第9話 最初の推理
人魚の話をしながら図書館の周囲を一周した時、校庭のチャイムが鳴った。
「お昼ね」
人魚の伝説を聞いただけで何の成果もなかったことに、歩は落胆を覚えていた。
「ハイ、学生食堂は休みです」
そう応じる七恵の顔には何の感情の色もない。
「コンビニに行きましょう。近くにあるでしょ?」
コンビニは、坂を下った交差点を渡ったところにあるはずだった。
「学園を出るのですか?」
「そうしなきゃ、昼食を食べられないわよ」
歩は七恵の返事を待たずに歩き出した。正門を出て坂を下る。背後を七恵の足音がトコトコとついてくる。それは坂道の途中、市立文化センターの建物が見えたところで止んだ。
不思議に思って振り返った。
「あのう、私はいいです」
七恵がおかっぱ頭を震わせた。
「ダメよ、ちゃんと食べないと。それに、店の場所を教えてもらわないと私が困るわ」
歩は強引に誘って歩き出す。再び、トコトコいう足音が鳴った。
坂を下り切ったところが通りとの交差点で、向かい側にコンビニがあった。歩は赤信号で足を止めた。立ち止まると行き交う人の視線がひどく気になった。女装しているからだ。スカートの中を風が過る頼りなさがあった。
突然、七恵に手を握られた。驚きのあまりに「キャッ」と声が出た。七恵は誰かの手を取るようなキャラではない。そう思っていたが違ったようだ。
「どうしたの?」
「つないではダメですか?」
七恵は甘えているのではなかった。その瞳は強い不安を訴えていた。
「大丈夫よ。女の子同士で手をつなぐのは珍しくないものね」
言葉にしてから、おかしなことを言った気がした。
信号を渡りコンビニに入る。中は、ポスターも、ポップも、音楽も、ホワイトデー一色だった。今日、女性に贈り物をしないのは男性ではないといったムードだ。
七恵の手に力がこもったのは、そんな雰囲気に驚いたからかもしれない。彼女の様子をうかがう。何か声をかけてあげようと思ったが、その表情はいつもと変わらない感情のないものだった。
「もしかして、コンビニは初めて?」
念のために訊くと、彼女がコクリとうなずいた。
どれだけお嬢様なんだ!……驚いて表に目をむけたのは、ボディーガードや執事といった保護者が見守っているのではないかと思ったからだ。そこに保護者の姿はなかった。
七恵がお嬢さまである証拠に、彼女は財布を持っていなかった。原因はもちろん、クレジットカードや電子マネーも所持していなかった。仕方がなく、歩が弁当とプリンの代金を払った。
寮に戻ると七恵がどこかから現金を持ってきたが、歩は受け取らなかった。彼女からバレンタインのチョコレートはもらっていないけれど、ホワイトデーの義務をはたした思うことにした。
代わりに彼女は熱いお茶を入れてくれた。嫌いなおかずを交換し合うと、少し距離が近づいた気がした。
「午後は……」
七恵が、ボソッと言った。午後は何をするつもりかと訊いているのだ。
「もう少し、学園の敷地全体を見て回るわ。七恵さんは、用事があるなら付いてこなくていいわよ。私ひとりで大丈夫だから」
帰省する余裕もない図書委員の仕事に配慮したつもりだ。そして、実際そうだった。
「ハイ。私は図書館の地下にいます。本の整理をしたいから」
「了解」
プリンを食べてから一緒に部屋を出て、それぞれの目的地に向かった。
歩はノートに地図を描き、図書館の南側で気づいたことを改めて記録した。気づいたことといっても、フェンスが傷んでいるといったことで、盗難事件と直接結びつくものはなかった。
「アユミお姉さま、何をなさっているの?」
背後から声を掛けられて振りかえる。詩織のテニスウエア姿があった。特徴ある長い髪は後ろでアップにまとめられていて、前と違った魅力があった。ドキン!……音が鳴った。歩のオタク心がわしづかみにされた音だ。
「今朝はハンカチをありがとう。乾いたら返すわね」
「差し上げます。使ってください。それより、地面を見たり空を見上げたり、挙動不審です」
「そ、そう?」
背筋を冷や汗が流れた。
「
その言葉には聞き覚えがあった。エネルギーが、血液のように宇宙を循環しているという考えがあって、大地の中のエネルギーの流れを龍脈というのだ。それを聞いたのがゲームの中か映画の中なのか、あるいは風水の本なのかは思い出せない。
「詩織さんは、龍脈に詳しいの?」
「当然です。ここの生徒だもの」
彼女は霊異学の授業で教わったと話した。
「魔法だって、……ほら」
詩織は空中から桃の花を取り出して見せたが、それは手品と区別がつかない。
「私、編入してきたから、そっちのほうは疎うとくて……」
歩は笑ってごまかした。
「そうですよね。お姉さまが空や地面を見るから、私が勝手に天脈と龍脈を
「リュウケツ?」
流血を想像していた。
「地下を走る龍脈から、エネルギーが溢れている場所です。お姉さまったら、本当に霊異学はご存じないのですね」
詩織がクスクス笑う。
彼女のペースで話が進んでいることに不安を覚え、話を変えることにした。
「詩織さんは、クラブ活動?」
「ええ、インターハイに向けて練習中です。今年は初戦突破を目指します」
詩織が初戦突破を目指すと拳を作って見せたので安心した。人気者で賢い彼女もスーパーガールではないのだ。
「シオリー!」
遠くで呼ぶ声がする。詩織の取り巻きがラケットを振って呼んでいた。
「友達が呼んでいるわよ」
「はい。こんど、SNSでお友達になってくださいね。それでは、ごきげんよう」
詩織が頭を下げる。甘い香りがふわりと踊った。
急いでアユミ用のアカウントを作らなければならない。他に必要なものがあるだろうか?……焦りと不安、疲労のようなものがじわじわと侵食してきた。円形の建物を半周歩いて中に入る。人目につかない場所を探そうと思った。
図書館の中央部分は3階まで吹き抜けになっていて、壁に沿って書棚と階段がらせん状に続いている。北向きの窓から柔らかい光が流れ込んでいた。
階段を上ってみる。2階の一部は情報機器コーナーで、人見知りの朱里の姿があった。書架に並んでいるのは歴史や語学、社会科学の本だった。3階は自然科学と資格試験関係の書籍が占めていた。
4階はスポーツや音楽、美術といった専門書が並んでいた。フロアの半分ほどはカラオケルームのような学習室で、グループで勉強ができるようになっていた。
学習室に入り、6人掛けのテーブルを占領した。窓からくすんだ街並みと、緑が芽吹きだした遠くの山々が見えた。
「疲れるわぁ」
口をついたのは女性言葉だった。そんな自分に興味を覚えながら、事件の経過を整理するためにノートを開き、ペンを握った。
〖卒業式の朝、掃除のために地下に下りた福島七恵が、防火扉の隙間に気づいた。金庫の扉も開いたままで、人魚の鱗の盗難が発覚〗
文字にすると、問題点が明確になる。
「そもそも、防火扉に隙間がなければ、盗まれたことに気づくことはなかった。犯人は、どうしてそんなミスを犯したのか?」
犯人は窃盗のプロではないだろう。素人だって、盗んだ後に扉は閉めるに違いない。よほど慌てていたのか、あるいは、盗んだことを誇示したかったのだ。
状況からすれば、慌てる必要はなかった。当日は卒業式で図書館周辺に人は少なかったし、図書館なら書架の陰にいくらでも隠れることができる。
「犯人は盗んだことを早く知らせたかったのだ。何故だろう?」
転売するためなら誇示するはずがない。盗品と分かれば転売が難しくなる。いや、それが学園から盗まれた本物だと証明するために、犯行が公になる必要があったのかもしれない……。
それを使って不老不死の身になろうとした者なら誇示するかもしれない。この世に不老不死の人間が生まれたのだと……。その場合、鱗は使われてしまっていて、取り戻すことは不可能だ。
「盗んだ後に学園に買い取らせる場合はどうか? あくまでも目的は現金だ」
盗まれたとわかったら、取引を持ちかける前に警察に届けられてしまうかもしれない。防火扉を開けるのはむしろマイナスだろう。
「動機から見える犯人像は、四つ」
不老不死を得ようと考える狂信者か、趣味のコレクター、転売目的の者……。もうひとつは学園に恨みがあって困らせようとしている者。……だけれど、それなら盗む物は人魚の鱗である必要はなかった。
「沢山ある金庫の中から、人魚の鱗を盗んだのは偶然か? 意図してのことか?」
高い天井を見上げる。化粧石膏ボードの安っぽさは、歩の無力感そのものに見えた。窓の外に視線を移し、長い溜息をつく。
「やっぱり私の手に負えることではないような気がするわ」
盗まれた人魚の鱗を探すことなど不可能に違いない。……確固たる確信。
「落としたスマホを探すのとはわけが違うもの。着信音もなければGPS機能もない。おまけに小さい」
芽生えた確信が、強固な現実に変わる。
「私の前には壁がある。ずっとそうだ。両親は生まれた私が男だったことに失望した。習い始めたピアノ教室には上手すぎるライバルがいた。いくら運動をしても筋力はつかない。女性のような容姿のために友達には馬鹿にされた。第一志望の学校には学力が足りず、進学するさきは常に第二志望校だった。就職も同じ。目の前には人魚の鱗盗難事件が壁になっている」
歩は太陽が西に傾くまで学習室で過ごし、重い足取りで階段を地下まで下りた。
七恵の姿は廊下の一番手前の部屋にあった。積み上げられた書物を1冊ずつめくり、破損や汚れがないかをチェックしている。修繕が必要なものは足元のプラスチックの箱の中に入れ、不要なものはキャスターの付いたワゴンの上に置く。
彼女と一瞬視線がぶつかった。それでも彼女は作業を止めない。すぐに書物を手に取った。まるで自動機械のように。そんな彼女の態度は、歩を避けている証明のように思えた。
「第一発見者……」
歩はつぶやく。それはリアルでもドラマでも、事件において最初に疑われるべき存在だ。理事長と学園長は七恵を信頼していて、七恵を疑うなと言った。だけど、人間は弱い。気持ちも変わるものだ。七恵なら、鱗を盗んで何に使うだろう? 七恵は敵か味方か?……疑問が浮かぶ。
「そろそろ止めない。お腹がすいちゃった」
声をかけると、七恵の手が機械のようにぴたりと止まった。七恵はロボットだから盗まない。だから疑うな、と理事長は言ったのだろうか。ロボットなら、寿命を奪う人魚の鱗を管理させても安全なはずだ。
2人は学園を出て坂を下った。七恵が歩の手を握り、交差点を渡ってコンビニに入る。
店内をぐるりと回って弁当とおでん、明日の朝食用にパンと牛乳を買う。そして歩が代金を払った。ぼんやり会計を待つ彼女の横顔を見ながら、もし彼女がロボットなら弁当はいらないな、と思った。
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