第11話 信じるべきか、疑うべきか

 歩は玉麗の前で踊り、冷や汗をかく。夢の中での出来事だ。


 息苦しさを覚えて目を覚ますと、いつものように七恵が胸に乗って寝ていた。時刻は午前5時、まだ眠気が残っていた。


 七恵を抱き上げてベッドに戻し、シャワーを浴びて体毛を抜く。それらの行動は、すっかり生活のルーティンになった。


 七恵が目覚めた後で2人は朝食を胃袋に流し込み、ホワイトデーにもらったお菓子をつまんでから図書館に向かった。


「一昨日、詩織さんに桃の花を出す魔法を見せられたけど、授業でそういう魔法を教えているの?」


 歩きながら尋ねると、七恵が首を傾げた。


「魔法を教えているのは本当ですが、物を取り出すようなものは教えません。お姉さまが見せられたのは手品だと思う」


「そうよね、良かった」


 素直にほっとする。ゲームでやるような魔法があってはたまらない。炎で攻撃したり死人が生き返ったりしたら、自分だけでなく世の中の価値観が根底から覆くつがえってしまう。


「良かった?」


 いつも無関心な七恵が、関心を示した。


「黒魔法とか、白魔法とか、ゲームの世界のような魔法があったら怖いもの」


「私たちが知らないだけで、あるかもしれません」


 彼女が表情を変えずに言う。まるで、魔法はあると、確信があるような言い方だった。


「魔法が本当にあるなら、それで犯人がわかるじゃない? 過去を見たり、盗まれた鱗を呼び寄せたり……。授業では、どんな魔法を習っているの?」


 我ながら嫌味な言い方をしたものだ、と思った。


「怪我の治療をしたり、動物の声を聞いたりするようなものです」


 自己暗示のようなものか。……胸中、笑いながら嫌味な質問を重ねることにした。


「魔法って、どんな原理なの?」


 魔法どころか、占いもおみくじも歩は信じていない。


陰陽師おんみょうじを知っていますか?」


「ええ、映画で見たわ。式神を操ったり、悪霊と戦ったり、すごいわよね」


「映画ですか……」


 七恵は失望を隠さなかった。言葉が途切れたのを、歩はそう解釈した。


「違うの?」


「似て非なるものです。どちらかと言えば、占いに近いといえます。術の結果も映画のように目に見えるものは少なと思います。多くは自然の気の流れに反しないように人々を導き、人の心に働きかけていやしたり勇気を与えたりします。時にはだましたり失望させたりして力を奪います」


「精神に影響を与える暗示の類ということね」


 言葉にしながら納得した。


「ほとんどのものが、そういったものです。人の思い込みを利用したり、無意識の壁を取り払って異常な力を引き出したりもする。その陰陽術に西洋式の魔術の要素を加えたものが授業で教える魔法です」


「催眠術みたいなものね」


「そうかもしれません。人を殺したり、物の形を変えたりするようなものではないのです。生きる力を失って死んでしまった人もいるようですが、それはレアなケースです」


「過去や未来は見られない?」


 歩はからかったつもりだった。


「過去を見る魔法が使えるのは、学園長だけです。遺失物を呼び寄せる魔法は知りません」


「まさか! できるの?」


 思わず声が裏返った。それなら学園長は人魚の鱗を盗んだ犯人を知っていてもおかしくない。……いやいや、と理性が否定する。インチキ占い師だって、他人の過去を言い当てる。条件で絞り込み、誰にも共通するような当たり障りのないことを言うのは可能だ。


「誰でも過去や未来を想像することが出来ます。それを信じるかどうかは本人次第です」


 七恵が言った。


 歩は、やっぱり、と思う。学園長が使う魔法も占いのレベルに違いない。


「見せる過去は、偽物だと言うこと?」


「過去を知っている人の脳には無意識の内に記憶が残っていますから、それを呼び覚ませば過去を見せたことになります。記憶を見たのであれば、それはおそらく現実にあったことで、本人にとっての真実です。記憶のない人の場合、たとえ間違った過去を見せられても、本人は反証できません」


「明確な過去の事実を問い質して、テストをすることはできると思うけど」


「わかりきっていることを魔法で調べて何になります? その発想を試した時点で、それは魔法ではなくなってしまうのです」


 歩には、七恵の話が理解できなかったが、そんなことはどうでもよかった。ポイントは、学園長が魔法を使って人魚の鱗が盗まれる現場を見なかったのか? もし見たとしたなら、何故、犯人を明らかにしないのか? ということだった。


「人魚の鱗の盗難が分かった時、たとえ学園長が魔法を使っても、無意識の中に犯人の姿がなければ、犯人はわからないということね?」


 歩は、念のために確認した。


「学園長ならば、犯人が金庫の前に立つ姿を描くことができたのかもしれません。物に残る残留思念というものを呼び出せたはず……」


「残留思念?」


「ハイ。式神しきがみを呼ぶのと同じ原理だそうです。私にはできないことです。でも、どうして学園長は、それをしなかったのでしょう?」


 七恵が首をかしげた。


「ねえ、人魚の鱗が盗まれた現場で、七恵さんは学園長に過去を見せてもらおうと思わなかったの。犯人がわかったはずよね?」


「そのことを、今まで忘れていました。何故でしょう?」


 2人は図書館の通用門をくぐり、奥まで歩いて別れた。七恵は地下へ、歩は階段を上り、4階の学習室に。


 学園長はどうして魔法を使って盗まれた〝その時〟を見ようとしなかったのか? それとも、見ても知らない振りをしているだけなのか?……見晴らしの良い窓から街を見下ろしながら考えた。


 そしてひとつの答えに達した。学園長は過去を見る魔法など使えないのだ、と……。


 もう一つの謎の答えは簡単には見つからなかった。七恵は、学園長が過去を見ることができることを、どうして隠していたのだろう? 本人は学園長がそうした魔法を使えると、たった今まで忘れてしまっていたと話していたけれど……。


 歩は、その答えを催眠術に求めた。七恵は催眠術をかけられ、忘れさせられていたのに違いない。


 では、誰に?


 〖誰が記憶を消した?〗


 歩はノートに書いた。


 犯人は、人魚の鱗を盗んだだけでなく、催眠術で学園長と七恵の記憶に干渉し、魔法で過去を見ることができるという知識を消したのだ。


 しかし!……そこで歩は再び壁にぶち当たった。


 学園長の魔法がインチキなら、犯人は、七恵に過去を見る魔法に関する知識を忘れさせる必要がなかったはずだ。魔法を使ったところで自分の犯罪が発覚するはずがないのだから。


「クッソー」


 堂々巡りする思索に腹を立てた。


「魔法を忘れさせる必要があるということは、魔法が本物だということよね。……オカルトじみてきたわ」


 論理と科学とアニメとエロゲーを信じてきた。魔法を前提に事件を考えるということは、自分自身の世界観や価値観を疑うということだ。それは自殺行為に等しい。頭が混乱し、深く考えることを止めた。


 魔法問題は棚上げだ。実に日本人的だ!……両手をポンと打ち、仕切り直した。


「やるぞ!」


 頭を切り替えて住所録を開く。そうして始めた電話での聞き取り調査で、時間を浪費した。


 昼を迎えるころには石川啄木いしかわたくぼくの気持ちがわかった。


「かけても、かけても、鱗は見つからず、じっとスマホを見る」


 それは、成果の無い就活と同じで、歩からを奪った。


 ――科学的であることが現代の経営には求められています。それに加えて、企業では、効率的と成果が重視されます――


 どこか遠いところで現代産業論の教授の講義が過った。


「簡単なことじゃないか!」


 思わず声をあげていた。


 陰陽も魔法も祟りも信じてみよう。再現性があるなら、それは非科学的なことじゃない。効率的に結果が出せるなら、学園長の魔法を使うべきだ。……歩は学習室を飛び出していた。


 客観的に見れば、ほんの数時間前に棚上げしたを棚から下ろして解釈を変えた日和見ひよりみは笑われるべきことだ。簡単な方向に逃げたともいえる。それでも、歩は一歩進んだ。


君子豹変くんしひょうへんす


 自分を君子と言っていいかどうかは別として、自分の理屈を正当化しながら階段を駆け下りた。


「ごきげんよう、廊下を走ってはいけませんよ」


 見知らぬ大学生の言葉が歩を追った。


 図書館を飛び出すと管理棟に向かう。


 ――トントントン――


 学園長室のドアをノックした。返事がないので3度繰り返した。4度目はあきらめて、隣の事務室に紅子を訪ねた。


「学園長なら出張ですよ。文科省に行って、その後は地方の神社仏閣を回ってみそぎや祈願をすると言っていたわね。人魚の鱗が戻るように、祈って来るのではないかしら。学園に帰るのは5日後よ」


「禊ですか……」


「それが、何か?」


「いえ、結構です」


 歩は事務室を後にした。


 学園長は過去を見るために何らかの手続きをしているのだ。そう解釈した。実際の魔法は、ゲーム内の魔法ほど簡単には使えないのに違いない。


 魔法が成功して過去がわかれば、犯人は特定され人魚の鱗も取り返すことができる。そう考えると気持ちが楽になり、心に余裕が生まれた。結果、よこしまな欲望が頭をもたげた。


 歩の少女好きの本能がむくむくと目覚めた。調査を名目に、クラブ活動に励む少女たちを見て回ることにした。


 女装に慣れた歩は、人目をはばからずに足を止めて観賞する。


 テニスコートには花のように目立つ詩織がいた。あれで性格が良かったら、と残念に思う。ボールを打ち合っている相手は取り巻きたちで、詩織はコート上でおろおろしていた。地区大会一回戦突破も難しそうだ、と同情した。


 コートの周囲には中等部の生徒が準備運動を始めていて、意外にも七恵を座敷童と呼ぶ咲良の姿があった。背が高いのでバレーボールかバスケットボールをしていると勝手に決めていたのだ。


 グラウンドでは、陸上部とソフトボール部が練習をしていた。みんな真っ黒に日焼けしていて、歩よりも筋肉質の少女が多い。少しだけうらやましいと思いながら体育館へ移動した。そこではバスケット部と新体操部が練習をしていて、レオタード姿で跳躍する少女たちの姿が歩の目をくぎ付けにした。


「バスケ、やりませんか?」


 歩より背の高い高校生に声を掛けられて我に返った時は、日が陰りはじめていた。逃げるように図書館に戻ると、階段の上り口に七恵がいた。道端に立つお地蔵さんのようだった。彼女は何故そこにいるのか? 何者なのか?……歩には理解できなかった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る