恵の秘密を調べる詩織の顔が浮かんだが、釈然としない。彼女らの秘密は、窃盗事件とはとても縁遠いものに感じた。


 すれ違う人もなく、追い越す車もない。木々に囲まれた道を歩いていると、この世には天と地と道だけしかないように感じられた。そこに自分がぽつんと置いて行かれた感覚は、とても心細い。誰かにそんな胸の内を話したいと思ってスマホを手にした。


 ――ギャー、ギャー……、その不気味な鳴き声に身がすくむ。音の元は杉の枝にとまった沢山のカラスたちだ。


「脅かさないでよ。本当に熊野神社の使いなの?」


 歩は道を引き返した。大河のような習慣に竿さおをさしたからといって、望んだように向きを変えられるものではないらしい。肝に銘じた。

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