Case5 榛葉 兵衛

Case5 榛葉 兵衛 79歳♂【お題】

「……め、目覚めた! 大丈夫か? 恋塚ちゃん!」

 気付くと、会社の医務室に運ばれていたようだ。視界に朧気おぼろげに最初に映ったのは田中係長だった。


「か、係長……」

「良かった。痛いところはないか?」

 わたしは首を振った。まだ多少、頭はぼやぼやするが、痛みはない。

「ところで、何で、わたし、ここに……??」

 確かわたしは明神さんの延滞料の徴収に行ったはずだ。そして、帰り道、地下鉄に乗って──。


「たまたま市ヶ谷駅に俺がいたから良かったよ。健康そうな恋塚ちゃんがいきなり倒れたもんだから、まさか、と思ったんだ。あの明神朱雀って女、とんだ食わせ者だ。恋塚ちゃんの魂を自分に憑依させたんだ」

「え?」

 一瞬耳を疑った。生者を憑依者にする場合、憑依者の同意も要るはずだ。わたしは同意に応じた覚えはないし、そもそもそんな話を持ちかけられていない。

「その可能性に気付いてすぐに審査課に連絡したら、まさに恋塚ちゃんの魂を明神に憑依させる手続きをしたことが判明したんで、承認を取り消してもらった。審査課は、過去に複数回利用している顧客だと、簡略な決裁で審査を通してるらしくてな。だから、うちの社員の魂が抜き取られていることに気付かなかったらしい」

「でも何で……? わたしの同意がないと申請ができないはず……」

「どうやら、明神の特技はマジックらしいな。知らず知らずのうちに恋塚ちゃんは同意書にサインさせられてしまったらしい。延滞料支払いに係る説明書にある恋塚ちゃんの署名と同じ筆跡の、憑依者同意書があった」

「えええ?」

「明神と会ったとき、何か飲んだりしなかったか?」

「コ、コーヒーを飲みました」

「やっぱりな。多分、溶かした利尿薬が含まれてたんだ。とびきり強烈なやつが」

 確かに、無性にトイレに行きたくなったのを覚えている。係長は続ける。

「その間に細工されたんだよ。過去にも同様の手口で憑依者を騙し討ちのように同意させてたんだ」

「マジですか……」

 妙に馴れ馴れしいな、と思った。ギャルっぽい風体ふうていだから、『陽キャ』なのは当たり前だと思ったが、それも相手を油断させるための手段だったというのか。


「明神の過去の貸付履歴を見てみたんだ。そうしたら、女優やモデル、女芸人をとっかえひっかえ憑依させてたんだ。それも、全員、美人で知られる人ばかり」

 確かに、今回、回収に行った憑依者の魂も、女性芸人とは言え、美人芸人として知られる人だったと思うが。

「あの娘は、聞くところによると、ルックスのコンプレックスが人一倍強いらしくてな。憑依者のかおかたち、ついでにトークスキルなどをちょっとずつ間借りしながら、芸能界を生き抜いてたんだ」

 この憑依システムの優秀にして恐ろしいところが、被憑依者は、憑依者の容貌や知識や性格を意のままに使うことができるところだ。例えば、わたしがオードリー・ヘップバーンの魂を憑依させて、見た目もそっくりそのままオードリー・ヘップバーンに変化させることも可能だし、アインシュタインの魂を憑依させて一般相対性理論の証明をすることもできる。また、便利なことに、オードリー・ヘップバーンに完全になりきるのではなく、目とか鼻とか体型とか、一部分だけ変化させることができる。言ってしまえば、期間限定の美容整形だ。


「……でも、何でわたしが憑依者になったんでしょう?」

「そりゃ、もう言うまでもない話だろう?」

「どういうことです?」

「鏡を見て自分のスペックの高さを認識した方がいい。じゃないと、今回みたいに思わぬ形で被害者になる」

 いまいちピンとこない。一方で、田中係長が珍しく顔を赤らめている。

「管理課長の言葉を借りるとな、恋塚ちゃんは、かなりの別嬪べっぴんだから心配なんだと。もう、上司に言わせるなよ。今やこういうことでもセクハラになるんだから」

「そんな……」そう言われて、わたしもちょっと恥ずかしくなってしまった。

「明神の過去の憑依者の共通点に気付いた管理課長が、あとで心配になって俺をつかわしたんだ。万が一のことが恋塚ちゃんの身にあるといけないからって。その万が一が起こっちまったわけだが」

 そう言いながら、係長は頭を掻く。そして、今度は声のトーンを少し落としながら続けた。

「それにしても、明神に対してもそうだが、審査課の奴らが腹立たしいな。明神は、オプションで多くの金額を支払って、迅速な貸付審査をさせていた。利益重視の審査課の連中は、適当な審査でほいほい通してたんだ。憑依者に『恋塚愛美』と書いてあったら、普通疑うだろ。でもそれをせずに通したもんだから、こんなことになった。また、管理課長を通じて猛抗議してもらおうと思ってる」

「そ、そうですね……」

 そのとおりだと思う。いくら会社の経営のためとは言え、何でもかんでも審査を通したら、いつか大きな被害が出る。それこそ、会社の経営が傾くほどのしっぺ返しが。


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「私から審査課には厳重に抗議しておきました」

 かん管理課長は静かに言った。その表情は、一見するといつもどおり冷静沈着そのものだが、その眼には、杜撰ずさんな内部統制に対する怒りの炎が確かに宿っていた。

「ありがとうございます」係長は頭を下げる。つられるようにわたしも頭を下げた。

「このスピリッツ・エージェンシーは、この魂の憑依システムを開発し、サービス提供する段階で、大きく意見が別れたのです。簡単に言うと『推進派』と『慎重派』に。わたしは『慎重派』で、サービス提供にはもっと厳格なルール作りと審査の多重チェックなどを繰り返し求めてきました。しかし、サービスが開始されるや否や、右肩上がりにその業績を伸ばした。一方で、審査の件数が増えに増えたおかげで、チェックが甘くなり厳格だったルールは形骸化していきました。それがこの有様です」


「そうですよね。現に、社員に被害が及ぶところでした」

「ええ。近くに田中さんがいてくれたから、頭を打ったり骨折したりして、怪我をするには至りませんでした。でも、一歩間違えれば大事おおごとでした。いま一度、体制の見直しを強く要求するようにします」

「上層部は耳を傾けてくれますかね」

「はっきり言ってが悪いでしょう。社長は推進課の筆頭ですから、わたしのような水を差す意見は、聞くに堪えないでしょう。でも、目の前の利益に釣られ続けて、いつか大きな取り返しのつかない過ちに陥るでしょう。それを気付かせないといけません」

 そういう管理課長の目は、どこか遠くを見ていた。

 魂の貸付システムは、本来は、小林蒼汰くんのようなケースに活用されるべきだとわたしは思う。本人の私利私欲を満たして第三者を傷つける凶器になってしまってはいけないのだ。


「管理課長! また、審査課から延滞金の回収依頼が来ました!」庶務担当の鈴木さんの声だ。

「本当にせわしないですね。うちは少数精鋭部隊だというのに……」

 珍しく課長は愚痴をこぼした。

「審査課ばかり増員してるって話ですよね」田中係長も頭を掻いている。

「ま、愚痴を言ったって、仕事は減りません。今度は田中係長お一人で対応願いますか? 恋塚さんは、回復したばかりですから」

 管理課長はわたしに配慮してくれた。でも、本当に意識が一瞬飛んだだけで、回復してからはまったく何ともない。後遺症みたいなものもない。

「私もついていっていいですか? それか、わたし一人でも……。少しでも早く戦力になりたいんです」

「心意気は素晴らしいと思いますが、管理職としてあまり無理はさせられません」

「でも、本当に何ともないんです」

「身体は何ともなくても、精神的に無理していないか……」

「大丈夫です。見た目はこんなんですが、心臓に毛が生えてると思っています!」

 くすっと田中係長が笑った。

「それなら、僕と一緒でということでいかがですか?」

「そこまで言うなら分かりました。でも、今度の相手も、ちょっと一筋縄ではいかないかもしれませんよ」

「ありがとうございます。どんな顧客ですか?」


「79歳、榛葉しんば兵衛ひょうえさん。職業は……、えっと、麻酔科と集中治療科の先生。薬園台やくえんだい病院の」

「79歳で医者ですか?」

 現役の医者としてはなかなか高齢だと思った。医師免許は、運転免許とは違って更新制度がない。

「そうです。とは言っても、今は週2日で指導医として勤務しているようです」

 なるほど。医師を教育しているというのなら、79歳でもまぁアリか……。


「しかし、79歳で医者って、すごいと言うか、大丈夫かなって思っちゃいますね。命を預かっている立場でしょ。いくら指導者と言っても」

 田中係長は苦言を呈した。係長はきっと高齢者の起こす交通事故とかのニュースで、ネガティブな印象を抱いているのかもしれない。

「人間は誰しも平等に歳をとっていくものです……」

 たしなめるかのように管理課長はこう告げた。

「……人生経験を積み、他人の良いところ、悪いところを理解し、人としての器が大きくなっていくものです。超高齢社会においてまだ働ける、後進を育成するために社会貢献するということは素晴らしいことではないでしょうか」

 それから魔女のような微笑をちらつかせて続けた。

「……一方で、むしろ歳をとって耄碌もうろくしたり、意固地いこじがすぎたり、わがままになったり、威張り散らしたり。そういう人もいることも確かですけどね」


 たしかに言うとおりだ。まだ、社会において活躍するお年寄りがいる一方で、自己中心的な考えを周囲に押し付けるようないわゆる『老害』をまき散らす者もいる。

 当然だが、わたしは後者にはなりたくない。

「歳をとったからこそ魅力的になる、わたしもそんな歳の取り方をしたいものですね」

 管理課長は妖艶に微笑んでに言った。アラフォーだから、老後のことも考えているかもしれないが、あまりにも見た目が若いので、話がすっと入ってこない。


 歳をとることは何となくネガティブにとらえられるものだ。

 外見だってそうだ。皺が増えたり、白髪になったり、髪が薄くなったり。

 だがそういうものを差し引いても魅力的な老人はいる。


 話が面白かったり、的確なアドバイスをくれたり、優しく怒ってくれたり。

 年月を重ねることでしか生まれない、ワインのように熟成した精神とでもいえばいいだろうか。 


 今回は医者で、相当な切れ者であることは間違いない。社会的地位が高い人間だと、思わず身構える。

 一方で、経済的にはかなり余裕がある人間だということも分かる。

 うまく説得できれば、すんなり回収できるのではなかろうか。そして、きっと良識ある老人であることを期待する。


「どういう経緯で返却が滞っているのか分かりませんが、たぶん話せば判ってくれますよね」

 今回こそは、裏がない顧客であることを願うあまり、思わず聞いてしまった。

「審査課のメモによると、熟成とは無縁の、何とも軽薄な感じの好々爺こうこうやだという情報もあります」


「ええっ?」期待した回答とは正反対の情報で、唖然とする。どうしてこうも、曲者揃いなのか。

「いつまでも気が若い、と言えばそうなのだが、医者のオーラはゼロの、まったく重みがない人なのだそうですよ」

 これは、回収人にとって良い情報なのか悪い情報なのか判断しかねるが、紳士なキャラクターをイメージしていただけにげんなりする。何だか先が思いやられる。


 憂鬱をずるずると引きずりながら、再び顧客のもとに足を運ぶことになった。


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