第三章・第十四話 私の「世界」

 ――人間を「社会的な動物である」と言ったのは、確かアリストテレスだったはず。

 その意味が、こんなに重く感じるなんて。


 それから、武尊は文字通りのつきっきりで看病してくれた。

 忘れるほど長く、もう水道水しか口にしていなかったから、まずは武尊がゼリー飲料を買ってきてくれて、それから飲み始めた。


 次に、ゆるめのおかゆを食べた。より正確には、食べさせてもらった。夏だったけれど、温かいものを食べたのはほんとうに久しぶりで、感動ですらあった。


 武尊には、暖かく濡らしたタオルで、身体も拭いてもらった。ガリガリにやつれた身体をさらすのは、正直かなり恥ずかしかったのだけど、断る理由はなかった。


「大学は……大丈夫なの? バイトは?」

 一日中――そう、朝一番で家に来て、陽が暮れるまで――彼が世話を焼いてくれるものだから、つい、心配になって聞いた。武尊は、まったく気負った様子なく、返した。

「必要な単位は全部取ったし、卒論もテーマは決まって、資料を集めてる。後は書くだけさ。バイトは、事情を話して休みをもらってる。ま、仮にクビになったところで、コンビニだからさ。他の店に行けばいい。征美は、何も心配しなくていいんだよ」

「あり……が、とう……」

 感激で、声が震えた。武尊は、これを優しいと言わずして何と言おうか? という笑みで、私を見ていた。


 ゆっくりとだけれど、武尊のおかげで、回復していった。

 どれぐらいの時間がかかったか? なんて、まさか正確には覚えていないけれど、少なくとも、普通の食事ができるまでにはなった。


 ただ、もしも無理矢理にでも欠点を挙げろと言われたなら、やっぱり武尊は男性だったということだ。


 どういうことか? というと、食事を作ってくれるのはいいのだけれども、ざっくり言えば「肉と米!」と大声で主張しているような、俗に言うところの「野郎飯」がほとんどだった。


「悪いな、征美。こんなもんしか作れなくて」

 申し訳なさそうに言う武尊。

 確かに栄養面では偏っているかも知れない。

 だけど、彼の作る料理には、間違いなく「優しさ」が籠もっていた。

 食事をすると言うことは、胃袋の空腹を満たすだけじゃない。

 心を潤し、癒すものでもあるんだ。

 明らかに味の濃い牛丼を食べながら、丼で顔を隠して、感動で少し泣いた。


 そして、心底から思った。

 この彼を、指一本で粛正できる世界?

 そんなの、まっぴらごめんだと。


 同時に思った。

 私にとっての「世界」というものは。

 大切な人とのつながり、つまり社会性。

 細分化すれば関係性そのものなんだと。


 不慮の死を遂げてしまった、愛猫だったゴリアテを悪く言うつもりなんてないけれど、その「関係性」は、「動物との」ではなく「人間との」それでなければならない。


 なるほど、たとえ「人との関係」であれ、それはちっぽけなものかもしれない。

 けれどそれは、宇宙よりも深いものなんだ。


 なあんだ、私はもう、世界をこの手にしているんじゃないか。

 今までの自分が、下手くそで不格好な道化そのものだったことに気付いて、可笑しかった。


 いつしか、モノクロームだった景色は、本来の彩りを放っていた。


 ただし、まだ、武尊に「理由」を話していない。

 彼は何も聞かなかったけれど、話す義務があった。


 もう、夏のお盆も過ぎた頃。私は、ほぼ元通りになっていた。ただ、食事はできても、夜の眠りがやはり不安定だったのだけれども、そこは武尊が買ってきてくれた睡眠導入剤で、ちょっと無理矢理寝ていた。


 ……そろそろ、けじめを付けるべきだと思い始めた。

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