ハルキシ4

一学期の、終業式が終わった。


幸い、沖田くんの仕事についての噂はあれ以降すぐに鎮静化して、学校側が問題にするようなこともなかった。実は、それをこそ、私や神くんは恐れていたのだけど。


沖田くんは、「平町が自分から噂を打ち消しに動いてくれたんだ。だいぶ周りからの信頼を損ねることになっただろうが、まあこれは、自業自得だと思ってもらうしかないな」


とため息をついていた。


式が終わったお昼前、沖田くん、神くん、私の三人は、また屋上に集まっていた。


今日はやや涼しいものの、学校中の生徒が早々に家に帰っていくせいもあって、この間と同じように、私たち以外にはここに人はいない


「んで瀬那、あのハルキシってのはまだ見つからねえのか」


「こっちからいくら連絡しても全然だめだな。っていうかミー、お前ハルキシのこととか、衿ノ宮にあんまり色々言うなよな。迷惑かけるかもだろ」


「それなら瀬那が守ってやれよ。エリーは貴重なお前の理解者だぞ。お前、女子が言い寄ってきてもつれなくするから、人気はあるのに評判悪いじゃねえか」


「どんな状態だそれは。別に人気なんて欲しかったことないわ」


「は、贅沢者が。とはいえ、瀬那の身辺は少しばかり危なっかしいこともあるのは確かだ。エリーは、気をつけながら過ごしてくれ」


「うん。沖田くん、私迷惑だなんて思ってないよ。どっちかっていうと、私が変に首を突っ込んで迷惑かけるんじゃないかっていう方が心配。……デリケートなところだと思うから」


沖田くんが苦笑して、


「ああ。確かに、極端な世界でのお仕事だったからなあ」


「だった? 瀬那、お前足洗うのか?」


「別に、やりたくてやってたわけじゃないからな。……ずいぶん出勤してないから、『店』からはやる気がないならやめろ的な圧がちょっとかかってきてる。なにも言わずにトンじまうキャストも多いんで、おれはまだましな方らしいけど」


「変なところで律儀だな、お前は。未成年にそんなことさせるようなところによ」


「店って言っても寄り合い所帯みたいなものだし、こっちも無理聞いてもらってたんだ、お互い様だよ。……いやだから、こういう話を衿ノ宮には聞かせないよう気を遣おうぜってことなんだよ!」


少し生々しい方へ話が流れて行っていたので、知らず肩に力が入っていた私の様子を見て、沖田くんがそう言ってくれる。


こんなにも彼が私を気にかけてくれることが嬉しかった。つい先日まではただ同じ教室に通っているという共通点しかなかったことを思うと、夢みたいだった。


一学期の、終業式が終わった。


幸い、沖田くんの仕事についての噂はあれ以降すぐに鎮静化して、学校側が問題にするようなこともなかった。実は、それをこそ、私や神くんは恐れていたのだけど。


沖田くんは、


「平町が自分から噂を打ち消しに動いてくれたんだ。だいぶ周りからの信頼を損ねることになっただろうが、まあこれは、自業自得だと思ってもらうしかないな」


とため息をついていた。


式が終わったお昼前、沖田くん、神くん、私の三人は、また屋上に集まっていた。


今日はやや涼しいものの、学校中の生徒が早々に家に帰っていくせいもあって、この間と同じように、私たち以外にはここに人はいない


「んで瀬那、あのハルキシってのはまだ見つからねえのか」


「こっちからいくら連絡しても全然だめだな。っていうかミー、お前ハルキシのこととか、衿ノ宮にあんまり色々言うなよな。迷惑かけるかもだろ」


「それなら瀬那が守ってやれよ。エリーは貴重なお前の理解者だぞ。お前、女子が言い寄ってきてもつれなくするから、人気はあるのに評判悪いじゃねえか」


「どんな状態だそれは。別に人気なんて欲しかったことないわ」


「は、贅沢者が。とはいえ、瀬那の身辺は少しばかり危なっかしいこともあるのは確かだ。エリーは、気をつけながら過ごしてくれ」


「うん。沖田くん、私迷惑だなんて思ってないよ。どっちかっていうと、私が変に首を突っ込んで迷惑かけるんじゃないかっていう方が心配。……デリケートなところだと思うから」


沖田くんが苦笑して、


「ああ。確かに、極端な世界でのお仕事だったからなあ」


「だった? 瀬那、お前足洗うのか?」


「別に、やりたくてやってたわけじゃないからな。……ずいぶん出勤してないから、『店』からはやる気がないならやめろ的な圧がちょっとかかってきてる。なにも言わずにトンじまうキャストも多いんで、おれはまだましな方らしいけど」


「変なところで律儀だな、お前は。未成年にそんなことさせるようなところによ」


「店って言っても寄り合い所帯みたいなものだし、こっちも無理聞いてもらってたんだ、お互い様だよ。……いやだから、こういう話を衿ノ宮には聞かせないよう気を遣おうぜってことなんだよ!」


少し生々しい方へ話が流れて行っていたので、知らず肩に力が入っていた私の様子を見て、沖田くんがそう言ってくれる。


こんなにも彼が私を気にかけてくれることが嬉しかった。つい先日まではただ同じ教室に通っているという共通点しかなかったことを思うと、夢みたいだった。


「そういや瀬那には訊いたことなかったな。そもそも、なんであんな仕事始めたんだ?」


まるでなんの気なしのような神くんの言葉に、私の肩が、再びこわばった。


「ミーお前、言ってる傍から……。いや、いい機会か。といっても、そんな大層な話じゃないんだよ。誤解しないでほしいのは、遊ぶ金ほしさでもないし、欲求不満を金もらって晴らそうとしたわけでもない――」


「そ、そんなこと思ってないよ!」


思わず大声が出てしまった私に、沖田くんと神くんが目をぱちくりとさせる。


「エリーはいいやつだなあ」


「まったくだ。衿ノ宮は尊い」


なぜか揃って腕組みしてかぶりを振っている二人に、私はいたたまれなくなってしまった。


「普通だってば、普通! 沖田くん、話しづらいなら私席外すから……」


「ああいや、瀬那もエリーも、悪い。おれこそ考えなしに質問しちまった。ま、いずれの楽しみにとっておこうか」


「そんなこと言われるとハードルが上がるじゃないかよ……。ともあれ今日でようやく一学期終わりだ、衿ノ宮、どこ行きたいか考えておいてくれよな。柏でなくても、池袋とか渋谷でもいいんだから」


どきんと胸が大きくなる。


後ろめたいことでもなんでもないはずなのに、神くんに聞かれていると、まるで秘密の箱を目の前で開けられたような感覚になって、心臓に悪い。


「え、なんだお前ら、二人で出かけるのか? くそ、たまには混ぜろよな。じゃ、そろそろ行くか」


けらけらと笑いながら、男子二人は立ち上がって腰をはたく。


そんなに長い時間いたわけじゃないのに、しっかりと用意してくれたパラソル――相変わらず出どころ不明の――を、神くんが片づけてくれた。


二人はそのまま帰るというので、私は、忘れ物がないかもう一度見ておこうと教室へ戻った。


すると、カナちゃん、ヨウコ、奥野さんの三人がまだ残っておしゃべりしていた。


「あれ、燈、お帰り。なに、忘れ物?」


「ううん、それをしないようにって見にきただけ」


奥野さんとは、この間以来少し気まずかったけれど、あの後すぐに謝りにきてくれたので、ほとんど元通りに接することができている。


今も、カナちゃんとヨウコの間から目礼してくれた。私も、小さく会釈を返す。


そこへ、カナちゃんがすいと歩み出てきた。


「あたしたちも帰るところだったんだけどさあ。ちょうど、燈の話してたのよ」


「私の?」


「燈、最近、なんかいつもにこにこしてない? 表情が明るいっていうか、全体的に晴れやかっていうか」


「へっ!? そ、そうかなっ!?」


確かに、ここのところ、沖田くんや神くんといることでいままでにない刺激をもらえて、毎日に張りがある感じはしている。そのせいで知らず知らずのうちににやけてでもいたのだろうか……と思わず頬を指で押さえた。


ヨウコも私の顔を覗き込んできて、


「なーんか、人生楽しいですって雰囲気が出てるよねー。これはもしかして、あれ? 彼氏でもできた?」


「できてないっ!」


これは本当のことなので、きっぱりと言い切る。


すると、ヨウコが「あっ」と言って体を固まらせた。続いて、私を見ていたカナと奥野さんもぎょっとした表情になる。


いや、今の三人は、私というよりその後ろを見ている。教室のドアを。こんなことが、ついこの間、奥野さんといた廊下であったような気がするけれど。


「お、今日も四人で仲いいな」


響いてきたのは、やはり、沖田くんの声だった。


「ひゃあっ?」と叫びながら、私は振り返る。そこにはまごうかたなき、さっき別れたばかりの沖田くんがいて、片手を上げていた。


「よう、衿ノ宮。さっきぶりだな」


「う、うんっ。どうしたの、沖田くん。帰ったんじゃ?」


「それが、ミーのやつが、今日は用事があったのを思い出したとかで先に行っちまってさ。衿ノ宮がまだいれば、と思って教室くんだりまできたんだ」


「くんだりって言うほどの距離では……」


「一度出た教室に戻るのって、おっくうじゃないか?」


そんなやりとりをする私たちの脇から、かしましい女子三人――正確にはかしましいのはカナちゃんとヨウコだけだけど――が、「ええっ?」「おおっ!? これはっ?」と奇声を上げる。


「……と思ったんだけど、衿ノ宮は友達と帰るのか? じゃ、おれはソロで帰宅するかな。今日はバイトもないし」


バイト、というのはホテルに行く「仕事」ではなくて、この間言っていた「普通のバイト」のことなのだろう。


きびすを返しかけた沖田くんに、カナちゃんが慌てて声をかけた。


「ちょおっと待って! 沖田くん、燈のことで訊きたいことがあるんだけど!」


「カ、カナちゃん!?」


沖田くんは緩く曲げた人差し指で自分を指し、


「おれに?」


「そうなのっ! 沖田くん、私たちちょうど今さっき話してたんだけど、燈、最近かわいくなったと思わない!?」


「ちょ、ちょっと! カナちゃん!」


さっきとは若干ニュアンスが変わっているんじゃないかという苦情と、沖田くんに向かってなんてことを言ってくれるんだという文句が同時に口から出そうになって、どちらも言葉にならずに喉で詰まってしまう。


「衿ノ宮がか? ……なにかあったのか?」


心配そうな顔になる沖田くんに、カナちゃんがぶんぶんとかぶりを振り、


「ううん全然! ただ、純粋な意見を聞いてみたいなーと思って!」


「お、おお? よく分からんけど、おれは純粋? に、衿ノ宮がかわいいかどうかについて答えればいいんだな?」


「いいの!」というカナちゃんと、「よくない!」という私の声に挟まれて、どうやら沖田くんはカナちゃんの要望を受け入れることにしたらしい。


「分かった。衿ノ宮、そこ座ってくれ。……こないだの今日でなんだが、これは、どうやら必要あってのことだからな……やむを得ないだろう」


謎の呟きを漏らしながら、沖田くんも私の目の前に、傍らにあった椅子を引っ張ってきて座った。


「衿ノ宮、右向いてみて。そう。次、左。そう。次は、いったん後ろ向いてからこっちに振り返ってくれ。そう」


私は言われるがままにくるくると首を動かしてから、ようやく正面に向き直って静止した。


沖田くんがじっと私の目を見つめている。


「あのー……沖田くん?」


「ああ。一応確認したけど、やっぱり間違いないな」


「はあ」


「やっぱり衿ノ宮は、抜群にかわいい」


「へっ!?」


真顔で真正面からそう言われて、一気に顔が上記した。


横にいたカナちゃんたちも、一様にのけぞったのが見えた。


「人の好みはそれぞれだというのは、百も承知だ。その上で、衿ノ宮はばっちりかわいいとおれは思う。そうじゃないってやつは、ちょっとデカ目の眼科にでも行った方がいいな。もしくは美的センスが欠落している」


沖田くんは真顔のままだった。その整った顔立ちで、突拍子もないことをとうとうと言われると、私はひとたまりもなかった。


「あ、あの沖田くん、もうその辺で」


「もちろん、無責任におだてているわけじゃない。ごめんな、衿ノ宮。おれはおれの主観でしかものが言えない。だけどいい機会だから言わせてくれ。これは気を遣ってたり、お世辞で言っているんじゃなくて、おれは心から衿ノ宮をかわいいと思っている。ここで言うかわいいとはもちろん小さい女の子に言うような意味じゃなく、女子として魅力的だということだ」


死ぬ。


「もっ、もういいから! ありがとう! ねっ!」


「もういいのか? でもそうだな、これ以上言うと大げさになりすぎて、嘘っぽくなるよな。とにかく、おれの意見は今言った通りだ」


充分嘘みたいなお言葉を賜ったと思うけど、こうまで言ってくれたのに、私の方から謙遜したくはない。


「お、沖田くんもう帰るんでしょ!? じゃあまたね!」


沖田くんは立ち上がって、私を気遣うように穏やかな視線を送ってきた。


「ああ。なにがあったかはおれには分からないけど、元気出してくれな。よかったらまた、うちにも来てくれ。もう少しましなおもてなしをするから。……ああいや、それなら外の方がいいか。お互いに考えておこうな。じゃ、またな」


教室を出ていく沖田くんの背中を見送ってから、ようやく私は気づいた。


あの言いよう、もしかしたら沖田くんは、私が容姿のことで誰かに悪口でも言われて、落ち込んでいると思ったんじゃないだろうか。


だからあんな風に言ってくれたのかもしれない。


ほう……と思わず息が漏らした私に、一気に女子三人が組みついてきた。


「燈いいい! なに今の!」と、左肩に顎をのせたカナちゃんが言う。


「あの人があんなこと言うの、初めて見た……」と、右肩のヨウコ。


そして、今の今まで沖田くんが陣取っていた正面から、奥野さんが、


「というか……家って、なに……?」


と光のない目で告げてきた。


「あっ! い、家っていうのは、たまたま! この間、駅でっ!」


「駅で会ったの……? でもそれで家に行くって、なかなかないんじゃない……?」


奥野さんのロングヘアは、うつむき加減にしていると、顔に落とす影と黒い髪が迫力を生んで、上目遣いで見られると割と怖い。


「じっ、実はなんだけど、……私と沖田くんとは、最近いろいろあって」


三人がふんふんとうなずく。


「私……」


これは、もう隠したところで意味がない。


「……私……沖田くんのこと、好きになっちゃった……」


ああ。口に出してしまった。


家に行った理由にはなっていないけれど。


ひとまず、三人は笑って――奥野さんも――、私が抱いた想いを祝福して、応援するよと言ってくれた。



「もしもし、衿ノ宮? こんばんは。おれ、今日ちょっと変だったかな。衿ノ宮、気を悪くしなかったか? ふざけて言ったわけじゃないんだけど」


終業式の夜、沖田くんが電話をくれて――驚いてうまく通話ボタンがタップできなかった――、そんなことを言ってきた。


「気を悪くなんて、そんなわけないよ。私も、その……」


嬉しかったよ。私の方こそ、沖田くんのことを凄くかっこいいって思ってるよ。


さらりとそれくらい言えたらいいんだけど、私にはまだレベルが高すぎた。


「ところで、衿ノ宮。話は変わるんだけどな」


「うん?」


「ハルキシと連絡が取れた。明後日の夜、新宿で会う」


その名前が出た時に、私が浸っていた甘やかな気分はすっと飛んでいった。


とうとう。


頭のどこかで、ずっと見つからなければいいとさえ思っていた。


沖田くんを学校で追い詰めようとした人。神くんが注意していた、沖田くんの、おそらくは「仕事」の関係者。


「その……、大丈夫な感じなの? ハルキシさんて、沖田くんのこと……」


あんな噂流させたりして、よく思ってなかったりしない?


「おれとしては知ってる仲だから、この間のことはなにかの事情があるんじゃないかって思ってる。で、衿ノ宮に言っておきたいのは、その日おれについてくるなよってことだ」


ぎく。


「な、なんで?」


「すでにちょっとその気だったんじゃないのか……。そんなに遅い時間じゃないが、夜に酔っ払いの集まってるところに連れていけるわけないだろう」


「……危ないところなの?」


「前も言っただろ、歌舞伎町だからってイコール危険ってわけじゃないけど、一応な。おれは多少慣れてるってだけだ」


「新宿で会うって、歌舞伎町なんだ」


「そ。店の中には入らないし、酒飲むわけじゃないから短時間なら大丈夫だろ。お巡りさんに見つかったら、補導されるかもしれんが」


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