第三章・第十二話 生き地獄

 ――絶対にありえない話だけれど、もし、罪悪感が金銭と交換できたなら。

 私は、世界一のお金持ちになっていただろう。


 ……それからのことは、よく覚えていない。

 次に気が付いた時には、自分の下宿で、着替えもせずにベッドに横たわっていた。

 身体中に、力が微塵も入らなかった。

 ただ、それこそ地球よりも重いような罪悪感に苛まれていた。


 何らも、できなかった。

 食事も、睡眠も、お風呂さえも。


 私が。

 私が「世界を征服したい」なんてバカげた願望を持ったばかりに。

 悪魔につけこまれ、途方もない罪を犯してしまった。


 私のせいだ。

 全部、私のせいだ。

 私が。私が数多の、罪もない人々を殺したんだ。

 たとえ自らが手を下さなかったにせよ、原因は私にある。


 何日も、何日も。

 食事をする気もなれなければ、一睡もできなかった。

 ただ、テレビで見た、あの地獄絵図が、克明に脳裏へエンドレスで再生された。


 日本中が、怒りと哀しみに満ち満ちていた。

 その全ての怨念が、残らず向けられているように思えた。


 私のせいだ。

 私の幼稚なワガママが、「本物」の背中を押してしまったんだ。


 藤堂の言う通り、仮に通報しても、奴は罪をなすりつけるだろう。


 ただ、身勝手なもので、裁かれたくない、と思った。

 あの事件は、私が実行したんじゃないんだ。悪いのは、藤堂一人のはず。


 しかし、地下鉄サリン事件においても、実行犯役の信者達が死刑判決を受けたのは当然ながら、犯行を指示した教祖も死刑に処されている。


 つまり、通報して、藤堂が逮捕起訴されて、裁判にかけられるのは分かるとしても、同じ目に遭う可能性は大いにあるわけだ。


 何せ、自分が全くの無関係か? と問われたなら、それも違う。立派に「指示」ないしは「教唆」に当たるような気はしていた。


 どうあっても、責任は免れない。

 そうとしか思えなかった。


 私が。私が。私が。私が……!


 こんな状態で、食事が喉を通ろうはずもない。

 水道水を飲むのがやっとだった。

 また、夜に安穏と眠れようはずがない。


 一歩も、外にも出られない。

 周囲に、どんな人にも合わせる顔なんかない。


 テレビも、ひとときだって点けられない。

 どこのチャンネルであれ、あの事件を報道しない日はないのだから。

 スマホからも、ニュースアプリのプッシュ通知がひっきりなしに来る。

 震える指で、電源を切った。


 当然、バイトなんかにも行けなかった。

 連絡手段を自ら断っているのだから推測でしかないけれど、無断欠勤続きでクビになっているはず。けど、そんなことは、心底から些事だった。


 みるみるうちに、やつれ果てていった。

 死ぬことも考えた。

 いや、死ぬべきだと思った。

 このまま餓死してもいいと思った。


 でも。私一人が死んだとしても、藤堂の奴は生きている。のうのうと。

 あの悪魔を野放しにしていいのだろうか?

 答えは、断じて否、だろう。


 何度も、警察に通報することを考えた。でも、その度に藤堂に言われたことを思い出し、臆病風に吹かれて、できなかった。


 ああ、こんな骨なしチキン女が、よくも「世界を征服したい」だなんて思ったものだ。我ながら、呆れて物が言えない。


 ……情けないよりも、あまりの己の愚かさに、笑う気すら起きなかった。

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