Case2 美根 藤夜

Case2 美根 藤夜 68歳♀【お題】

「ふぅ」

 田中係長とわたしは、同時にほっと一息いた。


「結果オーライだったな」

「でも、説得できて良かったですね。係長の自腹も回避できましたし!」

 菅課長の説得は、もう少しすんなりといくかと思ったが、想像以上に時間はかかった。


「『貸付魂魄こんぱく回収業務実施要綱』に基づいて公平に回収しなければ、他に延滞している顧客に対する扱いと平等性が担保できませんから」

 菅課長はそう言いながらも、「今回は特別に目を瞑るけど、イレギュラーですからね。そして、恋塚さんはこのケースを見習ってはいけませんよ」と、最終的には許可してくれたのだ。


「課長は、クールで冷血そうに見えるけど、本当は優しいんだよ。でも、課長がまだ新米のとき、その優しさのせいで、今回みたいに顧客に絆されてしまって、結局、魂が長らく返済されずこっぴどく叱られたらしいな。幸い、その魂は死者のものだったから、大事には至らなかったようだけど」

「そうなんですね……」


 この貸付業は、魂を抜き取られる人物(憑依者)が生者か死者かで、手続も利用料も大きな違いがある。

 生者の場合は、憑依される側の人物(被憑依者)の同意だけでなく、魂を抜き取られている間、憑依者の肉体は動かなくなるために、憑依者の同意書が必要となる。また、抜き取られている間の肉体がちゃんと安全な場所に安置されることの証明書や利用目的の確認書なども必要だ。それに、何時何分に魂の抜き取りが行われ、いつ戻ってくるかなど、細かく確認しなければならない。憑依者側の生存権を損なわないようにするための措置であり、利用料は、一連の手数料に加え、憑依者に対する謝礼も発生するので、利用料も高くなる。


 憑依者が死者の場合は、一連の手続きがかなり楽で、被憑依者の同意だけである。利用料は、生者の魂の貸付に比べて4分の1くらいだ。


 つくづく思う。料金は安くはないが、良心的なシステムだと。わたしですら、お金さえあれば利用してみたい。理論上は『ジャネーズJr.』の推しメンとデートすることも可能なのだ。


「田中係長! また、回収命令が入ったみたいですよ」

 庶務担当の鈴木すずきさんが、声をかけてきた。

「名誉挽回といきますか。恋塚ちゃん、いくぞ」

「はいっ」

 わたしたちは、菅課長のもとに再び戻った。


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「今度こそは頼みますよ。彼らの声に真摯に耳を傾けることは、顧客へのサービスとしては大事ですが、同情は心をえぐる鋭利な刃物、引きずり込まれると抜け出せなくなりますよ」

「重々承知しております。次は気を付けます」


 同情。この商売の大敵は確かにそれだ。

 ある時は涙を浮かべ、ある時は袖に縋りつき、あることないこと、ありとあらゆる必要性を訴えてくる。 

 それは悪魔のささやきも似て、巧みにわたしの心の中に入り込み、ともすれば涙を誘ってくる。わたしたちに見せる表情とは別に、心の中では、にやりとした狡猾な笑みを、唇からチロリと蛇の舌先を覗かせているのだ。


「今度の顧客は、美根みね藤夜ふじよ。68歳の女性です。先ほどは、年端も行かない少年だから良いとしても、今度は情状酌量の余地はありません。実施要綱に則って、粛々と回収を進めてください」

「はい」

 田中係長は毅然と返事をするが、わたしはどんな相手だろうと、内心不安だった。

 今回のお客様はお婆さん。

 巧みな話術と迫真の演技で、いつの間にか自分の劇場に引きずりこむモンスターかもしれない。

 手の内が分かっていてもなお、気づくと彼女に同情してしまいそうになる。

 

 かくしてわたしは憂鬱をずるずると引きずりながら、田中係長と再び顧客のもとに足を運ぶのだった。


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