Case3 森繁 豊緑 59歳♂【回答】

 今回の顧客は山奥に住んでいるらしく、社用車を利用する。田中係長が運転し、わたしは助手席だ。

 それでも東京都内らしい。東京は狭くて広い。渓谷の広がる冷涼な山間地帯もあれば、絶海にたたず島嶼とうしょ地域もある。

 今回の顧客はその前者で奥多摩おくたまに住んでいるという。東京住まいのわたしでも来たことのない場所だ。


 今回の顧客が代表を務める、自然環境保護団体『フォーエバー・グリーン』は、環境大臣と年1回協議を行うほど精力的に活動しているらしい。先日嘆願書を提出したらしく、大臣の受理書までアップされていた。


 環境大臣と言えば、G7環境サミットがヨーロッパの何処いずこかで開催されるとか。しかし、強毒性の新興感染症が同地域で流行してしまい、急遽延期することとなったと書いてあった。環境大臣が係長と同じ田中さんという人だということもはじめて知った。

「話変わりますけど、田中さんという苗字の人、多いですよね」

「唐突にどうした? 確かに多いけど、話題にすることでもないだろう」

「環境大臣の名前も、田中さんって言うらしいですよ。田中宏和ひろかずさん」

「残念ながら、俺とは血縁関係はないな」

「ちなみに、タナカヒロカズさんって、世界最大の『同姓同名の集い』としてギネス記録になってるらしいです。178人集めたんですって」

「日本には、苗字の種類は多いけど、ミドルネームがないから、集まりやすいかもしれないな」

「わたしの苗字なんて、178人もいるのかな」

「恋塚愛美なんて、はじめペンネームかと思ったよ。俺の平凡すぎる『田中一郎』にしてみれば、羨ましい」

「でも、印鑑が売ってないので、失くしたら一大事です」

 違いねぇ、と田中係長は笑いながら相槌を打つ。


 そんな雑談をしながら、当該環境活動家で名前からエコロジカルな森繁氏の住所に近付いてきた。青梅おうめを過ぎたあたりから、道が九十九折つづらおりになってくる。

「まったく、こんな山奥まで取り立てに来させるなんて酷いよな。延滞料以上のものを徴収したいくらいだ」

 田中係長がぼやくのは珍しいと感じた。しかし、そう思うのも無理のない秘境。移動時間だけで言えば、東京から名古屋まで行けるくらいの時間は経過していた。

 しかし、残念ながら実施要綱にはそこまでの規程がないからどうしようもない。


「ま、頑張って行きましょ。この仕事をしていて、こんな空気のいいとこに来ることなんて、あんまりないでしょうから」

「恋塚ちゃん、ポジティブだな。それだけが救いだよ」


 そして、ついに顧客がいる住所の地に辿たどり着いた。どんな顧客なのか、どうしても最初は緊張してしまう。

「ごめんください」

 すると、ほどなくして今回の顧客、森繁さんは現れた。

 よれよれのトレーナーに白髪交じりのボサボサの髪。ちょっと眠たそうな垂れた細い目。

 温厚でのんびりというのが、見た目から滲み出ているおじさんだった。大変失礼ながら、切れ者には見えない。


 しかし、その第一印象がすぐに裏切られた。

「あなたたちは、貸し付けた魂の回収にいらっしゃったのでしょう?」

 わたしはびっくりした。こちらが用件を言う前にそれをすぐに見抜いたのである。

「よくお分かりで」

「すぐに分かりましたよ。あなた方からは都会の汚れた臭いがする。加えて汚れた大気や水に冒されて、心や身体までけがれてしまっています」

 森繁氏の声は、どこかわたしたちの心を落ち着かせる声音だった。朗読とか歌手に向いていそうな気がする。1/fエフぶんのいちゆらぎという言葉を聞いたことがあるが、こういう声を指すのだろうか。

「環境と心身の健康は密接な関係にあります。環境の穢れは、例外なく人の心と身体を穢し、知らず知らずにストレスとなって心を蝕んでいきます。寿命の低下はもちろんのこと、あらゆる病気の誘発、活動性の低下や女性の不妊化。それに、心を病むことに因る犯罪発生率の上昇などにまで繋がってきます」

 なるほど。環境活動家にはじめて出会ったが、このように演説して、賛同者を増やしていることが想像された。どちらかと言えば啓蒙活動、布教活動に近いのかもしれない。


「そして、そんな穢れてしまった精神は、あなた方の職業にも通ずるところがあります。多くの人が忌避する取り立てだろうと推測したわけです」


 何か、リラックスさせる声とは裏腹に、遠回しに仕事を見下した失礼な内容だ。債務者が返済を滞らせなければ、取り立てに来る必要などなかったはずだと言いたかったが、つとめて表に出さないようにする。

「返済期限が過ぎている魂の貸付金の延滞料支払いの催告に参りました」

 田中係長もそんな言い方をされて腹が立っているはずだが、大人な対応でそれを見せず、事務的な用件を顧客に告げる。


「魂の貸付は、もちろん慈善事業ではないことは理解しますが、できればあと1か月。いな、あと2週間の延長を要求します」

「そうであれば、延滞料と合わせて、貸付期間延長の手続きを……」

 しかし、森繁さんは、穏やかそうな外見に反して図々しい要望を突き付けてくる。

「我々の活動はほぼ慈善事業に近いです。都民、国民だけでなく、全世界の人々を悪い空気や水から守るために、昼夜汗をかいている。長い目で見れば、あなた方の利益に繋がっているのです。それを思えば、貸付の延滞料も貸付の延長も、目をつむれるものです」

「そういうわけにはいきません。憑依者と被憑依者の権利擁護にも関わってきます」

 田中係長も、ごねる顧客にはずばりと物申す。


 実は、今回の憑依者は生者である。清水しみず明澄あきずみさんという方らしいが、どのような方かは知らない。もちろんどんな目的かも。

「憑依者の同意書ならもらっています」

 清水氏のサインが記載された1枚の紙をわたしたちに見せた。

「被憑依者の署名も必要です」と田中係長。


 生者の魂を貸付する場合は、手順が煩雑になる。貸付期間が明記された憑依者、被憑依者、両者の署名の書かれた同意書が必要になる。

「それももちろん用意させてもらっています。それがこれです」

 もう1枚の紙を見せてきたが、苗字の部分だけを見せて、それ以外のところが森繁氏の左手で隠れている。若干青みがかった字で『田中』と記載されている。嫌な予感がした。

「ちゃんと見せていただけますか」ついにわたしが横槍を入れる。森繁さんから紙をぶん取ると、その予感が的中した。

「失礼ですが、この被憑依者の方は、どのような方でしょうか? 憑依者の清水さんも。あと、どのような目的で魂を利用されているのでしょうか」

 わたしは追及を続けた。貸付時に提出させた利用目的書には、『環境保護のため』というぼんやりとしたことしか書かれていなかった。


「利用目的は、最初に借り入れを申請したときと変わりありません。田中さんも清水さんも、我々と同じく環境問題に向き合う有志です」

 掴みどころのない回答である。でも、どうもきな臭く感じてしまう。田中係長にも申し訳ないが、意を決してわたしは言った。


「残念ながら、貸付の延長は認められません。延滞料のみ至急振り込んでいただき、貸し付けた魂は、今日中に強制的に返却されます」

「おい、どうした? ダメだろう」と新人のわたしを窘める田中係長。「初回の審査で通過している利用目的だ。同じ目的なら、それだけを理由に延長申請を阻却そきゃくできないだろう」

 係長の言い分はもっともである。でも、わたしに言わせれば、最初の審査が節穴だったのである。

「貸付延長すると大変なことになるかもしれません」

「どうしてだ?」

「ずばり、環境相の田中宏和さんですよね」

 森繁さんの表情が一瞬曇った。「……それは、偶然の一致でしょう。ありふれた名前だと思います」

「筆跡もぴったり一致しています」

「本当か?」田中係長は目を見開いている。森繁さんは図星なのか、押し黙っている。


 わたしの推理はこうだ。

 先日、フォーエバー・グリーンは嘆願書を環境大臣に提出している。その際、大臣に受理書まで書かせているのだが、その受理書に細工が施されていた。おそらくノーカーボン紙か何かになっていて、複写でこっそり被憑依者の同意書が仕込まれていたのだ。『田中宏和』のサインが青かったのは、そういう理由だ。

 憑依者の清水さんという人は、きっと森繁代表の腹心。大臣に憑依して、G7環境サミットで意のままに大臣を操ろうとしようとしていたに違いない。


 フォーエバー・グリーンのホームページによると、化石燃料を絶対悪なものと定義し、完全なるクリーンエネルギー化を過激な論調で主張していた。

 大臣直筆の受理書まで求めているあたり、この団体の異常な執着を感じたが、その真意は一時的に大臣を乗っ取ることにあったのだ。


 推理を開陳すると、あっさりと「ご明察」と観念した。「お嬢さんを見くびっていたようだ」

「人を騙して憑依することは利用規約に反しています」わたしは毅然とした態度で言った。

「騙しているのは大臣の方だ。我々は被害者です」

「どういうことですか?」

「田中環境相は、西多摩のある東京都第25区選出の光民党こうみんとうの議員でもあります。もともと環境保護に関心の高かった同氏は、フォーエバー・グリーンの活動にも一定の理解を示していた。国会でも取り上げてくれた。だから、我々は彼を支持し続けていたのです。しかし、環境相に任命されると、官僚に懐柔されてしまった。一気に、我々を賊軍のように扱うようになった。定期的に設けていた、我々との大臣協議を廃止する意向まで示された。先日の協議は彼に公的に接触できる最後のチャンスとなってしまった」

「だから、復讐をすると」

「復讐なんて人聞きの悪い言い方には辟易しますが、あなたにとってはそうかもしれない。しかし、我々の目的はあくまでも環境保護。あなた方が今日ここに来るために乗ってきた車1つで、どれくらい自然が犠牲になっているのか考えたことがありますか? その代償として世界中で何が起こっているかも!」

 だんだん森繁さんの口調は強くなっていった。

「人は、あくまで自然の中の1ピースに過ぎない。自然を手懐けようとする考えが間違っているのです。近年、何十年に一度と表現されるような異常気象に因る自然災害が頻発している。これらは、辿れば環境破壊に起因しているのです。言わば、災害を被るのは当然の報い。今すぐ自然環境に寄り添った生活に見直すべきだ」


 森繁さんの弁舌はなかなか尽きなかった。聞けば聞くほど、環境保護に対する熱意は伝わってくるが、共感はできなかった。田中大臣を乗っ取ろうとしたことが判ってしまった以上、森繁さんのエゴにしか聞こえなかったのだ。


 魂の返済に応じてくれそうな雰囲気がなかったので、強制回収の手続きを執ることで一致した。回収に応じなかった場合、憑依者、あるいは被憑依者の権利を擁護するという建前のもとに、そういう措置をとることができるようになっている。


「危なかったな。恋塚ちゃんが気付いてくれなかったら、日本の環境問題があらぬ方向に進んでいたかもしれなかった」

「たまたまです。返済に素直に応じない人にはきっと裏がある。のんびりで切れ者というのは、本当にそのとおりで、のんびりの仮面で油断させようとしてたんです」

「なるほどな。一本取られた」

「だからたまたまですって」


 わたしは田中係長に言わなかったが、森繁さんの回収に向かう途中に、美根夫人が差し出したイエローアパタイトについて調べてみると、不吉なことが書かれていたのだ。


 花には花言葉があるように宝石にも石言葉というのがあるらしく、大抵の石言葉は、ポジティブな意味合いのフレーズである。そんな中、イエローアパタイトは、『欺く』、『惑わす』などのネガティブな石言葉だったのだ。つまり、次の顧客は、わたしたちを欺かんとする客であることを暗示しているのではないかと。

 そして、それが的中してしまった。

 今後の顧客も、こんな曲者ばかりなのだろうか。不気味なもやもやを胸に抱きながら、今日の任務を終えた。

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