第一章・第四話 モノクロームの世界

 ――神を信じるか? と問われたなら、否定も肯定もしない。

 ただし、あまりにあまりな事が起きると、恨みたくなる。


 ささやかな不運は、なおも続いた。


 下宿からバイト先へは、電車で行く。会社には、始業の十五分前に着く段取りだ。

 けど、ちょっとその日はお腹の具合が悪くて、お手洗いに籠もっていた。


 結局、一本遅い電車に乗ることになったのだけれど、それでも五分前には到着できる予定だから、致命的ではないはずだった。


 ところが、そういうときに限って、乗らなければならない電車が人身事故で大幅に遅れた。遅延証明書はスマホのアプリで発行できたので、遅刻扱いにはならなかったけれど、気分が悪いことには変わりなかった。


 目に映る世界は、次第に色をなくしていき、モノクロームのそれになっていった。


 日々の細かな苛立ちは、正比例で増していった。

 大学での講義は、やはり右から左。なんだか、なぜ勉強しているのかさえ、意味を見いだせなくなった。


 生活が、つまらなかった。機械になろうと思ったはずが、いざ定められたルーチンワークをこなすだけになると、退屈を通り越して、やっぱりイライラした。


 こういう時、多少なりとも気を紛らわせられる趣味を何も持っていないのが、今さらながらに悔しかった。


 じゃあ何か? と思えども、周囲に興味を惹くものは見あたらなかった。


 同世代の女子がしきりに口にする「推し」がどうしたとか、心底からどうでもいい。そもそも、芸能界自体にさほど興味がない。偏見を承知で言わせてもらえば、どうあっても手の届かない存在に浮かれて、なんだかんだで貢ぐなんて、バカらしいにも程がある。


 返す刀で、というわけでもないけれど、周囲が浮かれているアイドル達が歌っている歌も、見事なまでに中身がないように聞こえる。なおのこと、理解ができない。


 それにそもそも、「流行」なんてものは、広告代理店が意図的に作る物だ。思考を停止させて言われるままに踊らされるなんて、どうあっても受け入れられない。


 動画サイトも、オンラインマンガも、まして暇つぶしのスマホゲームも。常日頃からくだらないとは思っていたけれど、今はむしろ、そんなものにうつつを抜かす連中が奇っ怪にさえ見えた。


 SNSも、主だったところは一通りアカウントを持ってはいるけれど、タイムラインを時々眺めるだけで、自分からの発信はまずしない。


 と言うかむしろ、極論を大声で喚く割には何らの具体的行動を起こそうともしない、内弁慶というか口先だけの連中が目につくばかりで、腹立たしいだけだった。


 一応は、同性の知り合いは何人かいる。ただし、その繋がりは極めて表面的で、友だちと呼べる間柄ではない。私が彼女らをそう見ているように、向こうもきっと、そう思っているはずだ。


 私も、れっきとした「二十代前半の女子」ではあるのだけれど、世間の「一般的な」女性達がやけにこだわるブランド品などにも、全く興味がない。


 そもそも、ブランド品というものは、機能性やデザインを吟味して「個人のこだわり」として持つべき物だ。


 しかし、その「真の意味」を理解してブランド品を持っている女は、少なくとも見渡す限りにはいない。


 要は「みんなが持ってるから」とか「持ってないと仲間外れにされるから」という、全く主体性のない、それこそオモチャをねだる小学生のような理由で所持している。


 何でもかんでも「右へならえ」。他者と同じでなければ「ならない」。ばかばかしいにも程がある。そんなものが「一般的」の条件ならば、仲間外れでも一向に構わない。むしろ望むところだ。


 部活やサークルにも所属していない。武尊とのなれそめを語った時に触れたけれど、どこかしこも「まずバカ騒ぎありき」というスタンスのように見えて、またも偏見を承知で言うと、どこかしらに所属したが最後、反比例的に頭が悪くなりそうだった。


 ゼミで日本文学史を専攻している都合上、本は読む。主に日本の古典純文学が中心だ。高校時代から元々好きだったからこそ、大学は文学部にしたし、ゼミもその研究を選んだ。


 ただし、四六時中文学漬けか? と問われたなら、明確に違う。


 これは勝手なことかも知れないけれど、いざ大学のゼミで本格的に研究を始めると、「本を読む」ということが「仕事」のように思えて、「息抜き」にはならなくなった。


 なら、もっと軽めのライトノベルでも? とは思ったものの、肌に合う作品に出会えなかった。探し方が悪いのかも知れないけれど。


 話を戻そう。つまり、武尊にフラれた今、「無趣味のぼっち」なのだけれども、じゃあそれで、(日々苛立ちこそすれ)何か致命的に困っているか? と聞かれれば、そうでもない。だから、やっぱりどうでもよかった。


 私がこの世の何に対しても興味が持てないように。

 この世の誰一人、私のことなんか気にも留めない。


 それはある意味で当り前ではあるものの、釈然としなかった。

 ワンノブゼム。自分から能動的なアクションを起こさない限り、人はそうなる。


 いつしか、目に見える世界は、モノクロームを通り越した。


 ……もう、今や、周囲の他人がみんな、役者かロボットのように見えていた。

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