第二章・第六話 「頭脳」との邂逅

 まったく接点の無さそうな人間から、一方的に興味を持たれる。

 普通なら、不気味なことだろう。

 ――でも、「奴」は「何か」が違っているようだった。


 ゴリアテが死んだ次の日は、全ての講義を自主休講した。


 それはそうだ。何より大切にしていたペットが、非業の死を遂げたのだから、丁重に弔わずにしてなんとしよう?


 でも、さすがにペット専門の墓地へ埋葬を依頼するだけの余裕はない。だから、近所の公園の植え込みに、ひっそりと彼を埋めた。場所が場所だけに、墓碑の一つも立てられないのは悔しかったけど、仕方のない事だった。


 そして、いかに悲劇であれど、ペットのために長々と喪に服するわけにも行かない。翌日から、いつも通りに講義を受けに通学した。カレンダーは、六月を示していた。


 ――それは、ゼミに出ているときだった。


 明確な視線を感じた。それとなく、視線を巡らせる。

 あたかも判で押したような、没個性の面々。


 その中で異彩を放つ、いや、異形と言ってもいい男がいた。


 肥満体で、座っているだけで分かるけれど、背丈も高くない。髪型は、まったく似合っていないツーブロック。目鼻口のどこを取っても「均整」からはかけ離れている。服装がそれなりに整っている分、不潔さはかろうじて感じないものの、誰がどう見ても不細工な男だ。


 そのくせ、何が楽しいのか――少なくとも、ゼミの内容ではないことは確かだ――いかにも粘っこい、下品極まりない薄ら笑いを浮かべている。


 まとう雰囲気からして陰鬱で、いかなる女性も、この男だけは天地がひっくり返っても敬遠するだろう。


 一言で言ってしまえば、絵に描いたような「キモオタ風のデブ」だ。そいつが、こちらを折に触れて見ていた。


 ただ、不思議とおぞましさを感じなかったのは、そいつの視線が妙な色目ではなかったからだ。好意に由来するものではないことは確実なようだ。


 しかしそれなら、一体何だというのだろう? 怪訝な視線を返すと、そいつはまさしく「ニチャア」という擬音がこの上なくふさわしいように、口角を吊り上げた。気味が悪かった。でも、何か言いたいことがあるだろうというのは分かった。


 やがて、まったく内容を聞いていなかったゼミが終わった。

「ねえ、キドさん」

 ゼミ室を出るや、その男がニタニタした笑みで呼び止めた。男にしては、かなり甲高い声だった。

「キドじゃないわ。キトよ」

 私は、自分の名前を読み間違えられることが大嫌いだ。いかに「木の戸」と書けば「キド」と読むのが一般的であれ、私の名前は「キト」。そういう戸籍名なのだから、間違われると、たとえこれが百万回目であっても、やはり腹が立つ。


 ともあれ、そのキモデブは、「コイツは失敬」と、やけに芝居がかったように言った。いちいちがイラつく雰囲気だった。

「キトさん、ちょっといいかな?」

「用件は?」


 どこをどう探しても、このキモデブとの間に、共通点はないように思われた。不審感満点で尋ねたのだけど、そいつは、何やら嬉しそうに言った。


「木戸さん、この後のご予定は?」

「……学食でお昼を食べてから、そのまま帰るんだけど?」

「ふむ、なるほどね。折り入って話があるんだけど、付き合ってくれないかい?」

「はあ?」


 予想だにしなかったお誘いに、自分自身間抜けな反応をしてしまった。

「別に愛の告白じゃないから、その点はご心配なく。フフフ」

 茶目っ気を出したつもりなんだろうか、おどけ気味に言う男。可愛げなんかはまるっきりなかった。それよりも、気になることがある。


「人を誘う前に、名乗るぐらいしてみたら?」

 そう。コイツの名前すら知らない。なのに、この強引さ。己の身勝手な性格を端的にひけらかしているようだった。

「おおっと、それもそうだったね。失敬失敬。僕は藤堂。藤堂拳とうどうけん。よろしく、木戸さん」

 やはり粘っこい笑みと、芝居がかった調子で、男はやっと名乗った。


「それで? 愛の告白じゃなければ、私に何の用事?」

「まあまあ、焦らない焦らない。立ち話で済ませるような内容じゃないからさ」

 ニヤニヤと言う藤堂。どこまでも薄気味が悪かった。


 この男の用件が何であれ、私が拒否することは、あくびをするより簡単だ。

 でも、「何か」がある。そんな予感がした。だから、藤堂に言った。


「分かったわ。じゃあ行きましょ」

 かくして、藤堂と共に、学食へ向かうことになった。


 ……これが道を踏み外したキッカケだったなんて、その時の私には想像すら至らなかった。

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