Case6 鼠谷 銀子

Case6 鼠谷 銀子 40歳♀【お題】

 榛葉医師の回収を終えて車に戻ったときには、すでに20時を回っていたが、菅管理課長はデスクで我々の帰りを待っていた。

 通常の回収なら、そのまま直帰しても差し支えなかったが、今回も一歩間違えれば債務者は犯罪者になり、我々もその片棒を担ぐことになりかねなかった。イレギュラーな案件ゆえ、その日のうちの報告はやはり必要に思われた。


 思えばイレギュラーな案件しか当たっていない。借り入れや延滞の背景にがなかったのは、小林少年くらいじゃないか。

 しかも、イレギュラーの内容がそれぞれ違う。それだけ、この魂の貸付システムに悪用の応用性があることをほのめかしている。欠陥だらけのシステムだし、精査もせず、利益優先の手抜き審査で、どんどん通している審査課にも不信を感じる。


 涙でメイクがぐちゃぐちゃになっていた。同じく涙を流していた田中係長に見られるのはまだ良いとして、管理課長にこの顔を見せるのは憚られる。それに、報告するだけで『思い出し泣き』をしてしまいそうだし。

「恋塚ちゃん、今日は帰って、明日も休んだらどうだ? 色々ありすぎてお疲れだろう」

 田中係長の優しさが胸に突き刺さる。でも、じゃあお願いしまーす、と簡単に甘えられるほど、わたしは軽薄ではない。

「いえ、係長にそんなことさせられません。いっしょに報告に戻ります」

「じゃあ、こうする。今日はこのまま休め。明日も休め。これは忠告じゃなくて、上司からの命令だ。これがパワハラだと言うなら、甘んじて受け入れよう」

 この係長は、どうも優しさを素直に伝えるのが下手なようだ。それが却って心を和ます。

「じゃあ、管理課長に、働きたいのに無理やり休まされましたと、係長をパワハラで訴えときますねっ」と言うと、ようやくわたしは笑顔になっていた。


「恋塚ちゃんの自宅って妙典みょうでんだったよな」

 妙典とは、千葉県の市川いちかわ市にある東京メトロ東西とうざい線の駅だ。薬園台から会社のある市ヶ谷までの道中にあるといえばあるが、わざわざ立ち寄ってくれるというのか。

「え、でも、そんな……」

「ああ、降ろすのは駅付近にしとくよ。ここで、優しさと称して恋塚ちゃんの自宅をムリヤリ聞き出すような上司にはなりたくないからな。パワハラの訴えは受け入れても、セクハラの訴えは受けたくない」

 こんな不器用な優しさが、この人の良いところかもしれない。

 わたしは、田中係長なら、この流れで自宅の場所を聞かれても、嫌にはならないのに。


「分かりました。でも、本当にクタクタになってたら、自宅まで送ってくださいね。少なくともわたしは係長に自宅を教えるのは嫌じゃないですから……」

「えっ?」係長は驚いたようにこっちを見た。

「ほら、係長。前見て運転しないと危ないですよ」


 実は、妙典駅から自宅のアパートは近かった。呼吸困難になりそうなレベルの東西線の混雑に加えて、駅から遠いのはさすがにこたえると思い、部屋の広さを諦め、駅から近いところを選んだのだ。

 帰ると、跡形もなくなりつつあるメイクを落とし、烏の行水のような入浴の後、泥のように眠った。

 無意識に疲労困憊ひろうこんぱいの極限に至っていたのだ。


 上司のに従い、一日の有給休暇を経て、翌々日出勤すると、衝撃が走った。

「え? 田中係長が異動!? どこにです!?」

「審査課です」

「えええええ?」

「しかも、補填はありません。はっきり言ってわたしも憤慨ふんがいしています。ただでさえ人が少ない管理課から人を抜き取っていくんですから」

 こんなに怒りをあらわにする管理課長ははじめて見た。それから、管理課長はわたしに謝った。

「ごめんなさい。わたしに人事に口出せるほどの力があればいいんだけど、それがない。入社間もない恋塚さんに負担はかけたくないのに」

 

 係長がいないのは心細いし、寂しさもある。しかし、そんなこと言っていられない。わたしは虚勢を張った。

「わたしなら大丈夫です。管理課長が味方についてますし、これがきっかけでわたしも強くなれますから。それに、田中係長は、きっと審査課の体たらくを直してくれますよ、きっと!」


 わたしは胸を張った。頼りないひよっこだけど、仕事に対する責任感は、Z世代の新人ながら誰にも負けない自信がある。


「審査課から、また回収依頼来ました!」と鈴木さんの声。まったく、くよくよしていられる暇もない。

「ありがとう。じゃあ、頼まれてくれるかしら」

「もちろん! お任せください」わたしは小さな胸を、ポンと叩いた。


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「今度の相手は、ヨメタニギンコさん」審査課から提供された債務者調書を読み上げる。

「嫁谷? 吟子さん?」

 変わった名前だな。頭の中で適当な漢字変換しかできない。

「40歳の女性。専業主婦。今回のお客さんはごくごく平凡な中年女性。旦那さんの実家で義両親と同居しています」

 直感的に、また苦労しそうなキャラクターではないかと構えた。

 義理の両親と同居していると聞くだけで、良好な家族関係を構築するのが難しくなるのではないかと推察される。

 どんなに表面的には仲睦まじく見えても、いさかいが起こるものである。いわゆる嫁姑問題だ。

 そんな修羅場を日々生き続けているということは、相当、口が達者な猛者であると、想像に難くない。


 どうも、この仕事を始めてから、年齢、性別、家族構成だけで、その人物の性格を読もうとする癖が出てきてしまった。一種の職業病だ。

「お任せください」と虚勢を張ってしまったが、やはりできれば、回収手続きが難航しない債務者がありがたい。でも、与えられた使命を、やる前から放棄することだけはしたくなかった。


「審査課の情報によると、相手によって態度を変えることなく、自分の思ったままをきちんと話す人らしいです。そういうことが自然にできるというのは、その人のキャラクターであり、素晴らしいことだと思います。最近は、SNSの発達で面と向かって話をすることが苦手は人が多いだけに、そう思いますね。あ、恋塚さんは、最近の若者では珍しく、コミュニケーション能力が高いと思いますけどね」

「あ、ありがとうございます」

 管理課長はにこやかな表情で、わたしをさりげなくフォローしてくれたあと、またいつものポーカーフェイスに戻る。

「だからこそ、一歩間違えばそれは『毒舌』と呼ばれることになります。相手の気持ちを考えず、その場の空気も考えず、思ったことをそのまま口に出してしまう人がいます。悪意がなければそれは素直さという美徳になるが、度を超すとたちまちそれは毒舌となります。これくらいの世代の女性にはしばしば見られる特徴ですね……」

 管理課長も職業病なのか、審査課からの僅かな情報で、債務者の人となりについて自分なりの予測を教えてくれる。でも、概ね正しいように思える。


 ゴクリと唾を飲み込む。

 今回は、明神さんの回収のときと違って、田中係長のいざというときの助けはない。

 コミュニケーション能力を評価されても、今回の相手は、さらに上手うわてかもしれない。

 ただでさえ、女性同士だから、年齢が相手が年上というだけで、『マウント』を取られかねない。


 管理課長の期待を裏切りたくないという気持ちと、ちゃんと責務を全うできるかという気持ちが、葛藤となって激しくせめぎ合う。H2ブロッカーを飲んだそうが良さそうだ。 

 かくして、わたしは葛藤を引きずりながら、顧客のもとに出発するのであった。

 

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