Case2 美根 藤夜 68歳♀【回答】
次の顧客の住まう場所は神奈川県
この一帯の住民層は、一般庶民のわたしには縁がないことがすぐ分かる。
今度の依頼人もそうであれば、延滞金の支払いなんて造作もないことだろう。
「
想像どおりの富豪である。であれば、さしづめ憑依者は、亡き夫というところか。
「憑依者と被憑依者はどんな方なんですか?」
「被憑依者は藤夜夫人本人だ。憑依者は死者だが、それが誰なのかは秘匿されている」
「?」
怪訝な表情を察してくれたか、田中係長は詳細を教えてくれた。実はまだ、この魂の貸付システムについて、恥ずかしながら熟知していない。
「憑依者が死者の場合は、憑依者が『どこの誰さん』という情報を、社に明かす必要がないんだ。もちろん、利用者は『魂魄貸付システム』に、死者を特定できる情報を入力する必要があるが、ロックのためのパスワードをかけることによって、秘匿が可能なんだ」
「へぇ~。プライバシーも守られるんですか?」
「憑依者が死者のときだけな」
なるほど。生者の場合は、憑依者の権利利益の保護が関わってくるから、秘匿することはできないということだ。利用者が魂を返さないと、憑依者の肉体は
「被憑依者を利用者本人に設定することもできるんですか?」
「それな。すごいよな? 簡単に言うと、完全になりきることができるんだよ。理論上は、ハリウッドスターの身体と記憶を借りることが可能なんだ」
「何だか、怖いですね。それ」
そうこうしているうちに、顧客の自宅に到着した。豪邸が立ち並ぶエリアの中にあって、美根の自宅は他の邸宅をはるかに凌駕するほど、きらびやかな外観だった。
敷居が高く感じられたが、田中係長は躊躇なくインターホンを鳴らした。
『はーい。どちら様で?』年輩の女性を窺わせる声だ。
「『スピリッツ・エージェンシー』の田中です。お貸ししているお品の返済のお願いに参りました」
『どうぞ、お入りになって』門構えが自動で開く。
貸したものを返せ、と来られたら、警戒されそうだが、意外にも簡単に開けてくれた。金持ちは物わかりが良いのか。
門から玄関までも、珍しい形をした大きな庭石が並んでいる。
1分以上かかって玄関に到着すると、顧客は扉を開けた。
出てきたのは淑女。68歳にしては若い。しかし、年相応の皺も顔に刻まれている。
実のところ、意外だった。20~30歳くらいの人物が出てくるのではないかと思っていたからだ。未亡人にして貴婦人。自分の肉体に誰かを憑依させるのなら、若かりし日の美を渇望して、うら若き女性の魂をレンタルするだろう。少なくともわたしがこの人だったら、そうする。
と同時に、嫌でも目に飛び込んでくる装飾品の数々がすごい。ガラス棚にある、大きなアメシストがお出迎え。何カラットあるのだろう。他にも、ダイヤモンドをふんだんに使ったネックレスやら、王冠のようなものなど。ちょっとした美術館のようだ。
「あら、お嬢さん、びっくりさせてごめんなさいね」胸の内を読むように、美根夫人は言う。
「いや、あまりにも綺麗で」
「亡くなった主人のコレクションなんです」
「へぇ~」
さすがの一言。宝飾品を扱う企業なら、趣味も宝石の
ひとつ咳払いしてから田中係長が切り出す。
「本題に入りますが、お貸ししている魂の貸付の返済期限が1週間前です。申し訳ありませんが、魂の返済と延滞料金のお支払いをお願いします」
「あら、失礼。では、これで勘弁してくださいます?」
「えっ?」
美根夫人は、左手人差し指にはめていた指環を外すと、突然わたしの左手を取って、人差し指にはめてきた。指環には釣り合わないくらい大きな宝石がついていた。しかも、あまり見ないような、美しく光り輝く黄色の宝石。
「この石は、イエローアパタイトと言って、ハートを強くしたい人や自立したい人におすすめよ。あなたは、きっと入社間もない新人さんね。回収業なんてストレスが溜まりやすいでしょうから、この石がピッタリ」
「ちょ、ちょっとこれは、さすがに」
いつも冷静な田中係長が動揺している。
「いいのよ。宝石にしては価値は高くないわ。それでも億は下らないと思うけど」
「億!?」卒倒しそうになった。
「奥様、さすがにこれは、我々が上司に叱られてしまいます。あくまで弊社で定めたルールの、延滞金を納めていただきます」
「そうなの? 悪いねぇ」
「納付書をお渡ししますので、できれば本日中にお振込みください。魂の方は、本日中に自動的に被憑依者から取り除かれます」
分かったわ、と言いながら、同意書の署名に応じてくれた。
「ちなみにわたしねぇ、この魂がすごく気に入ってるの。返したあとにすぐ借りることもできるかしら」
「現時点で、同じ魂を予約している人がいなければ可能です」
死者の魂と言えども、同時に借りることができるのは1人までである。
「分かりました。じゃ、また借りるからよろしくね」
そう言って、夫人は去ろうとした。しかし、そこまでして夫人が借りたい魂とは、一体誰なんだろうか。
好奇心を抑えられず、去りゆく夫人の背中を引き戻すように、ついに尋ねた。
「ちなみに、今もそのお身体に憑依してるんですか? どなたを憑依させてるんですか?」
「それは秘密」
さすがに教えてはくれなかった。しかし、68歳には見えないくらいの妖艶な笑みを浮かべながら続けた。
「でも、あなたはとても可愛いお嬢さんだから、特別にヒントだけ……。わたしを熱く燃え上がらせ、欲求を満たしてくれるほど素晴らしい殿方よ」
「えっ? それは?」
思わず聞き返したが、フフフ……と笑うだけで、それ以上は語らず去っていった。
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「ふぅ、何か、食えない人だったな。ちょっと苦手だ」
無事、返済と延滞金の支払いに応じてもらったにも関わらず、田中係長の表情に疲れが見える。冷静沈着な係長には珍しいが、共感できた。
「わたしも疲れました。物腰は柔らかいのに、どこか油断ならない人でした……」
社に戻って、菅課長に事務的な報告をした。ご苦労様と労ってくれたが、疲れは取れなかった。毒牙にかけられたように、机に突っ伏した。加えて、表現できないような嫌な予感がした。
このときわたしたちはまだ気付いていなかったが、その直感は当たることになる。イエローアパタイトが最大の
あのとき美根夫人は、実は暗に示していたのだ。これから起ころうとすることを……。
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