Case5 榛葉 兵衛 79歳♂【回答1】

 今回、回収に向かう訪問先は、榛葉医師の自宅があるという四街道よつかいどう市だ。

 森繁さんのときは奥多摩だったが、今度は正反対の千葉県。本当に関東エリアを東奔西走している。


 榛葉医師は、これで返却期限を過ぎて5日目を迎える。

 審査課の資料には気になる情報があった。


「今回の憑依者は、榛葉さんの娘のさくらさん。被憑依者は戸川さんという30歳の女性だそうだ」

「自分の娘さん? 生者ですか?」

「生者だ。でも同意書は、なぜか父親の代筆だ」

 生者だから魂を抜かれる憑依者の自署の同意書が要るのだが、例外的に本人がサインできない状況のときは、二親等以内の血族あるいは配偶者に限り、代筆が可能である。

 79歳の親の娘だから、成人していることだろう。代筆しなければならない状況とはどういうことだろうか。それにもう一つ。

「被憑依者はどんな人ですか?」

「それがよく分からんのだ。とりあえず、榛葉家の親戚とか友人とかではまったくないらしい」

 不思議な話だ。魂を他人に憑依させるという、ある意味でかなり恐ろしいことをやっているのだ。債務者、憑依者、被憑依者との間に確固たる信頼関係がないと、普通は同意には至らない。

 そして、憑依させる目的も不明だ。


 そうこうしているうちに、榛葉先生の自宅に到着した。場所にもよるが、千葉は高速を使うと都内からでも早いようだ。

 榛葉先生の家は、医者だからさぞ立派な邸宅が待ち構えていると思ったが、意外にもそんな重厚感漂う家ではない。庭木が植えられているが、手入れされていないのか、ボーボーに茂っている。

 そう言えば、管理課長が、医者のオーラがゼロだと言っていたことを思い出す。プライベートは適当な性格なのだろうか。

「ごめんください」

 田中係長がインターホンに向かって言う。

「はーい」女性の声。若くはない声だ。

 15秒ほどすると高齢の女性が出てきた。

「『スピリッツ・エージェンシー』の田中です。兵衛ひょうえ様はご在宅でしょうか?」

「主人ですか? 主人なら仕事に出ております」

 やはり奥さんのようだ。

 しかしおかしいな。審査課の情報では、今日は勤務日ではなかったはずだが。

 でも、生者の魂の貸付なので、これ以上の滞納は原則認められない。至急話に行く必要がある。

「何時にお戻りでしょうか?」

「今日ですか。今日は、病院に泊まると言ってました」


 どういうことだろうか。現場の第一線から退いて、指導的立場にある先生なら、当直というのは妙だと直感的に思った。それとも、それくらい医師不足にあえいでいる病院なのだろうか。

「そうですか。残念ながらどうしても本日、ご主人さまと話をしなければなりません。ご連絡を取っていただけないでしょうか。場合によっては勤務先に伺います」

「わ、分かりました。主人に伝えます」

 田中係長は、こちらの真剣さを相手に察知させるような面構えをしていると思う。のらりくらりと言い訳して、返済や延滞料の支払いに応じない債務者を、逃れられないようしっかり捕縛せんと言わんばかりの目ヂカラだ。

 数分後、奥さんは「主人に連絡がつきました。休憩に入る夕方6時に集中治療室の面談室に来てくださいとのことです。よろしいでしょうか?」と聞いてきた。

「良いでしょう」田中係長は応じた。



 約束の6時にはまだ2時間ほどある。かと言って、いったん会社に戻ってから薬園台病院に行くのも、億劫だ。

「係長、作戦会議でもしません?」とわたしは提案した。

「そうだな、今回の顧客もちょっと油断できんような気がしてならないからな」


 実際、わたしが提案したのも同じ理由だからだ。相手が医者というのもあるけど、どうも不可解なポイントが多い。

 車をJR総武そうぶ線の稲毛いなげ駅近くの『アニオン』に停める。ショッピングモールにしては駐車場が狭く、どこか古めかしい建物。

 そこの、またちょっと年季の入ったレストランに入る。


「好きなもん頼んでいいぞ」

 そう言いながら、係長はオレンジジュースを頼んだ。

「すみません、ごちそうになります」わたしはアイスのカフェラテを注文する。

 

 係長は、結構男前だと思うのに、若い女性と2人でどこかの店に入ることがないのだろうか。選ぶ店がレトロだったり、オレンジジュースを頼んだり、何だか洗練されていない。

 遊び慣れてないのだな、と休日遊ぶことのないわたしが思った。


「どう思う?」真面目な係長らしく、さっそく本題から切り出した。

「そうですね。まず、どういう目的で憑依させたのか分からないですね」

 利用目的書には『健全な肉体の共有のため』と書かれている。はっきり言って何が言いたいのかよく分からない。正直、何でこんな曖昧な理由で審査を通すのか。先ほどの一件もあって、利益重視でザルな審査課の業務に懐疑的になっていた。だから何の参考にもならない。

「そうだよな。あと、何で父親の代筆なんだろうな」

「そうそう、それです! 何らかの理由でサインができない状況ってことですか」

 自分でそう言ってみて、ひょっとして……、と閃いた。実は不穏な事情が隠されているのではないか、と。


「被憑依者の名前、フルネームで教えてもらっていいですか? あと年齢も」

戸川とがわ萌黄もえぎという人だ。27歳。ちなみにこちらの方は、本人のサインによる同意書らしい」

 私は、フリック入力で手早くその名前を入れた。すると、その予想が的中してしまった。

 ひょっとして、利用目的書に記載されていた理由。あながち間違っていないかも……。しかも、相手は集中治療科と麻酔科の医師。


「係長、一つ嫌な可能性を言いますけどいいですか……」

「何か、気付いたようだな。やっぱ、車の中で話すか?」

「そうして頂けると嬉しいです。6時を待たずに病院に向かったほうがいいかもしれません」


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 薬園台病院に向かう。指定された時間より1時間以上も早い。

 相手は、第一線から退いているとは言え、多忙なはずの医者。時間より早く訪問して応対してくれるだろうか。


 しかしとにかく、早く会って話さなければ。

「あの、『スピリッツ・エージェンシー』社の田中と申しますが、至急、榛葉兵衛先生にお会いしたいんですけど……」

 係長は名刺を見せながら受付の女性に話すが、怪訝な顔をされてしまう。

 当然の反応だが、悠長なことは言っていられない状況なのだ。

「今日6時から、先生と面会するお約束だったんですが、すみませんが、予定を早めていただきたいんです!」私も加勢する。


 受付の女性は、事実確認をすると言わんばかりに、本人に電話をかけはじめた。

 ひとまず、この病院に今回の債務者がいることは間違いないのだろう。

 電話でのやり取りは1分くらい続いている。話の内容は聞こえないが、どうしてこんなに時間がかかっているのだろう。不安がよぎる。


「お待たせしました。南館3階集中治療室の前でお待ち下さい、とのことです」

「ありがとうございます」

 良かった。取りあえず、本人に会わないことには始まらない。

 急ぐ必要はないのに、早足で目的地に向かう。


 集中治療室の前は閑散としていた。きっと中は、戦場のように忙しいのだろうが、ここは至って平穏だ。

 看護師と思われる女性がわたしたちに気付いて声をかけてきた。

 案内されるがままに、面談室に行くと、そこに今回の債務者と思しき高齢の男性がいた。


 その瞬間、思わず男性の頭部に目が行ってしまった。

 面談室はなぜか窓が開いて風が吹いており、芸人の海原うなばらはるか師匠のように、頭頂部は禿げ上がっているのに、側頭部の髪は長く風にたなびいていた。

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