Case5 榛葉 兵衛 79歳♂【回答2】

 すごい髪型だ。狙っているとしか思えない。

 これが漫才の舞台なら盛大に笑っていただろうが、仕事で来たのだ。これから真面目な話をするのだから、絶対に笑えない。


 そう言えば、管理課長が、熟成とは無縁の軽薄な好々爺で医者のオーラはゼロと言っていた。

 これがその理由なのだろうか。衝撃のあまり、判断が追いつかない。


「いやー、ようこそお越しいただきました~! 榛葉でーす」

 話し方も軽薄そのもの。紳士っぽさのかけらもない。

 田中係長は一度何かをリセットするように咳払いをして、「え、あ、今日は、予定よりも早くお邪魔してしまいすみません」

「いやですねぇ、受付から電話かかってきたときに、6時に出直してきてもらって、と言ったんだけどね、若い女性もいるって言うから、応じたわけなんだけどね」

 セクハラ発言じゃないか。でも相手は顧客だし、ひとまず意に介さないようにする。


「今回伺ったのは他でもない、貸し付けた魂の回収です。生者の魂ですので、これ以上の延長は認められません。あと、延滞料の手続きもしていただかないといけません」

 田中係長も淡々と話を進める。今日、魂が返済されるのは、すべての書類を整え、社の決裁が下りてからになる。早くても18時くらいまでかかるだろうから、早くても19時に魂が憑依者のもとに戻ることを説明した。

「あ、そうなんですね。わかりましたー」

 話し方こそ軽薄だが、一瞬だけ表情が曇った。


「ところで──」どうしてもこちらの懸案事項を確認せねばならない。「一つつかぬことをお伺いするのですが、今回の憑依者は、先生のご息女である榛葉さくらさん、被憑依者は、戸川萌黄さんですね」

 わたしは意を決して、口を開いた。

「そうだけど、それが何か?」

「被憑依者とのご関係を教えて下さいますか?」

 数秒の黙考の後、榛葉医師は口を開いた。

「知り合い……、と言ったら信じてくれない?」

「どのような知り合いですか? もっと詳しく」

「それを知ってどうなるの? 魂の回収とは関係ないはずだよねぇ」

 側頭部から伸びた髪は、禿げた頭頂部を全く覆うことなく、真横になびいている。真剣なのかふざけているのか分からない。

 でもなるべく、頭を見ないようにして顔だけを見据えた。ちょっとでも笑ったり、集中力が削がれたら、こちらの負けのような気がした。


「魂の回収とは関係ありませんが、憑依者と被憑依者の人権や尊厳に関わってくる話です」

「ほー、僕はこー見えて『日本尊厳死倫理学会』の評議員やってるくらい、人権や尊厳について造詣が深いんだよねぇ。まさか、こんな若い女の子に口を挟まれるなんて……」

 榛葉医師は鼻を鳴らして続けた。「受付さんに、訪問者が若い女の子だと聞いて、ほいほい招き入れたのは、早計だったかなぁ」


「ちゃんと答えてくださいますか? こっちは真剣に聞いているんです!」

 セクハラ混じりな発言に、わたしはいらついた。

「じゃ、分かった。こうしよう。これだけ深く突っ込んで聞いてくるからには、何かを疑ってるんだろうから、話を聞いてあげようじゃないか。隣りの上司の口出しは無用だよ。で、君の考えが正しければ、君の勝ち。好きなように回収なりすれば良い。誤りがあれば、僕と1日デートすること」

「ふざけないでください!!」わたしは病院だということも忘れ、大きな声を出した。しかし、榛葉医師は怯まない。

「逆に言うと、そんな覚悟もできない人が、生命とか尊厳とかを語るのかね」

 わたしはの血は怒りで煮えたぎっていたが、「分かりました」と言って口を開いた。


「まず引っかかったのは、先生の娘さん、さくらさんの同意書が代筆だったからです。失礼ながら先生くらいのお年の娘さんなら、とっくに成人してるはず。おかしいなと思いました。何かしらの理由で身体が動かせない状態であるんじゃないかと考えられます。それこそ、事故でも遭ったんじゃないかと」

 榛葉医師は黙って目を瞑りながら聞いている。

「そこで、被憑依者である戸川萌黄さんとの関係が気になったんです。さくらさんとは知り合いと言いましたが、もともと知り合いだったわけじゃない。その事故の加害者が戸川さんだったんじゃないですか?」

 戸川萌黄さんは、スマホのわき見運転で10年前に事故を起こし、ある若い女性に怪我を負わせたことが、千葉のローカルニュースの記事に残っていた。被害者の名前は載っていなかったが、代筆している事実から照らし合わせると、被害者がさくらさんだったことが容易に想像がつく。


 一方の戸川さんは逮捕され、懲役刑に服した。そして、刑期を終えて出所した。しかし、刑事罰を受けても、榛葉医師の心は癒えなかった。むしろ、たった数年の服役生活だけで、健全な身体で不自由なく生きていることに憤りを感じたのではないか。さくらさんの将来は潰されてしまったのに。

「戸川さんが刑務所から出てきた後に、あなたはある方法で復讐することを考えた。普通、復讐と言えば、戸川さんに直接危害を加えることが考えられますが、それだけじゃ何も解決しない。そこであなたは考えた末に、我々の魂の貸付システムを利用することにした。つまり戸川さんにさくらさんの魂を憑依させ、身体を借りることで、健全な身体を手に入れれば、さくらさんの無念は解決するんじゃないか、と」

 ここまでは、私と田中係長と車の中で話したことだ。

 戸川さんに、榛葉医師とさくらさんに対して償わせる一環で、さくらさんの身体を自由にする試みをしていたのだ。戸川さんの肉体を借りることで。


 しかし、わたしの推理にはこの先がある。出勤日でないはずの今日、病院にいる事実がそのことを仄めかしている。

「榛葉さん、単刀直入に言います」一度深呼吸してから言った。「あなたはとしていますね!」

「え? どういうことだ? 何で自分の娘を?」これには田中係長も目を見開いた。

「簡単なことです。きっとあなたは、戸川さんを殺したいほど憎んでいた。でも戸川さんを殺したところで、さくらさんは何も変わらない。であれば、さくらさんの魂を健全な身体の戸川さんに憑依させた状態で、さくらさんの肉体を葬ってしまうことで、できるのではないかと考えたんです。そうすれば、さくらさんは、健全な身体をこの先、と思われたんじゃないんですか?」


 わたしがそう思ったのには理由がある。

 魂の貸付には、生者の魂を憑依させるパターンと、死者の魂を憑依させるパターンとがある。前者は、森繁さんや明神さんのケース、後者は、小林少年や美根夫人のケースである。

 貸付料や手続きの違いはあれど、契約期間が終われば、魂は憑依者のもとに返さないといけない。


 しかし、この魂の貸付システムには欠陥があり、生者の魂を憑依させている間に、憑依者の肉体だけが死んでしまった場合だ。憑依している間も憑依者の肉体の心臓は動いているわけだが、その肉体が死んでしまった場合は、想定されていないのだ。

 生者の魂を憑依させるのと、死者の魂を憑依させるのでは、かなり技術的な違いがあると聞いたことがある。ということは、憑依者の肉体だけが死んだ場合、魂は被憑依者の身体が生き続ける限り、生き永らえる可能性がある。


 とは言っても、娘の肉体を死なすには踏ん切りがつかず、貸付期間が終了してもなお、出勤日でない日に病院に来て、ずるずると安楽死させるかどうか葛藤していたと推察する。

「私の推理は終わりです。さぁ、どうですか?」

 10秒ほどの沈黙の後、榛葉医師は窓を締めた。風が止むと、ポケットの中から手術用の帽子を取り出し、乱れた髪を整えてから帽子を被った。

「聡明なお嬢さんだ。観念したよ。ちょっとでも集中を逸らすために、髪の毛をこんなふうにさせてみたり、セクハラ発言をしてふざけてみたけど、効果なかったみたいだね」


「まじか……」田中係長は茫然ぼうぜんとしている。

「私は、ご存知かもしれないが、麻酔科医でもある。全身麻酔はざっくり鎮痛、鎮静、筋弛緩の3つを薬物を投与しているわけだが、どれが欠けても手術はできないし下手したら死んでしまうことがある。換言すれば、如何様いかようにすれば死に至るかも熟知している」

「それで、娘さんの身体だけを亡きものにしようとされていたわけですか」

「さくらは看護師だった。地域医療に貢献しようと意気込んでいた矢先に不注意運転の車にかれ、脳を損傷し植物状態となった。加害者の戸川さんは服役したが、賠償は保険会社任せで、出所後も謝罪や見舞いに来ることは一度もなかった。戸川さんは刑期を終えた時点でもうすでに罪の意識は消えている。対するさくらの障害はほぼ一生と言ってもいい。我々に対する誠意もなく、のうのうと生きている戸川さんに、制裁を加えてやろうと思った。そこで、魂が本当に憑依できるのか試そうと思い付いた。探偵を雇って戸川さんの友人を探し出し、その友人に依頼して、うまく言いくるめて戸川さん同意書にサインをしてもらうことにした。彼女は単純な性格だったから、いとも簡単にサインをもらうことに成功。一方のさくらは自分でサインすることができないから、私の代筆で審査が通るか心配だったけど、意外にも簡単に通った。そして、見事に魂は憑依した。それどころか、驚いたことに、戸川さんの肉体を借りてコミュニケーションまで取れる。さくらいわく、強く念じることによって、戸川さんの意識を遠くに追いやることができるとのこと。さらには、姿かたちや声音こわねも自分に寄せられると言う。想像以上の成果に私は大喜びした。そこで、私はさらに悪知恵を働かせた。このままさくらの肉体を滅ぼしてしまえば、永遠に憑依したままになるのではないか、と。さくらはこの病院のHCUで少しずつ弱っている自発呼吸を何とか保ちながら眠っている。魂の貸付期間はもうすぐ終わる。終わる前に、誰にも気づかれないよう死期を早めてやろうとした。しかし、いくら決意しても、決行できなかった……」

「いくら植物状態と言えども、愛する娘さんの肉体を自分の手で死に追いやることができなかったわけですね」

「そう。こんなマッド・ドクターのような私でも、愛する娘のためであってもできなかった。決して保身なんかではなく、親心という名のエゴとの葛藤に敗れただけなんだ……」


 そのときだった。「お父さん、あたし、全部聞こえちゃった」一人の女性の声。黒いロングヘアーの美しい女性が立っていた。

「さ、さくら!?」

 実は、こっそり榛葉医師の奥さんに連絡を取り、戸川さんの連絡先を教えてもらった。そして、ダメもとでかけてみたらつながり、憑依しているさくらさんの魂が応対したのだ。事情を説明すると、急いで薬園台病院に向かうと言ってくれた。

「お父さんはよくやってくれた。でも、所詮今のあたしは、戸川さんの肉体を借りてるだけで、あたしじゃない。この植物状態として眠ってるあたしがあたしなんだから……。でも、眠っている間もお父さんの温かい声は聞こえていた。それだけで充分。そして、戸川さんが生きる権利をこれ以上侵すことはできない。だから、あたしの魂をあたしの肉体に返してあげて」

「で、でも、さくらの身体は、自発呼吸がだいぶ弱まって」

「だからこそ、今返してあげて。本当に死んじゃったら、戸川さんに取り憑いたままになるかもしれないじゃない」

「……私はおまえのために」

「もう充分だよ。最後にお父さんにありがとうが言えて良かった。先にあの世に旅立っちゃうこと、最後まで親不孝な娘でごめんなさい。でもあたしは、運命と自然の摂理に逆らわず受け入れるわ」

 そう言うと、戸川さんの肉体を借りたさくらさんが、魂の返却手続きに応じた。延滞料は、自分の見舞金の口座から引き落とされるように。


「さくら!」

「ありがとう。お父さん。これからもずっと元気で暮らしてね」

 最後(最期)の別れの抱擁をした。これで19時には魂は元の肉体に還ることになろう。それが分かっているだけに、榛葉医師もさくらさんも泣いている。

 わたしも大粒の涙が堪えきれずに溢れてくる。田中係長も二枚目に似合わず泣いていた。


 その後に聞いた話だと、さくらさんの肉体は、魂が還ってくるのを待ったかのように、返却を手続きを終えたわずか10分後に息を引き取った。同時にさくらさんの魂も滅んだ。

 これが最善な方法だと頭では分かっていても、わたしは悲しみに耐えられず、人目もはばからず田中係長の胸を借りて、泣きじゃくった。

 幼稚園児がくような大きな声を出して、滂沱ぼうだの涙を流し続けた。


☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆✩⭐✩☆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る