第四章・第十六話 因果応報
――私は悪くない、と、たとえこの世の全ての人が認めても。
個人としては、わだかまりを完全には一掃できない。
だから、ささやかな生涯の責務を負うことにした。
藤堂は、その常軌を逸した言動などから、まず精神鑑定のために留置された。
鑑定の結果は「人格障害」ではあったものの、裁判官は責任能力があると判断し、奴は正式に裁判にかけられた。
空前絶後と言っていいテロを起こした犯人だ。
検察側の求刑は、問答無用の死刑。
弁護側も、いかに鑑定留置の結果である「人格障害」を理由として強調しても、まして、無条件で無罪になる「心神喪失」を主張などできようはずがない。せめて無期懲役を懇願するのが精一杯らしかった。
藤堂は大変往生際が悪く、どこまでも私に全責任があるという主張を譲らなかった。
また、「ゴミ虫を少しばかり殺しただけ」という考えも覆さなかった。
そんな戯言、あるいは他人を愚弄しきった言い分に耳を貸すほど、この国の司法は落ちぶれていない。
なにより、藤堂自身が書いていた日記が、揺るがぬ証拠だった。
明確な犯行の意志、入念な計画、そして責任転嫁のもくろみが記されている、本人による日記。いかなる言い逃れも通用するはずがない。
判決は求刑通りの死刑。藤堂が何をどれだけ喚こうが、弁護側も控訴のしようがなかった。
かくして裁判は一審で結審し、藤堂の死刑が確定した。
公正中立を是とする裁判長でさえ、判決を言い渡した後に、
「あなたにはもはや、何も言うことはありません」
と、静かに付け加えたという。
藤堂は、裁判長に詰め寄ったそうだ。
「ゴミ虫をちょっと殺して死刑になるなら、殺虫剤メーカーや白アリ駆除業者なんかの連中も、全員死刑にしろ!」
……どこまでも身勝手で、常軌を逸していた。
後年、裁判長自身が当時を回顧したところによると、
「事件の重大さ、悲惨さに対して、被告が反省の態度を微塵も見せなかったことや、そのあまりの身勝手さを思うと、さすがに怒りが抑えきれなかった」
ということだった。
前に触れた通り、あの地下鉄サリン事件においては、実行役だった信者達に死刑判決が下った。仮に私が首謀者だったにせよ、藤堂自身も死刑は免れない。
どうやら奴は、以前から全く変わらず、至って真面目に、何の疑いもなく、
「ゴミ虫をちょっと殺しただけだから、死刑になんかなるはずがない」
と信じていたようだった。
身勝手な認識の歪みぶりも、ここまで来ればあっぱれだな、と、世間は奇妙に感嘆した。だが、奴の死刑判決に疑問を挟む者は、世間には皆無だった。
それどころか、過激なSNS界隈では、「拷問でなぶり殺しにしろ!」とか「東京ドームで公開処刑にしろ!」などという声さえ少なからずあった。
まさか江戸の昔でも、まして古代ローマでもなし、そんな残虐な処罰は不可能だったにせよ、長らくSNSのトレンドに上った、このハッシュタグが全てを物語っていた。
#藤堂拳には地獄すら生ぬるい
ちなみに、藤堂の死刑が執行されたのは、判決から五年後のことだった。いかなる死刑反対論者も、この時ばかりは黙った。
正しくは、沈黙せざるを得なかった。
なぜなら、仮に奴の死刑執行に異を唱えたなら、
「悪魔の肩すら持つ偽善者」
のレッテルを、未来永劫貼られただろうから。
藤堂は、無事に裁かれ、しかるべき報いを受けた。
一方の私は、確かに「世間的には」悪くない、むしろ被害者だ。
けれど「私個人としては」スッパリと割り切れようはずがない。
だから、自分の体調が回復して数日後に、新宿駅に設けられた献花台へ、弔いの花束を供えた。また、犠牲者を追悼する集いがあれば、素性は伏せて、必ず参加した。
後に、新宿駅構内には慰霊碑が作られることになるのだけれど、毎年事件が起きた日に、そこで手を合わせて祈りを捧げた。
……それが、生涯にわたる、ささやかながら、大切な責務になった。
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