ハルキシ6

「いや、だから。瀬那のことが好きなのは分かったとして、特にどこがそんなにいいんだろなって」


「なっ、なぜそれを!?」


「いや……分かるだろ、さすがに。君、相当に分かりやすいぞ」


「一日に、二回も言われたっ……!」


もしかして、私の周りで私の気持ちに気づいてないのって、当の沖田くんだけだったりするんだろうか。


あわあわしている私を促して、神くんが進む。


慌ててそれについていった。


「瀬那なあ。応援してやりたいけど、女子を好きになるかなあ。あんまり浮いた話自体ないんだよなあ」


「あのっ、気にしないでね!? 私が勝手に、こう、勝手な感じで勝手なんだから!」


神くんがくっくっと笑った。


「あー、初々しい。おれもそんな風に、恋! してみてえ」


なにが恋! かと神くんに突っ込んでいる間に、歌舞伎町までやってきた。


「じゃ、狭い範囲でだけうろうろしてても目立つから、その辺適当に歩くぞ。おれから離れずに、人に声かけられても無視な。あと、暗くなってきても堂々としてるように。今日は成年済みの女子大生だと思って行動してくれ」


やや夕暮れの気配が強くなってきた夏の歌舞伎町は、結構怖いところだというイメージがあったけれど、人通りが多くにぎやかで、思っていたほどではないようだった。


それでもやっぱり、見た目のおっかないお兄さんがいたり、強い調子で呼び込みしてくる人もいて、私が一人で歩くにはまだ勇気がいる。


「夕飯用に、行きたい店があったら目をつけとけよ。とはいえ、チェーン店の方が安心かな。あとは、そこのビルの一階のレストラン街とか」


「もしかして、ぼったくり店というやつがそこかしこにあるのでは……」


「かもなあ。とはいえ、おれたちが入れるような店では、あんまりないだろうよ。そんなに不安なら、行ってもハンバーガーショップとかにしておこう」


神くんが、大まかに周辺の地理を教えてくれる。


「瀬那は、店の中には入らないって言ってたんだろ? なら、幾分見つけやすいな」


それから十五分くらい、私たちは南北に道を行ったりきたりしながら、辺りを見回していた。


けれど沖田くんは見当たらない。


ハルキシさんを見知っているのは神くんだけだけど、こちらも見つからなかった。


「んー。もう少し探して成果がなければ、二丁目の方まで行ってみるか。適当なとこで夕飯にしよう。エリー、足平気か?」


「このくらいなら全然。買い物で、三四時間歩くこともあるし」


「タフだなあ。だがそうだな、八時くらいまで粘ってだめなら、後はおれ一人で探す。……けど、待ち合わせの時間はそんなに遅くないようなこと言ってたんだろ? ならハルキシと一緒に食事するわけでもないんだろうから、このくらいの時間帯で見つかってもよさそうだよな」


二人で歌舞伎町を南下していくと、何度目かの大通りに出た。人通りが多くてにぎやかで、こんな中で人探しをするなんて無謀もいいところだった。


神くんは歩道沿いに折れ、再度ビルの間の道へ入っていく。


その道は、ついさっきも通ったところだった。


「神くん、ここ何度も通ってるけど、なにか心当たりがあるの?」


「いや。なんだか、こんな感じのところにいそうな気がしないか、あいつら? 街並みといい、ビルの雰囲気といい」


……。つまり、


「勘なんだね……」


「ああ。でもいた」


「いた?」


「そ」


「なにが?」


「尋ね人」


そこでようやく、私ははっとして前を見た。


いた。


間違いない。


十メートルくらい向こうに、沖田くんがいる。カラーシャツにデニムでラフにしているけれど、姿勢がいいせいか、周りの誰よりも折り目正しそうに見える。


沖田くんはこっちを向いているので、見つからないように、私たち二人はそっと路地に身を隠す。


沖田くんの向かいには、白い――というより、銀髪――の長い髪の人物がいて、二人は気さくに会話しているようだった。


「危うく、バッタリ顔合わせるところだったな」


神くんが、流れてもいない額の汗をぬぐうしぐさを見せた。


遠目に見る沖田くんの表情は、少しずつ曇っていくように見えた。困惑しているみたいにも見える。


「沖田くん、顔色悪いね……」


「そりゃ、なんでおれの学校に売春の情報なんて流したんだ? って訊いてるんだろうからな。あまり楽しい話ではないんだろ」


その時、ハルキシさんの背後に、とことこと歩み寄っていく人影が見えた。黒いTシャツを着た、中肉中背の短髪の男性だった。


男性は、沖田くんと話しているハルキシさんの肩をとんとんと叩き、なにか耳打ちした。


そして、ハルキシさんはふいにこちらを振り向いてきた。


「ひえっ!?」


「おー、バッチリ目が合った。見つかったなあこれは。今の黒シャツ、おれたちがここから覗いてるのを見つけて、ご注進に行ったんだな」


「ど、どうしよう」


「逃げるような筋合いでもないだろう。いいじゃないか、ご対面しておこうぜ」


そう言って神くんがすたすたと歩いていくので、私も後を追った。


私たちに気づいた沖田くんが、驚きの表情を浮かべる(それはそうだ)。そして、私に少しだけ、とがめるような視線を送ってきた。くるなと言っただろ、ということなのだろう。


神くんはそんなことにはまるで構わず、沖田くんとハルキシさんの目の前まで来ると、


「よう」


と手を上げた。


ハルキシさんは、前に神くんが言っていた通り、布地が少ないわけではないのにところどころ素肌の見える服を着ていた。そういうデザインなのか、それとも自分で切っているのだろうか。前髪の間から覗く目尻が吊り上がっていて、ただ目が合っただけでも、怒られているように思えてしまう。


「……なんだ。お前」


ハルキシさんのその声は、ほっそりした青白い顔とは裏腹に、ハスキーで低い。


「いやあお久し振り。瀬那のソウルメイト、神くんです。ハルキシさんはご機嫌うるわしゅう」


「気色悪い呼び方をするな。どういうつもりだ?」


その語尾に、沖田くんの声が覆いかぶさる。


「まったくだ。どういうつもりなんだ、ミー? 衿ノ宮まで連れてきて。ハルキシ、この子はおれの同級生で衿ノ宮」


「は、初めまして。衿ノ宮燈です」


ハルキシさんはなにも言わずに、私をちらりと見ると、沖田くんへ向き直った。


「で? お友達でおれを囲んで、瀬那はおれをどうしたいんだ?」


「変な言い方するなよ。おれはただ、なんでおれの妙な噂なんて学校に流したのか知りたいだけだ」


「妙な噂? 事実だろう」


「ハルキシ。真面目に訊いてるんだ。おれはもう仕事はやめるつもりだ。本当は近いうち、それを言おうと思ってたんだよ」


「ほお。カタギに戻りたいと」


「元からカタギだ」


「体売るガキがか?」


「……ハルキシ。お前、酔ってないよな?」


ハルキシさんはそれに答えず、今度はくるりと私に向き直った。思わずびくりと肩が震えてしまう。


「お前みたいなのが、瀬那と仲良くねえ」


「は、はい。あの……」


「もうやったのか? 瀬那が、女と?」


沖田くんが、私とハルキシさんの間に割って入った。


「ハルキシ。衿ノ宮はそんなんじゃない」


「そんなんじゃない? あ、そう。そうなんだ。ははは。この女が瀬那に入れあげてるだけか! いいなあ、お優しくて!」


「なっ――なに言ってるんですか、いきなり、」


「見たら分かるわ、のぼせてんなあガキが!」


私がさらに抗議するより先に、ハルキシさんは、そっくり返って笑いだした。その様子に、背筋にうすら寒いものを感じた。


神くんが、私と沖田くんの肩をつかんだ。


「こいつ、話にならねえな。瀬那、噂の件は?」


沖田くんが肩をすくめる。


「はぐらかされて、全然進まん。おいハルキシ、お前やっぱり今日変だな。でもこっちも、いつまでもお前を探して三千里やってるわけにはいかないんだ。どこか座れるところで、きっちり話しようぜ。高校生が入れる店でな」


ハルキシさんが、ぴたりと笑うのをやめた。そして近くのファストフード店を指さして、


「それなら、三十分後にそこでどうだ。ちょっと吐いてくるから」


「いいぜ。……お前、やっぱり飲んでたのか。バックレんなよ。いやその前に、道で吐くなよ」


「バックレねえよ、この後店開けなきゃだし。話は、一対一でいいんだよな?」


ああ、とうなずいた沖田くんが、「席とっとくからな」と言ってから、私たちへ向き直る。


ハルキシさんは、傍らにあるバーのようなお店の中に消えた。沖田くんが、「ここがあいつの仕事場なんだ」と親指で示した。


「ミー、悪いけど衿ノ宮を送ってやってくれ」


「それはいいが、あいつ、また行方くらますんじゃねえの?」


「ここまで言ってもそうなるなら、もうどうしようもないな。……で、衿ノ宮」


沖田くんが半眼で私を見てきた。


「は、はいっ。ご、ごめんね、私、」


沖田くんの眉が少し上がって、それから表情が緩む。


「いいや。心配してくれたんだろ? 大丈夫だから、今日のところは任せてくれ」


「う、うん。またねっ」


私と神くんは回れ右して、新宿駅へ向かう。


人波に紛れて、アルタスタジオの前までくると、


「はっはっは。いやー、それにしてもあっさりバレたな」と神くんが頭をかいた。


「あの人が、ハルキシさんなんだね」


「そうだな。あまり険悪な感じでもなかったし、何事もなく終わるといいんだが。……おれは、ちょっと戻って遠巻きに見ておこうと思う」


神くんが足を止めた。


「気になるの、二人のこと?」


「ちょっとだけな。あの野郎がまた雲隠れせんとも限らねえし。瀬那はああ言ってたが、一応遠巻きに見ておこうかなと」


「うん、行ってあげて。私はもう、駅すぐそこだし」


「悪いな、エリー」


神くんは手を振って、きた道を引き返していった。


私は新宿駅の東口に着くと、地下への階段を下りていく。


改札の前に来たところで、ふいに耳元で声がした。


「衿ノ宮、だったな。大声を立てずに、壁に寄れ。妙な動きするなよ」


思わず振り返ると、銀色の長い髪が視界に飛び込んできた。


「ハルキシ……さん。どうして。沖田くんは」


「三十分後って言ってたか。ちょっぴりばかり遅刻するかもな。でもその前にお前と話しておくことがある」


ハルキシさんの身長は、沖田くんと同じくらいで、百八十センチに少し足りないくらいに見える。


にじり寄られるままに、私は左肩をとんと壁につけた。


大勢の人たちが、私たちのすぐ脇を、視線も向けずに通り過ぎていく。それを目で追う私の視界を遮るように、ハルキシさんが、壁との間に私を挟むようにして立った。


かすかにコロンの香りがして、あの吊り上がった目が銀髪の間から覗くと、つま先から震えが走る。


――怖い。


「お前結局、瀬那のなんなんだ?」


「く、クラスメイト……です。高校の……」


「ずいぶん打ち解けてるんだな」


「さ、最近、話すようになって」


「ついでにたらし込まれたか」


口調は穏やかだけど、その口元は今にも犬歯がむき出しになりそうな気配がある。


「たらし……ってそんなんじゃありません」


「当たり前だろ。お前みたいな女。いいなあ、髪が柔らかそうで、背が小さくて、その野暮ったい服よりスカートの方がずっと似合うんだろうな。でも女だもんな、瀬那は無理だね」


「……そうです」


私が、沖田くんの恋愛対象じゃないのは分かってる。


「つき合いたいか、瀬那と」


「そんなこと、考えてません」


顔を背けて、噓をついた。――いや、嘘じゃない。ただ、ただ好きなだけだから。


「言っておくけどな、瀬那の初めての相手はおれだ」


その意味をすぐに察して、だからなんだって言うんですか、と言おうとしたけど、言葉にならなかった。


ハルキシさんの牙――犬歯がちらりと見える。今にも首筋を嚙まれるんじゃないかと思えた。


「それもあいつの方から言い寄ってきた。あいつの家、親がいないだろ? 部屋に誘われて、その後すぐだったよ。その時、瀬那がどんな風だったか、せいぜい想像してみろ」


そんなことは気にしません。沖田くんが求めたことなら、なおさら。


心からそう思った。これもやっぱり、嘘じゃない。


なのに、声にならない。


ハルキシさんの服の隙間から、ちらちらと青白い素肌が覗いた。


私の喉が鳴る。


この体が、服を全部脱いで、沖田くんと重なったんだ。


そう思うと、胸の奥が、ざらついた舌で舐められたようにすくむ。


沖田くんの仕事相手は、二人ほど見た。でも一人は未遂だったし、年の離れたおじさんで、仕事の上のことだというのもあって、そこまで気にはならなかった。


でもこの人は違うんだ。沖田くんが自分から、この肌に触れたがった。そう思ったら、どうしてか、急に生々しくなって、足が震えた。


「もしお前が瀬那とつき合うことになっても、あいつの体はおれの使い古しだ。そう思って抱かれるんだな」


だから、つき合えませんから。


沖田くんのことを、なんだと思ってるんですか。


また言葉にできないでいるうちに――気がつけば、足よりも、喉の方が震えていた――、ハルキシさんの体がついと離れた。


「お前邪魔だよ。女だからっていい気になるな。瀬那に甘えてつきまといやがって」


そう言って、ハルキシさんは地上への階段を上って行った。


ようやく開けた視界に、人通りが流れていく。


一二分それを眺めてから、独り言が、口からこぼれた。


「いい気になんか……ううん、それより……」


悔しかった。


格好良くて、優しくて、社交的ではないかもしれないけど、学校の人気者の沖田くん。


その沖田くんが自分から求めた人に、あんな言われようをして――使い古し? ――それにすぐに反論できなかった。


圧倒されて止まっていた思考が回りだすと、悔しさだけが溢れてきた。


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