Case2 美根 藤夜 68歳♀【回答】

 次の顧客の住まう場所は神奈川県逗子ずし市の高級住宅街の一角。小高い丘陵地帯から、海を望むようにして建っている。荘厳な門構えに電動式カーゲートに納められた外車。青々とした立派な庭園に対比するように、近代的なガラスバルコニーを構える家もにある。

 この一帯の住民層は、一般庶民のわたしには縁がないことがすぐ分かる。


 今度の依頼人もそうであれば、延滞金の支払いなんて造作もないことだろう。


美根みね藤夜ふじよ。68歳の女性だ。宝石・貴金属店『美銀堂びぎんどう』創始者、故・美根碧瑚へきごの夫人だ」

 想像どおりの富豪である。であれば、さしづめ憑依者は、亡き夫というところか。

「憑依者と被憑依者はどんな方なんですか?」

「被憑依者は藤夜夫人本人だ。憑依者は死者だが、それが誰なのかは秘匿されている」

「?」

 怪訝な表情を察してくれたか、田中係長は詳細を教えてくれた。実はまだ、この魂の貸付システムについて、恥ずかしながら熟知していない。


「憑依者が死者の場合は、憑依者が『どこの誰さん』という情報を、社に明かす必要がないんだ。もちろん、利用者は『魂魄貸付システム』に、死者を特定できる情報を入力する必要があるが、ロックのためのパスワードをかけることによって、秘匿が可能なんだ」

「へぇ~。プライバシーも守られるんですか?」

「憑依者が死者のときだけな」

 なるほど。生者の場合は、憑依者の権利利益の保護が関わってくるから、秘匿することはできないということだ。利用者が魂を返さないと、憑依者の肉体は亡骸なきがらのままとなってしまう。

「被憑依者を利用者本人に設定することもできるんですか?」

「それな。すごいよな? 簡単に言うと、完全になりきることができるんだよ。理論上は、ハリウッドスターの身体と記憶を借りることが可能なんだ」

「何だか、怖いですね。それ」

 

 そうこうしているうちに、顧客の自宅に到着した。豪邸が立ち並ぶエリアの中にあって、美根の自宅は他の邸宅をはるかに凌駕するほど、きらびやかな外観だった。

 敷居が高く感じられたが、田中係長は躊躇なくインターホンを鳴らした。

『はーい。どちら様で?』年輩の女性を窺わせる声だ。

「『スピリッツ・エージェンシー』の田中です。お貸ししているお品の返済のお願いに参りました」

『どうぞ、お入りになって』門構えが自動で開く。


 貸したものを返せ、と来られたら、警戒されそうだが、意外にも簡単に開けてくれた。金持ちは物わかりが良いのか。


 門から玄関までも、珍しい形をした大きな庭石が並んでいる。

 1分以上かかって玄関に到着すると、顧客は扉を開けた。

 出てきたのは淑女。68歳にしては若い。しかし、年相応の皺も顔に刻まれている。


 実のところ、意外だった。20~30歳くらいの人物が出てくるのではないかと思っていたからだ。未亡人にして貴婦人。自分の肉体に誰かを憑依させるのなら、若かりし日の美を渇望して、うら若き女性の魂をレンタルするだろう。少なくともわたしがこの人だったら、そうする。


 と同時に、嫌でも目に飛び込んでくる装飾品の数々がすごい。ガラス棚にある、大きなアメシストがお出迎え。何カラットあるのだろう。他にも、ダイヤモンドをふんだんに使ったネックレスやら、王冠のようなものなど。ちょっとした美術館のようだ。


「あら、お嬢さん、びっくりさせてごめんなさいね」胸の内を読むように、美根夫人は言う。

「いや、あまりにも綺麗で」

「亡くなった主人のコレクションなんです」

「へぇ~」

 さすがの一言。宝飾品を扱う企業なら、趣味も宝石の蒐集しゅうしゅうということか。まさしく天職だったんだろうと、容易に想像できる。


 ひとつ咳払いしてから田中係長が切り出す。

「本題に入りますが、お貸ししている魂の貸付の返済期限が1週間前です。申し訳ありませんが、魂の返済と延滞料金のお支払いをお願いします」


「あら、失礼。では、これで勘弁してくださいます?」

「えっ?」

 美根夫人は、左手人差し指にはめていた指環を外すと、突然わたしの左手を取って、人差し指にはめてきた。指環には釣り合わないくらい大きな宝石がついていた。しかも、あまり見ないような、美しく光り輝く黄色の宝石。

「この石は、イエローアパタイトと言って、ハートを強くしたい人や自立したい人におすすめよ。あなたは、きっと入社間もない新人さんね。回収業なんてストレスが溜まりやすいでしょうから、この石がピッタリ」

「ちょ、ちょっとこれは、さすがに」

 いつも冷静な田中係長が動揺している。

「いいのよ。宝石にしては価値は高くないわ。それでも億は下らないと思うけど」

「億!?」卒倒しそうになった。


「奥様、さすがにこれは、我々が上司に叱られてしまいます。あくまで弊社で定めたルールの、延滞金を納めていただきます」

「そうなの? 悪いねぇ」

「納付書をお渡ししますので、できれば本日中にお振込みください。魂の方は、本日中に自動的に被憑依者から取り除かれます」

 分かったわ、と言いながら、同意書の署名に応じてくれた。

「ちなみにわたしねぇ、この魂がすごく気に入ってるの。返したあとにすぐ借りることもできるかしら」

「現時点で、同じ魂を予約している人がいなければ可能です」

 死者の魂と言えども、同時に借りることができるのは1人までである。

「分かりました。じゃ、また借りるからよろしくね」


 そう言って、夫人は去ろうとした。しかし、そこまでして夫人が借りたい魂とは、一体誰なんだろうか。

 好奇心を抑えられず、去りゆく夫人の背中を引き戻すように、ついに尋ねた。

「ちなみに、今もそのお身体に憑依してるんですか? どなたを憑依させてるんですか?」

「それは秘密」

 さすがに教えてはくれなかった。しかし、68歳には見えないくらいの妖艶な笑みを浮かべながら続けた。

「でも、あなたはとても可愛いお嬢さんだから、特別にヒントだけ……。わたしを熱く燃え上がらせ、欲求を満たしてくれるほど素晴らしい殿方よ」

「えっ? それは?」

 思わず聞き返したが、フフフ……と笑うだけで、それ以上は語らず去っていった。


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「ふぅ、何か、食えない人だったな。ちょっと苦手だ」

 無事、返済と延滞金の支払いに応じてもらったにも関わらず、田中係長の表情に疲れが見える。冷静沈着な係長には珍しいが、共感できた。

「わたしも疲れました。物腰は柔らかいのに、どこか油断ならない人でした……」

 

 社に戻って、菅課長に事務的な報告をした。ご苦労様と労ってくれたが、疲れは取れなかった。毒牙にかけられたように、机に突っ伏した。加えて、表現できないような嫌な予感がした。


 このときわたしたちはまだ気付いていなかったが、その直感は当たることになる。イエローアパタイトが最大の黙示もくしだったことを。

 あのとき美根夫人は、実は暗に示していたのだ。これから起ころうとすることを……。

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