第四章・第十五話 告白、そして終焉

 ――広げた風呂敷は、きちんと畳まなければならない。

 長い時間がかかったけれど、その作業に着手した。


 ある朝。久しぶりに、窓の外を見た。

 さんさんとした、暑い夏の陽差しが照っていた。

 天啓のように、今しかない、と思った。


 程なくして、武尊が来た。ここ最近は、かなり回復できたこともあって、彼は特に世話をしない。会話らしきことも少なかったのだけれど、「側にいてくれる」だけで、気分は相当違っていた。


 武尊は「あの事件」については、今までまったく話題に出さなかった。

 ひどい邪推だけれど、まるで、衰弱した原因が「それ」であることを知っているんじゃないかと思えるほどだった。


 けど、そんな事はどうだっていい。

 彼に、話さなければならない。


 武尊がグラスに注いでくれた冷たい麦茶を一口含む。

 そして、くっ、と息を呑んで、「話さなきゃいけないことがあるの」と切り出し、全てを打ち明けた。そう。一から十までの全てを、包み隠さず。


「それは、征美が悪いんじゃない。断言する」

 静かに、でも強い調子で、武尊は言った。

「お前は利用されただけなんだ。共謀者でも、まして首謀者でもなんでもない。むしろ被害者だ」

 繰り返し、繰り返し、武尊は、私の罪悪感を否定した。

 それは、身内をかばって無理をするようなものではなく、断固とした真実を語る口調だった。


「それにしても、相変わらずお前は、極端から極端に走るな。らしいと言えばそうだが。はははっ」

 あえてなのか、武尊は明るく笑った。その笑顔に、まさに救われた。


 ついに、決意した。

 藤堂のことを通報しようと。


 ただし、電話口だと詳しい説明がしづらいし、もしかしたらいたずらだと思われるかも知れない。だから、最寄りの警察署に、武尊と一緒に向かった。


 武尊は否定したけれど、もしかしたら、やっぱり罪に問われるかも知れない。


 ……でも、それでも構わないという覚悟が固まっていた。


 ――警察署。

 事の経緯をできるだけ詳細に、いかにもベテランといった風体の、ちょっといかつめな刑事さんに話した。


 さすがに「世界を征服したかったから」という理由を言うと、あまりに荒唐無稽なせいか、苦笑いされた。率直に、恥ずかしかった。


 後は、どうしても確認しておかなければならない事があった。いかに覚悟は固まっていたとは言え、「正式な判断」がどうであるのか? は、やはり不安だった。恐る恐る聞いた。


「あの、刑事さん。私の言動は……指示、あるいは教唆に当たるんでしょうか?」

 すると、対応に当たってくれたその刑事さんは、意外なほど柔和に微笑んで言った。


「大丈夫ですよ。あなたの動機は、そもそもが、悪ふざけか冗談のレベルです。まして、具体的な行動を指示もしていなければ、促したわけでもない。藤堂拳が何と言おうが、あなたが罪に問われることはありません。安心して下さい」


 それを聞いて、やっと、やっと、肩の荷が下りる実感を得た。


 通報後、すぐさま藤堂は逮捕された。また、あらゆるメディアが、上を下への大騒ぎになった。


 藤堂は、犯行そのものはあっさり認めたものの、やはり「木戸征美って女の指示でやっただけだ! 首謀者はあいつだ! 僕は悪くない!」と強弁した。


 しかし、警察署で刑事さんが言った通り、誰の耳にも「世界を征服したかった」などという理由は、ただの悪ふざけにしか聞こえなかったらしい。藤堂の主張は、無駄な悪あがき、卑怯な責任転嫁であることに、疑いを持つ捜査関係者はいなかった。


 さらに奴は、こうも言った。

「たかがゴミ虫を少しばかり殺したぐらいで、何が悪い!」

 その言葉は、被害者を筆頭とした、藤堂を除く日本国民全員の神経を全力で逆撫でした。いや、逆鱗に触れるものだった。


 まさしく日本中が「藤堂拳憎し」の空気で満たされた。


 事件発生当初に疑惑の目を向けられた、極左思想の過激派組織でさえ、自分達が常日頃から暴力による革命を標榜しているくせに、犠牲者への哀悼の意と、藤堂への憎しみを声明として発表するという自家撞着ぶりを見せるほどだった。


 なお、私は世間的に「極悪非道なテロリストに、罪を着せられそうになった被害者の一人」と見られるようになった。どんな報道でも「木戸征美」の名前は出ず、単に「藤堂拳の同級生の女子」と表現された。


 ただ、マスコミの取材はあった。インタビューもされた。でも、名前を伏せられたのはもちろん、映像に出る時には、顔にモザイクをかけられ、声も変えてもらえた。おかげでプライバシーは保たれ、実家の両親に無用な心配をかけなくて済んだ。


 ちなみに「世界を征服したかった」という動機は、日本中が哀しみと怒りに満ちている中、ふざけているにも程があると解釈されたのか、インタビューされた時を除けば一切の言及はされず、「軽い冗談の一言」でぼやかされた。


 正直なところ、どうかしていたのは分かるから、変に公にならなくてよかったと思った。


 インタビュー内では「どういう冗談ですか?」と必ず聞かれたけれど、「たいていの人が、思春期頃に一度は考えたことがあるとは思うんですが、『世界が自分の思い通りになったらいいのにね』なんていう、幼稚なワガママレベルの冗談です」という表現にしておいた。


 たいていの人が抱いた事があるはずだ、と、共感を誘ったのは少しずるいかも知れないけれど、実際、幼稚なワガママであるのは本当なのだし、嘘は言っていない。


 藤堂の下宿のマンションには、もちろん強制捜査が入った。


 サリンを始めとした毒ガスの原料となる様々な劇物類、あるいは爆発物の材料(当然というのも変だけれど、新宿駅で爆発した猫たちが背負っていた爆弾に使われていたものと同じだった)、またあるいは3Dプリンタで作った銃(これも当然というのもおかしな話なのだけれど、殺傷能力があると、後に鑑定結果が出る)など。ありとあらゆる違法な物品を所持していたことが露呈し、皮肉屋の某週刊誌からは、「テロリズムの見本市」とまで言われた。


 ちなみにサリン防止法が制定されている中、奴がどうやってそれを手に入れたのか? については、こうだった。


 インターネットは今や必須の生活インフラの一部だけれど、光あるところには影がある。


 世界には「ダークウェブ」と呼ばれるネットの世界がある。通常の方法ではアクセスできず、特別なブラウザと、徹底した身元の隠蔽が必要な、言わば「裏のインターネット」。一番の特徴は、サイトのドメインが「.onion」であることだ。


 ダークウェブの世界は、まさしく「何でもあり」。違法薬物の売買なんかは初歩のうちで、対価さえあれば殺し屋だって雇えるらしい。


 藤堂はその世界に精通しており、海外の犯罪組織から、サリンを購入、密輸した。手口は巧妙で、厚底ブーツを何足か輸入するフリをして、そのかかとの部分をくり抜き、そこにサリンの液体を隠していた。また、念の入ったことに、隠している場所にはX線を通さない細工が施されていた。


 ところで、ダークウェブがそんな犯罪の巣窟なら、芋づる式で摘発もできるのでは? と思う人もいるだろう。


 専門家の見解の引用だけれど、それは不可能だ。なぜなら、ダークウェブの住人達は、十重二十重に身元を隠蔽しているのだから、人物や拠点を特定のしようがない。逆に言えば、その念の入り方こそが、ダークウェブが今に至るも存在し続けている理由だろう。


 先に紹介した週刊誌じゃないけれど、店が開けるほどの違法な物品が押収されたこともさることながら、決定打になったのは、奴が、小学生の頃から毎日付けていた日記だった。


 以下は、報道経由で知った内容だ。


 その日記は、一冊目の一ページ一行目から「みんなバカばっかりだ」で始まっていた。

 そして、ひたすらに他者を見下す物言いと、「世界のくだらなさ」が綴られていた。


 序盤のここまでなら、正直なところ、私との共通点もあるかな? と思うし、幼少期から自意識が肥大しきっていたという解釈も、まだ通じる。


 しかし、次第にそれは、おぞましい破壊衝動を抱く描写になり、時系列的には高校入学の時期あたりから、「みんなゴミ虫だ」という言葉が頻出し始める。


 そして「いつか、きっと」と、まるで正当な夢を抱いているかのように、無差別テロを起こしたいという願望が書かれ始めていた。


 やがて大学生になってから、具体的に「夢の実現=無差別テロの実行」の機会を虎視眈々とうかがっていたようだ。


 私との出会いは「まさに待望の好機」と記され、いざとなれば全責任をなすりつければいい、などといったことが綿々と書かれていた。


 なお、奴は、この頃から既に「ゴミ虫ごときを多少殺したところで、罪に問われるはずがない」と信じて疑っていない様子だった。


 事件は、藤堂単独による犯行であると、明確に断定された。


 かくして、全てに決着がついた。


 ……ようやく、普通に眠れるようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る