ウソカノ6
沖田くんが手を下ろして、私を見つめた。
私は目が逸らせずに、二人の視線が正面からお互いをとらえる。
「いつか、そういう人に出会えると思ってたんだ。でも、都合がいいとも思ってた。少なくとも学校の中では、そんなやついないだろうなって。だから、衿ノ宮がいててくれて……今日一緒に来てくれたのが、衿ノ宮で、本当によかった」
日の光が差し込んで、沖田くんを照らしている。
眩しい。
見つめ続けるのが、苦しいくらいに。
沖田君は泣いているのかと思った。
口元は微笑んでいる。
でも、目元はにじんだように揺れて見える。
「沖田くん。私、沖田くん以外の人からどんなこと聞かされても、沖田くんに勝手に幻滅したり、適当に決めつけたりしないよ。だから、もっとなんていうか……」
「なんていうか?」
「……楽にしてほしい」
沖田くんは、目をぱちくりとしてから、二三回まばたきして、それから吹き出した。
「分かった。楽にね。じゃ、言いたいこと言わせてもらう。今日、おれ、衿ノ宮になにかお礼したい気分なんだ。どこか、買い物に行こう。服とか」
「ふ、服!? いいよそんな」
「大丈夫。今日持ってるのは、普通のバイトで稼いだ金だから」
「いやそういうことを言ってるんじゃなくて」
「当然ここもおごり。まあこれは最初から決まってたことだけど」
「初耳!」
「……衿ノ宮、まさか、男と出かけて金払うつもりでいたんじゃないだろうな」
「つもりだったよ!?」
「律儀だなあ。でもここは、おれの顔立ててくれよ。おれ、本当に助かったんだから」
そう言って、さっきと同じ、濡れたような眼をされると、それ以上食い下がることはできなかった。
結局その日はカフェでおごってもらった後、ハンカチと、ブレスレット――自分でそんなもの買ったことないけど――をプレゼントされてしまった。
家に帰ってからも、私の動悸はなかなか治まらなかった。
沖田くんと出かけるのは楽しい。楽しいに決まってる。でも、時々心臓に悪い。
私は、着替えもせずにノートパソコンを開けた。
ミスタッチを連発しながら、キーボードを必死に叩く。
現実の沖田くんは、苦しんでいる。多分、仕事のせいで。
「やめれば?」と言うのは簡単だ。本心かどうかは分からないけど、彼も今日、そのつもりだと言っていた。でもそれを私の口から言うのは、なんだか、沖田くんを傷つけるような気がしてならない。
ならせめて、私の妄想の中では、幸せになってほしい。
沖田くんを救いうる存在で、私の知っている人といえば、神くんしかいなかった。
私のBL小説の中で、悩み苦しむ沖田くんは、明るくてあけっぴろげな神くんに、たちまち救われた。
どんなにつらいことがあっても、全ての悩みを神くんが聞き出し、受け入れ、そして優しく沖田くんの頭をなでてあげる。
さすがに作中での名前は少し変えたけど、私の頭の中では、主役二人は声も顔も完全に沖田くんと神くんで展開していた。
そして身も心も抱きしめあう二人は、燃え上がるままに、互いを求めて――
い、いや。
いやいやいや。
さすがに、実在の人物をモデルにして、それを書いてしまうのはどうなのか。今までにもついその方向で筆が走りそうになったけれど、いつも未遂でとどめている。
二人のあられもない様子を書いてしまっても、私以外には、誰にも分からないことだけど。でも。
沖田くんと神くんはキスしていた。でも、見たところでは恋人同士という感じじゃない。あれは単に悪ふざけの延長だったように思える。
つまり、私の書いているものは、あの二人にとっては不本意なフィクションなわけだけど。
作中では、沖田くんは「ある内緒の仕事」をしているとしか書いていない。その中身までは書く必要がないし、書きたくないし。
だから仮に沖田くん本人が読んだって、モデルが誰なのか分かったりは……
……するか。さすがに。見た目の描写とかは、そのまんまだし。
そうなると、本人に魅せられないようなものを、勝手に書くのは……と堂々巡りになる。
悩んだ末に、二人の愛し合うシーンは、匂わせるだけにした。抱きしめ合って愛の言葉を告げ合って、次のシーンではもう、ダブルベッドの上で朝を迎えている。
しかし私の頭の中では、服を全部脱いだ二人による、大スペクタクルが展開していた。
沖田くんは安心しきりながらも神くんにベッドで翻弄されて、何度も大きな声を上げている。安心しきっているから、こそ。
私はそんなところ見たことがないから一切が想像だけど、それだけにイメージは鮮烈だった。
「くっ……」
猫がうめくような声を上げて、私はベッドに飛び乗った。掛け布団を横に丸めて抱きしめ、さらに想像を加速させる。
最高に胸が高鳴った時、私の中の沖田くんは心から愛する人に包まれて、そして――
ちくん、と胸が痛んだ。
あれ?
もう一度。沖田くんが、愛しい人しか見えない目で、とろんとしたその視線を神くんに――
――痛い。胸の奥が、針で刺されたように。
そこで、集中が途切れてしまう。
どうして。
私は、何度も、沖田くんを妄想し直そうとした。
でも、できなかった。何度やり直しても、いや、やり直すたびに、痛みは強くなっていく。
鼻をすすって、ようやく、自分の目元が濡れていることに気づいた。
どうして。
ばたん、とお母さんが帰ってきた音がした。
私は慌てて小説を上書き保存して、深呼吸して涙を引っ込める。
目を閉じると、頭の中の沖田くんは、もう服を着ていて、私を見て微笑んでいた。今日、カフェで私に向けたままの、あの瞳で。
ごまかしようがなかった。
私が沖田くんのウソカノを務めた日は、私が、嘘でもなんでもない自分の気持ちに、改めて気づかされた日になってしまった。
私がいてよかったと言ってくれた。
それだけで胸がいっぱいになる。
この先、どうやって振るまっていいのか分からない。
でもできるだけ沖田くんの傍にいよう。
いつも飄々として見えた沖田くんは、人に言えない悩みを抱えていた。沖田くんだって、迷ったり、困ったりすることがあるんだ。
私がそんな彼にしてあげられることが、少しはあるようで。
どうやらそれは、私の思い上がりではないみたいだから。
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