第二章・第九話 思案の日々
――振り返れば、この頃が一番「楽しかった」日々だった。
つまりは、「無邪気」だったわけだ。
それからは、「世界を征服するための具体案」を、自分の下宿で考えるようになった。
とは言え、蛇口をひねればすぐ水が出るように、即座には浮かばない。
ただし、一つだけ確実なのは、藤堂は「甘い」と言ったが、無意味に、あるいは娯楽のように人を殺したいわけじゃない。
「うーん……」
勉強机で頭を抱え、なおも考える。
いきなり世界を標的にしても、さすがに無理がある。
まずは「日本を手にする」ことを考えてみよう。
とは言え、レベルを下げても物事の難易度はあまり変わらない。
そうだ。手始めに「自分の理想」を固めていこう。
今のこの国は、特に政治に関心がなくとも、暮らしづらいというか、生きづらい。
政治家は腐敗しきっているし、労働者の賃金水準が低い割には、税金の類も高い。誰しもが閉塞感を感じているだろう。
それらを解決せねばならないのでは?
と、考えて、違和感を覚えた。
私は、単なる平和主義者なんだろうか?
多分違う。違うはずだ。じゃあ、結局の所、どうしたいのか?
次に、できるだけ正直に、自分的欲望を洗い出してみた。
一つ目は、誰であろうと、逆らうことは許したくない。
二つ目は、自由でありたい。一切のしがらみから解き放たれたい。
つまり、好きな時に、好きなように振る舞いたい。
三つめとして、当然、経済的なことで悩みたくなんかない。
そう思うと、これも詳しくは知らないものの、共産主義者にも思える。
しかし、今のこの世において、共産主義、ないしはその過程である社会主義を標榜、実践して、真の意味で成功した国なんてない。
社会主義、かつ一党独裁政治を語るなら、お隣の中国は避けて通れないだろう。けれど、あの国とて、社会主義でありながら、資本主義も取り入れている。だからこそ国が成り立って回っているんだ。
中国をお手本にしようにも、あそこは規模も歴史も違いすぎる。
もう一カ所、独裁国家として思いつくのは、お隣の半島の「北のあの国」だけれど、断片的な情報を見聞きするだけで、あそこは最高にして最悪の反面教師、とんだディストピアだと誰でも分かる。あんな世界にしたいんじゃない。
また、違う、と思った。正確には、思考がふりだしに戻った。
つまり、「一部の例外を除いて、独裁政治が現実的には成立し得ない世界で、独裁者になりたい」と思っている。そんなことは、無駄な努力にしか思えない。
さらにまた、違う、と思った。
そうだ。「独裁者として成功」すればいいんだ。
これは持論だけれども、人間というのは「強制されること」を嫌う。単にみんな「義務」という名前にすり替わった名目の元で、仕方なくやっているに過ぎない。
ただし、無から有は生まれない。それは分かる。
「誰かの何か」を犠牲にしない限り、世間というのは回らない。
ではその「犠牲者」を誰にするか?
それはもう決まっている。「歯向かう存在全て」だ。あるいは、世の中に一定数以上は必ずいる、「生きる価値のない連中」でもいい。
少し、頭の中が整理できてきた気がする。
短くまとめれば、「気に入らない連中には存分に苦痛を味わわせて、自分を崇めてくれる者には、それなりの見返りを与えよう」ということだ。
しかし、また違和感を覚えた。なんだろう? 結局「無条件で尊敬されたい」だけなんだろうか? それに、さっき言った「理想」にしても、例えば軍がクーデターを起こして政権を掌握したような国と同じではないか?
いいや、ああいうのは全て「失敗例」だ。私だけが「成功」すればいい。
勉強のことなんか、まるっきり忘れていた。なんなら、食事さえも、固形タイプのカロリーメイトと水で済ませていた。
ふと、いけない、と思った。これでは、一歩間違わなくても、妄想に耽るだけのイタイ女かも知れない。
そう思いかけて、慌てて自分を否定した。
これは妄想ではない。実現のためのプロセスを策定している過程なんだ。お花畑な思考を巡らせているわけじゃない。
そんな折、ふいにスマホが鳴動した。見ると、ニュースアプリからのプッシュ通知だった。速報として、都内某所で無差別通り魔事件が発生した、と言う内容だった。
ああ、と、奇妙な言い方をすれば、背中を押された気分になった。
この世には「存在しちゃいけない連中」というのがいるんだ。世界の頂点に立ったなら、こんなつまらない連中は、まとめて十三階段を登らせたい。
そこでまた、ふと思った。
つまり、恐怖で民衆を支配することだろうか? 下々から恐れられたいのか?
近しい気はするけれど、何かが違うな、と思う。同時に、何かしらの、大事なステップを飛ばしている気がしてならない。
厄介なことに、なかなか考えがまとまらなかった。
ただ、この壮大な野望の道筋が、ほんの一日で定まってしまえば、誰も苦労はしないだろう。ひたすらに考え続けた。
……後にして思えば、やっぱりこの時期が一番、「無邪気で楽しかった」。
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