第二章・第八話 具体案の策定
――「本物」たるには、まず「本気」でなければならない。
だが、「本物」がそれたる所以は、「有言実行」であることだ。
そう。どんなことであれ。
キャンパスにはもう用事がなかったので、学食を出たその足で、早速藤堂の下宿に向かうことにした。
十五分歩いたかどうか? と言う立地だった。いざ到着してみて、驚いた。そのマンションは、学生向けの下宿というより、ファミリー向けなのでは? と一目で分かる程立派だったからだ。
「僕の部屋は、二階だよ」
私の下宿同様、玄関で暗証番号を入力し、オートロックの自動ドアを開ける藤堂。その後についていく。
たかが二階までにエレベーターで上がり、205号室の前で、止まった。部屋の鍵は、ホテルのようなカード式だった。藤堂がカードキーをセンサーにかざし、ロックが外れる音がした。そして、いやに恭しい(似合うとは言っていない)様子で、ドアを開く。
「どうぞ?」
「お邪魔します……」
促されて部屋に入り、さらに驚いた。
完全な偏見、と言ってしまえばまさにそうなのだけれども、てっきり、中は腐海のような乱雑さと汚らしさだと思っていた。
ところが、現実はまるで逆だった。建物の外観を見た時から思ってはいたけれど、まず広い。私が住んでいる、1Kのワンルームマンションなんか比にならない。家賃を考えるだけでゾッとする広さだった。
そして、どう見ても平均価格以上の調度品に満たされた家の中は、とても几帳面に整理整頓され、掃除も行き届いていた。窓ガラスさえ輝いている。
具体的な家賃も聞いてみたのだけれど、仰天するほどの値段。この男はどうやって生計を立てているのか、素朴なまでに疑問だった。
「……私が知る必要はないかも知れないけど、どうやって生計を立ててるの? 割のいいバイトでもあるの?」
何気なく聞いてみたら、藤堂は特に自慢するわけでもなく、さらりと返した。
「僕、実家が太いんだよ。だから、生活費は、小遣い含めて全部仕送りさ」
「……そう……。ところで、ここの間取りは?」
「3LDKだよ」
あ然ついでというわけでもないけれど、別に知る必要のないことを聞くと、こともなげに藤堂が答える。やはりファミリー向けだ。もし私がここに住んでいたなら、広すぎてかえって落ち着かないだろう。
それに、生活費の全てが仕送り? 小遣いも含めて? 実家が太いのはいいけれど、要するに、この男はいわゆる「ボンボン」なんだ。「隣の芝は青い」と言うけれど、こうも違うと、羨みも妬みも、不思議と起きなかった。
しかし、どうでもいいと言えばそうなんだけれども、この部屋の清潔さと整然さが、どうあってもこの男の風体と釣り合わない。聞いてみた。
「部屋の整理や掃除は、誰かに頼んでいるの?」
「いや? 全部僕がやってるよ?」
さも当然、と言った風に返す藤堂だった。どうやら、相当几帳面な性格らしい。見た目こそ不細工だけれど、意外と通じるものがあるかも? と思った。
「まあ、こっちへどうぞ?」
とにかく、十畳はあるだろう、広々としたリビングに通される。中央に、床へ座ることを前提にした高さの、重厚そうなガラスのテーブルと、柔らかさの分かる座椅子が一対。若干の居心地の悪さを覚えつつ、座った。
「飲み物は、何がいい? 虎の生き血を出せ、とかなら無理だけど、一通りは揃ってるよ?」
「え、えっと、ウーロン茶、あるかしら?」
「あるよ。ちょっと待ってね」
どこの誰が、虎の生き血なんか飲みたがるんだろう? いや、ただの冗談だとは分かってはいても、そのセンスには疑問符が付く。
そんなことはどうでもいい。キッチンへ向かったらしい藤堂が、ペットボトルを二本手にして戻ってきた。とん、と、目の前に、ウーロン茶が置かれる。藤堂は、アールグレイティーだった。その好みが、似つかわしくない上品さに見えて、悪いけれどさらに意外だった。
藤堂が改めて向かいに座り、アールグレイティーのボトルを開けて、ぐっとあおってから、満足げに「プハー!」と言った。
ウーロン茶には、妙な物が入っていないだろうか? 自然な疑問を抱いたのだけれども、見た限り、未開封のペットボトルだ。異物を入れることはできない。ひとまず安心していいだろう。封を開け、一口飲んだ。
少し、無言の間が開いた。
藤堂は特に、変わった様子はない。部屋に女性を招き入れたからと言って、変に浮かれた素振りもなければ、ましてやに下がっているわけでもなかった。
ぐびり。もう一度、藤堂がアールグレイティーを煽り、「ふー」と、長めに息をついた。そして言った。
「さて。それじゃあ、第一回目の作戦会議に入ろうか」
「え、ええ」
藤堂は、この上なく真面目だった。それはもう、気圧されるほどに。その迫力と言ってもいい真面目さのまま、続ける。
「木戸さんは、世界をこの手にしたい。願いは分かるんだけど、ゴールが曖昧だ。まず、そこを明確にしよう。どういう世界がお望みだい?」
「そうね……」
言われてみれば、確かにそうだ。どんなことであれ、到達点が定まらない限り、行動は起こせない。
考えた。ところが、いざ真剣に思考してみると、自分の中でもひどく曖昧模糊としていて、言語化ができない。
なんだか、無性に恥ずかしかった。こんな体たらくで、どの口が「世界をこの手にしたい」なんて言えたものか? とも思う。
ただし、自分を卑下するのは後回しだ。今一度冷静になってみて、シンプルな答えを導き出せた。
「私の思い通りになる世界、あるいは、誰もが私の言うことを聞く世界かしらね」
「いいね、とてもいい。まあ、若干模範解答的でもあるとは思うけど」
世界征服に模範も何もあるのだろうか? とは思ったのだけれども、少なくとも的外れではなかったようだ。
そして藤堂は、「それって、例えばさ?」と、気楽に続けた。
「自分の気に入らない奴を、指一本で粛正できるようにしたい、って解釈していいかな? 木戸さんをフッた、元カレ含めて」
さらりと残虐なことを言われて、うろたえた。確かに武尊のことは今や憎いけれども、殺したいとまでは思わない。
「そ、そこまで極端でも……」
思ったままを口にしたところへ、藤堂は、明らかに小馬鹿にしたような笑みを向けた。
「甘いね、甘すぎるよ、木戸さん。世界の支配者たらんとしている者に、そんな軟弱な情けが必要かい?」
その言葉を聞いて、やけに腹が立った。平たく言えば、とてもムカついた。高らかだった意気に、冷や水を浴びせられた気分だった。被害妄想じみているのは分かっていても、人格を否定をされた気分に近かった。
世界をこの手にしたい。けれどそれは、無意味かつ気まぐれに、人を殺したいという意味ではない。
機嫌を損ねた顔を見て、またしても意外に、藤堂は配慮を見せた。
「意見は違って当り前だとは思うよ。今日のところは、この課題について、持ち帰りで考えてみるといいだろう」
「そうね、そうさせてもらうわ」
いつの間にかすっかり渇いていた口の中を潤すために、残っていたウーロン茶を一気にあおって、立ち上がった。
「来週の今日、同じぐらいの時間に来てくれよ」
かなり強引な、次回日程の決定だった。ただし、この男はこういう性格なのだと分かってしまえば、そう目くじらを立てる事もない。
「ええ、それじゃまた」
そして、藤堂のマンションを出た。腕時計を見ると、十五分ほどしか経っていなかった。
……まだ、気付いていなかった。
この藤堂拳という男が、どれほど……いや、筆舌に尽くし難いほど酷薄、冷血、違う。そんな言葉が生ぬるい程に残虐な人間であるのかを。
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