interlude1
■
<interlude>
沖田くん。
寝てるの、沖田くん。
――あれ、衿ノ宮?
もう起きない?
――結構寝てた? おれ、どうしてたっけ? ここどこだ?
いいよ、起きなくても。
――どうしたんだよ。重いって。いや、軽いけど。
沖田くん、つらい?
――つらい? なにが? っていうか、ほら、おれ一応男子だし。
男子だから? どんな風につらい?
――衿ノ宮、だめだって。おれ、最近、
最近?
――……こういうこと、してないんだ。本当だよ。だから……
だから?
――だから……まずいだろ。
あったかい?
――あったかいよ、衿ノ宮は。でも、
沖田くん、どうして?
――え?
どうして、私相手に、こんな風になってるの? 私、女だよ?
――衿ノ宮、降りてくれ。君がおれに、こんなことしちゃだめだ。
どうして?
――衿ノ宮、頼むから。
どうして?
どうして――
「えりっ……」
沖田瀬那が起き上がると、そこは見慣れた自分の寝室だった。
風邪でも引いたのかと思うくらいに顔が火照っていて、エアコンは効いているのに、首から上には汗をびっしょりかいている。
胸の音が高く、痛いくらいだった。
枕元に置いておいたスマートフォンが、控えめな音でアラームを告げている。
「あ、そっか。おれ……」
なにがどうなって今に至るのか、段々と思い出されてきた。
寝不足と疲労のせいでろくに回っていなかった頭に、血が巡り始める。
「おれ……衿ノ宮を、いきなり家に引っ張り込んでなかったか……? しかもいきなり寝入って、合い鍵押しつけて……」
今まで熱くなっていた顔が、今度は青ざめていく。
「ていうか衿ノ宮だって、なにか予定があって出かけてたんじゃないのか……? それをつかまえて、しかも……しかも」
なんて夢を。
うわあああああああああっ! と、危うく叫びそうになって、かろうじて自制する。
「違う、違うぞ。衿ノ宮は、おれにのしかかって鼻息荒くしてくるような、あんな野郎どもとは違う。分かってるんだ、違うってことは。おれに興味なんか持たないし、いやらしいことなんて考えない――かどうかは分らんが、少なくともあんな風にはならない。それを、それをおれってやつは」
「沖田くん? ……起きた?」
ドアの向こうから、当の衿ノ宮燈の声がした。
「あ、お、おう! 今行く!」
あれ、衿ノ宮ってずっといたのか? アラームが鳴るまでの三時間、出かけもせずに? そんなわけないよな、こんななにもない家……などと考えながら、瀬那は寝室のドアを開けた。
そこには、たった今夢の中であられもない恰好をさせていた同級生の女子が、ソファから立ち上がって、心配そうにこちらを見ていた。
「悪い、お待たせ。おれ、ちょっと顔洗ってくるから」
「うん、なにか飲むもの入れるね。……って、沖田くんの家のだけど」
小さく照れ笑いする衿ノ宮燈の顔が、今日はやけに眩しく見える。同時に、勝手な夢を見た罪悪感が、瀬那の胸に膨れ上がった。
胸中で頭を下げながら洗面所へ行こうとして、瀬那がはたと足を止める。
「あのさ、衿ノ宮。もしかしておれが寝てからずっと、この中にいたのか?」
「え? う、うん」
そう言う燈の手元には、瀬那の本棚から特になにか持ってきた様子もなければ、スマートフォンもない。
「三時間もか? うわー悪い、暇だっただろ? なにしてたんだ?」
「えっ!?」
燈は燈で、ずっとあなたのことをあれこれと考えていました、などとは言えない。
結果、燈はうろたえながら右手の甲を口に当てて硬直し、瀬那が首をかしげることになる。
とはいえ、かすかについた寝ぐせと寝ぼけ眼をなんとかする方が先だと判断して、瀬那は洗面所に向かった。
水をつけた指で簡単に髪を整え、ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗う。
――くそ、なにやってるんだおれは。……でも、今日の衿ノ宮、やたらとかわいくないか? 私服姿ならこの間も見てるのに、……そういえば、あの時もかわいいと思ったな。
だがなぜかこの日は、先日とはまた違った感覚で、軽々しく燈をかわいいと言うのがはばかられる。
――そうだ、いくら心を許しているからって、おれは男で、衿ノ宮は女子なんだ。性差は厳然としてある。それをないがしろにするのは、衿ノ宮を軽く扱うことだ。おれが軽はずみだった。やるべきじゃないことをやるから、調子だって崩れるんだ……
瀬那はタオルで顔を拭くと、リビングへ戻った。
燈が、麦茶をグラスに注いでいる。
「衿ノ宮」
「沖田くんて、もしかして麦茶大好きだったりする……? なんだか、大量に冷蔵庫にあるよね」
「ああ。麦茶なら無限に飲めるんじゃないかって思うことがよくある。……じゃなくて、今日予定があって出かけてたんじゃないのか?」
「ううん。むしろ、なにもやることが思いつかなかったから早く出てきたの。沖田くんに会えるとは思わなかったけど」
「そうか。なら、よかったらおれとどこか行かないか? 意外とこの辺歩いたりしないから、衿ノ宮となら楽しそうだし」
「本当……!?」
素直に嬉しそうにしてくれる燈を見ていると、瀬那の胸の奥がやわらかく温もる。
ここで燈を返してしまうのも寂しい気がしたし、かといって一人暮らしの男の家にこれ以上入れておきたくないし、ということで提案してみたのだが。
「せっかくショッピングモールとかあるのに、おれ一人だとあんまり足が向かないからな。衿ノ宮は?」
「私はたまに。でも、言われてみれば近くで有名なのに行ってないお店とか施設とか、結構ある気がする……」
「ちょうど、服とか買おうと思ってたんだ。歩きで行ける範囲で行こうぜ。もし帰りに疲れたら、駅までのタクシー代くらい出せるから」
「い、いいよ! 出かける度に私にお金使わせちゃうじゃない!? ちゃんと時間の計算と体力配分する!」
瀬那としては、燈のための出費であれば、正直苦にはならないのだが。気負わせるわけにもいかないので、自分の方こそ度が過ぎないように気をつけようと自戒した。
「……もう、すぐに夏休みだよな」
クローゼットから薄手のアウターを取り出しながら、瀬那が呟くように言う。
「そうだね?」
「衿ノ宮の都合がいい時に、こうして出かけないか?」
燈は一瞬きょとんとしてから、
「私と? いいの?」
「おれは、誰かと一緒にどこかに行くって言ってもミーくらいだし。あいつとだと、行くところが限られてくるんだよな。たとえば、あけぼのやま農業公園なんて絶対行かないし」
その公園はやや郊外にあり、自然の景観や花畑で名高い。確かに男子二人では行かないだろうな、と燈は納得してうなずく。
「私はいつでも大丈夫だよ。行こう行こう。沖田くんの行きたいところ、どこでも」
「サンキュ」
簡単に布団や食器を片づけると、二人は家を出た。
二人とも表には出さなかったが、あいまいに約束した夏の予定に、こっそりと胸を高鳴らせていたのは同じだった。
<interlude> おわり
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