第一章・第五話 茫漠とした願望、そして個人的悲劇

 ――多少マンガ的言い回しかも知れないれけど、

「俺を本気にさせた、お前が悪いんだぜ?」

 そんなセリフを言いたかった。後にして思えば、短絡的にも程があったのだけれど。


 自分の目に世間がどう見えようと、「生きる」ことは、まさか止めるわけにもいかない。


 正直、それすら腹が立つけれど、朝昼晩はお腹が空くし、夜になれば眠くなる。

 実家からの仕送りだけでは到底やっていけないから、バイトもしなければならない。


 なんのことはない。他人がロボットに見えると言っておきながら、自分もその「一体」でしかないのだ。それが、大いに不満だった。


 その頃から、ぼんやり思い始めていた。


 こんなつまらない世界なんて、一度滅んでしまえばいいんだと。

 極端だ、と言われるのは承知で、独裁者というものを「羨ましい」とさえ思った。


 叶うなら、世界を思い通りにしたかった。けど、その時はまだ、「本気」ではなかった。


 のっぺりという言葉が生ぬるく感じるような、単調な日々。

 カレンダーは、五月になっていた。ゴールデンウィークの予定も、特にない。


 実家が北海道である事情もあり、もっとまとまった休みがあるか、緊急の用事が発生しない限り、気楽に帰省はできないし、するつもりもない。


 やがて連休が来たけれど、能動的に何かをする気にさえなれなかった。


 唯一の慰みは、ペットの猫、ゴリアテをあやしている時だけだった。


 ゴリアテは賢い猫で、いつも可愛かった。よく懐いていて、ふらりと外へ出たりするような気まぐれなところもあるけれど、必ず家に帰ってくる子で、まさしくの癒しだった。


 休みの間は、もっぱらゴリアテを愛でた。もう、この猫だけが、世界の全てのように思われた。いや、実際そうだった。


 ところが、神というのは予想以上に冷酷だった。


 下宿は、マンションの二階。間取りは1Kの、ありふれたワンルームだ。

 玄関は暗証番号を入力するタイプのオートロック式で、セキュリティ面の心配は、さほどしなくていい。


 だからというわけでもないのだけれど、いつも、ゴリアテのために、部屋の高いところにある採光窓を開けている。その下にキャットタワーを据えて、ゴリアテがいつでも出入りできるようにするためだ。


 彼はいつも、その窓から外に出て、猫ならではの器用さで階層を下り、気ままな散歩を楽しんでいる。


 ゴリアテを「籠の鳥」にはしたくない。その心遣いが、まさしく予想外の悲劇を生むなんて、想像すらできなかった。


 ある日の深夜。バイトを終えて、家に帰る道を歩いているときだった。

 道端に、外灯に照らされた、何かがあった。

 見ると、車に轢かれたらしい、猫の亡骸だった。


 そして……それは、あろうことか、ゴリアテだった。


 信じられなかった、信じたくなかった。でも、首輪やその他、どの特徴をどう見ても、それはゴリアテだった。


 目の前が、夜の闇より深く、真っ暗になった。


 神を、憎んだ。心底から憎んだ。運命の不条理を呪った。

 冷たくなった愛猫を抱きかかえ、私は泣いた。


 そう言えば、武尊にフラれたときは、涙が出なかった。理解が追いつかなかったから。


 それからも、泣きたいことはたくさんあったはず。

 でも、泣かなかった。泣いたが最後、何らかの「圧倒的な敗北」に屈するような気がしていたから。


 ところが。いざ涙を流してみると、気持ちは真逆だった。

 地獄の底から噴き上がるような怒りの炎が、満ちていった。


 ……こんな世界なんか、滅んでしまえ。


 いや、いっそ支配したい。


 世の中が思い通りにならないのならば。

 思い通りにできる世界にしてしまえばいいんだ。

 「本気の」野望が芽生えた瞬間だった。


 絶望を味わい尽くし、至って真剣にそう思った。「本気」で。


 でも、世界をこの手にしたい、とは思っても、今のところ具体性は何もない。

 妄想するだけなら、ただのイタイ女だ。


 私は違う。今まで、やると決めたことは、たいてい成し遂げてきた。

 叶わないから夢という。そんな事をしたり顔で言う人間もいる。

 しかし、挑まずして決めつけるのは、あまりに甘いだろう。


 その日から、極めて真面目に「世界を征服するためには、どうすべきか?」を考えるようになった。


 この、ほとんどというか完全な八つ当たりが動機の野望が、恐ろしい大惨事を巻き起こす遠因になるなんて。


 ……まだ、知らなかった。

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