ウソカノ5
「なんでだよ。ていうか今日の衿ノ宮、私服姿かなりかわいいな。学校の外でクラスメイトと会うの自体新鮮だけど、そんなの関係なしに」
「あ……ありがとう。変じゃないかな」
「全ー然。となり歩けて、嬉しいよ」
「なんでそんなに褒めてくれるの?」
「ああ、おれ、学校の外だといつもこんな感じかもしれない。気の合うやつとじゃないと、なかなか話すことないから」
そうなのか。
それにしても、至近距離での、沖田くんの「かわいい」はやはり心臓に悪い。
今日の服装は、私なりに恋人とのお出かけを意識して、私の服の中ではかわいいめのベージュのワンピースに、白いトップスを合わせていた。私に彼氏がいたことはないけど、ウソカノを務める以上、できる限りのことはしたかった……ものの、気合い入れすぎとそっけなさすぎの間の服装というのが難しくて、昨夜は手持ちの服を並べて長いこと唸っていた。
おしゃれというのは日々訓練しておかないといけないのかもな、とこんな時だけは思う。
「先方との約束は歌舞伎町で十時半だから、さっさと済ませてなにか食べに行こうぜ。衿ノ宮、行きたいところとかある? 夕飯までは、さすがにだめだよな」
予想外のことを言われて、私は上ずった声で答えた。
「えっ。用事が済んだ後も、いていいの?」
沖田くんが目をぱちくりとさせた。
「おれ、今日は半日、衿ノ宮と一緒のつもりだったんだけど……。そうか、そういえばそんな約束別にしてないもんな。ごめん、先走ってた。午後忙しかった?」
「ううん全然」
「よかった」
私こそよかった。
「沖田くんは、今日行きたいところあるの?」
「まあ、二三ヶ所は。じゃあ、後で相談させてくれ」
うん、とうなずきかけた時、横合いから、
「あれ。そこにいんの、瀬那じゃねーか?」
と男子の声がした。
私と沖田くんが同時に振り向くと、そこには、一人の男子高校生――だろう、たぶん――が立っていた。丈の長い薄手のサマージャケットに、ハイビスカスがあしらわれた派手なシャツ。モスグリーンのタイトなパンツで、かなり足が長いのがわかる。身長がおそらくは百八十センチ近くあって、沖田くんより少し高い。
そのインパクトのあるシャツよりも、私は、鮮やかなオレンジ色の、ストレートの長髪に目を奪われていた。頭の後ろで結んだその髪の色に、見覚えがある。
「なんだ、ミーか」と沖田くん。
「この次期生徒会長、
「その暑苦しいうえにちぐはぐな格好で、なにが威厳だ。紹介するよ衿ノ宮。神っていって、一年の時同じクラスだった。秋には生徒会長に立候補するみたいだから、気が向いたら投票してやってくれ」
確かに服装としてはちぐはぐなのかもしれないけど、この神くんという人の均整の取れたスタイルが、どんな服でもおしゃれに見せてしまうのではないかと思われるくらいに格好いい。服に隠れていても、体が筋肉質で締まっていることは如実に伝わってきた。
いや、それよりも。そんなことよりも、彼は。思い出した。
「うお。瀬那が女子連れてる。……って、あれ? 君、どっかでおれと会ったことない?」
やっぱり。
「え、えっと、前に、沖田くんが中庭で本読んで陰を作ってあげてたのを、見てました」
「そうか、そうだよな!」
そこまで聞いて、沖田くんが「ああ」と声を出した。
「そうか、あの時すれ違ったのが衿ノ宮か。……じゃあ、あの強制わいせつ行為を見られてたんだな」
「おれから瀬那への親愛の表現が、なんでわいせつだ? でもあれ、もしかしてお前たちつき合ってんの? ……瀬那が!? 女と!?」
「ち、違うんです! これはお芝居で!」
今日の事情を、沖田くんが神くんに説明する。すんなりと神くんが納得したところを見ると、神くんは沖田くんの「仕事」については知っているらしい。
「へっええええ。嘘でとはいえ、瀬那が女子と二人でねえ」
「いや、おれだってクラスメイトと出かけることくらいあるだろ。それより、衿ノ宮には変なところ見られてばっかりだな」
「そんなことないよ。私あの時、この暑いのに日陰作ってあげて優しいなって思ったし」
これはいつか伝えたかったことなので、機会に恵まれて嬉しい。
神くんがうんうんとうなずいた。
「べ、別に普通だよ普通。ほら行くぞ」
沖田くんは、少し恥ずかしそうにしながら私を促して、神くんと別れた。
「あの辺だ。衿ノ宮、マスクして、この伊達メガネ――色つきの――かけておいて。この帽子もな」
「この前の歌舞伎町の時と、同じ理由?」
「そ。衿ノ宮の安全のため、顔は覚えさせたくない」
瀬那くんがそう言ってから百メートルほど歩いて、私たちがドアを開けたのは、少し古びた喫茶店だった。
二十人くらいで定員になりそうなお店の奥、テーブル席に一人の男性が座っている。
四十歳くらいだろうか。ややけば立ったブラウンのアウターに、白いズボンには染みが浮いている。沖田君のお客さんにしては、なんとなく、意外な感じだった。
「あ、ああ。セツナくん」
セツナくん?
沖田君が小声で、「源氏名」と教えてくれた。
「どうも、ヤスダさん。この子がおれの彼女です。こういう場であんまり顔見せたくないんで、ちょっと変装してます」
「はあ。参ったなあ。信用されてないんだな」
そう言って緩やかに笑うヤスダさんに、私は、(申し訳ないけど)あまり好感が持てなかった。自信ありげにふるまっているのが、変に浮き上がって見える。
そして沖田くんは、「信用されていない」というヤスダさんの言葉を否定しなかった。
「今までヤスダさんにはよくしてもらいましたから、これが最後の恩返しです。というか、店のルールとしてははっきりと違反してるんですけどね。おれの精一杯の誠意ですよ。だからこれっきりにしてください」
「君のところは、店なんてあってないようなものじゃないか。それより、なにか頼んだらどうだい」
「いりません。もう話は済みましたから。行こう、ユミ」
沖田くんが偽名で私を呼び、立ち上がる。
説得は十五分もあれば、と言っていたのに、わずか数秒で切り上げるのには驚いた。
「待てよ。こっちの話が済んでない」
「これ以上の話はないんですよ。大事な彼女を危険を冒してここへ連れてきた、これがおれの精一杯の誠意です。約束通り、もう店にも来ないでくださいね」
「ついていくぞ。お前の家までだ。そう言ったろう」
ぴた、と沖田くんの動きが止まる。
今度は、私は、はっきりとヤスダさんに不快感を覚えた。
こんなふうに脅されていたんだ。だから、沖田くんはこんなことまでして。
「……ヤスダさん。奥さんいるんですよね。おれもあなたもお互い、今終われば、ちょっとした人生のアクシデントというだけで、なにも失わないで済むじゃないですか?」
「おれの言うことを聞け!」
ヤスダさんが、テーブルを叩いて立ち上がった。
思わずびくりとのけぞってしまった私の方に、彼はねばっこい視線を向けてくる。
「……この子の家についていくのもいいな」
それを聞いた沖田くんが、ヤスダさんに詰め寄った。
「そんな真似だけはしないと信じていたんですがね」
「セツナくんもその子も学生だろ? 君たちのダメージを考えた方がいい」
「あの」
私は、おずおずと手を挙げた。
「なんだよお嬢ちゃん」
「私の父は、警察官なんですが……」
今度は、ヤスダさんの動きがぴたりと止まった。
「私もそこそこ、世の犯罪行為については父から教えられているんです。ヤスダさんは、私が思うに、今すでに結構まずい状態でして……本当に、ここまでにしておいた方がいいと思います。セツナくんも、ヤスダさんのために言っていることなんです」
「な、なにを言ってるんだ。そうだ、警察の娘だからこそまずいだろ? こんな仕事してる男と付き合ってるなんて。君は本当に彼女なのか? なら知ってるんだろうな、この子がおれとどんなことをしているか。たとえばだな――」
沖田くんの「仕事」について、ヤスダさんは大きな声でまくしたてようとしたのだろう、大きく口を開いた。
まったく興味がないといえば嘘になるし、沖田くんが私の知らないと心でどんなことをしているのか、知りたい気持ちは確かにあった。
そんな気持ちを持っていたことに、私は罪悪感を抱いた。
沖田くんが、誰にも見られずに、壁の内側でしていた内緒の行為は、他人の口から聞くことではない。
ヤスダさんの言葉が喉から出かけた時、私は機先を制して言った。
「全て知っています。その上で私は、彼のことが好きです」
ヤスダさんが一瞬あっけにとられたような顔になり、そして、あのいやらしい笑顔を浮かべる。
「はあ。ははは。そうか。君もおかしいんだな……」
沖田くんが、ヤスダさんの胸ぐらをつかんだ。
「やめて、セツナくん」
「いや、今のは聞き逃せない。誰がおかしいって?」
「ひ、ひい。ネットに……」
ヤスダさんが、恐怖に顔を引きつらせながら言ってくる。
「ああ?」
「ネットに書いてやる。お前らの個人情報全部、あとつけて、調べ上げて。名前も学校も、全部。ニュースになって全国に知れ渡るような載せ方してやるからな」
いずれこれを言い出すだろう、と思っていた。
沖田くんが握りしめている拳を横目に、私は答えた。
「たぶん、それを突き止める前にヤスダさんが捕まります。なにかあったら私は今日のことを父に言いますんで、ヤスダさんが特定されるほうが早いです。ニュースになるのも、ヤスダさんの方です。……捕まってからの方が、つらいみたいですよ」
なるべくゆっくりと、私が感じている嫌悪と恐怖を表に出さないように、それだけを心がけて淡々と話した。ヤスダさんが少しでも利己的に、冷静になってくれるよう願って。あまりこういうことは得意ではないので、自信はなかったけれど。
沖田くんもヤスダさんから手を放し、
「おれ、仕事自体もうすぐやめるつもりなんです。だから、今まで仕事で関わってくれた人たちには、平穏に暮らしてほしいんですよ。きっとまた新しい誰かが、ヤスダさんのことを癒してくれますから」
そう言われて、ヤスダさんは再び椅子に座った。
沖田くんが私に目配せする。「出るぞ」ということだろう。
私たちは、並んで喫茶店を出た。
薄暗い室内から、急に明るくなったので、軽くめまいがする。
しばらく歩いてから沖田くんがいきなりがばりと頭を下げた。
「ごめん、衿ノ宮! 怖かっただろ!?」
「えっ!? う、ううん、大丈夫だよ!? 沖田くんこそ」
「いや、あそこまでになる人だとは……。変装しておいて、まだしもよかったな。ついてきてないよなあ、くそ。疲れただろ、どこか入ろうぜ」
私たちは、五分ほど歩いて、看板が目立っていたカフェに入った。
カップルや女性客が多くて、窓が大きくて明るく、落ち着いた気持になる。
「さっきの店、あのレトロで薄暗い雰囲気が評判いいんだけど、あの親爺一人のせいで台無しだったな。衿ノ宮、本当にごめんな。それにありがとう。案外度胸あるんだな、見知らぬ男にあんなタンカ切るなんて」
「そ、そんなに大したことしてないから。タンカというか、あれは、言い負けちゃいけないと思って」
沖田くんは、「そうだな、言い負けなかったな、全然」と笑ってから、ふと思い出したように首をかしげた。
「衿ノ宮のお父さんて、本当に警察なのか?」
「あんなの嘘嘘。うち、母子家庭だもん。なんて言ったら落ち着いてくれるかなって、それだけ考えてたんだ」
「そっか。いや、それでほっとしてるのはまずいんだよな、おれも。いや、今日は、もっとすんなりいくと思ったんだけどなあ」
「めっちゃ執着されてたね……」
「でもな、あれで何日かすればけろっと新しい男見つけるんだよ。似たようなことは何度かあったんだけど、あんなにおれにご執心だったのにアレ? ってなるんだよな」
沖田くんが苦笑する。それからふっと真面目な顔になった。
「衿ノ宮、聞きたくもないこと聞かせちゃったな。それもごめん」
なんのことを言っているのかは、すぐに分かった。沖田くんがあの人と、どんなことをしてきたかについて。
具体的に中身を聞かなかったせいか、今でも、現実味がなかった。目の前にいる沖田くんが、あの人と、密室の中で服を脱いで、そして……
「……今、想像してるか?」
「えっ!? し、してないよ!」
してました。すみません。
「実を言うと……さっきおれ、衿ノ宮に、いっそ『仕事』の内容を聞いてしまってほしい、とも思っちゃったんだよな」
「私に?」
「人に言えないことをしてるってのは分かるだろ? ミー……神なんかは、多少は知ってるけど、必要以上に触れないようにしてくれてる。実際それでいいんだ。でもたまに、つらくなる。誰か一人でもいいから、おれがどんなことをやってるのか、知っていてほしいって思うことがあるんだ。そう、一人でいいから……仕事に関係のない、でも信頼してる誰かに」
沖田くんが、右手のひらで顔を覆った。
細く、静かなため息が、その下から漏れてくる。
「それでも、自分の口で言うのはさすがにきついんだ。だからさっき、この野郎なに言うつもりだって思いながら、打算も働いてて。こいつが、おれが衿ノ宮に知ってほしいことを全部言ってくれたらって、……最低だろ?」
「沖田くん」
「衿ノ宮は、おれが自分から話さないことを、無理に聞き出そうとはしないでいてくれた。やりにくかったろうに、今もこうして今まで通りに傍にいてくれてる。……嬉しいよ、凄く」
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