第三章・第十一話 悪魔

 ――「悪魔」以上の非道さを目の当たりにした時、どうする?

 そう。私は「そういう奴」と対峙していた。


 ここで、話が冒頭に戻る。「奴」、つまり藤堂は、オートロックを開ける時の、インターホン越しにも声が弾んでいた。私は、既にガタガタと細かく震えていた。招かれて、部屋に入った。奴は、満面の笑みだった。

「いやー、痛快なことが起きたねえ!」

 私にコーラを勧め、自らは以前同様アールグレイティーのボトル。ぐびり、と、さも美味そうにあおって、奴は言った。


 それは例えば、総合格闘技の試合において、挑戦者がチャンピオンを華麗なハイキックでKOしたことに、健全なカタルシスを覚えたような口ぶりだった。


 あんな凄惨な事件が起きたというのに、この男の思考回路はどうなっているのだろう? 純粋なでに疑問だった。藤堂が、やはり「ニチャア」と口角を吊り上げた。


「ふふふ、『お手本』は、参考になったかな?」

「な――」

 正しく、凍り付いた。まさか、と思った。

 いや、「そうだろう」と、嫌な予感はしていて、だから今、ここにいるのだけれど!


「あれは……あのテロは、あなたがやったの!?」

「ああ、そうだよ」

 明らかに誇らしく、澄み切った目と清々しいまでの笑顔で、藤堂は言った。


 ……違う。

 違う、違う、違う!!


 今、こいつに聞いたのは!

「今朝、歯はしっかり磨いたの?」

 とか、

「相変わらず、ランチは唐揚げ定食?」

 とかいった、そんな日常の些末なことじゃない!!


 しかし、奴の答え方は、それぐらい軽かった。

「あ――」

 自分が何を言おうとしていたのかさえ、分からなかった。

 ただ、「二の句が継げない」というのはこのことか、と、奇妙に己を俯瞰していた。


 悪魔だ。この男を悪魔と言わずして、何と言おうか。


 今。今この場で通報すべきだ。そう思って、スマホを取り出した時だった。それを見とがめた藤堂が、いやに芝居がかった調子で言った。


「おおっとぉ? 君に、通報する資格はあるのかぁい?」

 おどけていながら、余裕に満ちた物言いだった。諭すように続ける。

「言っただろ? これは『お手本』だって。木戸さんが『世界を征服したい』と言ったからこそ、サンプルを見せるために、僕はやったんだ。つまり、全ての発端は君なんだよ? そこを忘れてもらっちゃ困るなあ?」


「そ――」

 息を呑んだ。

 そうだ。その通りだ。私が「世界を征服したい」と言ったから……!


 ……私が、全ての、発端なんだ。

 その事実を突きつけられ、全身が砂になって崩れそうな気持ちの中、藤堂は、聞きもしないことをべらべらと話し始めた。


「分かったかい? 上を狙うより下だよ。いやあ、やっぱり下々の愚民を従わせるには、暴力と恐怖が一番効くなあ。議論なんか、バカどものすることさ。しかし、こうも狙い通りに成功すると、まさしく胸のすく思いがするね!」


 ふと、去年だったか一昨年だったかの夏休みに帰省した折、実家で父親が塩ゆでの枝豆をツマミにビールを飲みながら、

「ビールには、塩ゆでの枝豆が一番合うなあ!」

 と笑っていたのを思い出した。


 またあるいは、

「ホットケーキにはハチミツよりもやっぱりメイプルシロップだよね!」

 といったような、ありふれた趣味嗜好を嬉々として語る調子そのままだった。


「自殺願望のあるホームレスのジジイぐらい、簡単に見つかるもんだし、いやあ、駒にも恵まれたよ! 防犯カメラのハックなんて朝飯前だしね!」

 さらに聞きもしないことを話す藤堂。確認のために、震える声で聞いてみた。

「猫を駅に放した男も、あなたがそそのかしたのね?」

「そそのかしたとは、ひどい言い方だなあ? 僕はただ、死にたがってるオッサンに、青酸カリを報酬に、一仕事依頼しただけだよ?」


 心外そうに口を尖らせる藤堂だった。まさしく「友だちに、コンビニでおやつを買ってきてもらったから、お釣りをお駄賃に上げたよ」みたいな言いようだった。


「あ、あなたは……人の命をなんだと思ってるの!?」

「うん? じゃあ逆に聞いてもいいかい? 君は、部屋の片隅に溜まった綿ぼこりを、後生大事に宝箱に入れておいたり、部屋に湧いたゴキブリに、名前を付けてペットにするのかい?」

「ど、どういう意味よ?」

「つまり、僕以外の存在なんか、全部ゴミ虫ってことだよ」


 道端で猫を見て「あれは犬かな?」と問う者などいないように。

 「太陽って西から昇るんだっけ?」と聞く者などいないように。

 どこまでも澄み切った目で、藤堂は断言した。


 自分勝手とか、自己中心的とかいうレベルじゃなかった。

 また同時に、比喩として言っているのではないと確信できた。

 この男は、何らの疑いもなく、自分以外の他人全てを「ゴミ虫」だと思っているんだ。


 率直に「人でなし」だと思った。

 慄然としている私に、まるで子どものいたずらをとがめるがごとく、奴は言った。

「けど、木戸さん? くどいようだけど、忘れちゃダメだよ? 言い出しっぺは君だ。言わば僕は、君に従ってやっただけだからね?」


 その時、やっと分かった。全ては遅すぎたけど。

 要するに、この男は共犯者……いや、罪をなすりつける相手が欲しかっただけなんだと。


 そんな内心を読んだかのように、藤堂が言う。

「別に、通報したかったらやっていいよ? その代わり、僕は警察に、遠慮なく『木戸征美って女の指示でやった』って言うから」

「……ひっ……」

「でもまあ、そこまで悲観したもんでもないよ? なんせ、ゴミ虫をちょっとばかり殺しただけだから、罪に問われたとしても軽い軽い。あははっ」


 ……この男は、どこの世界線の話をしているのだろう?

 あんな未曾有のテロを起こして、「軽い刑」で済むと、本気で思っているらしい。


 いや、それよりも。

 私が、全ての発端なんだ。


 ……目の前の景色が、誇張抜きで、ぐにゃりと歪んだ。

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