第40話 夏祭り2
そして夜は深まり、メインイベントが近づいてくる。
「わぁ、ほんとに人がいないですね」
花火大会は海岸線沿いで行われる。
浜辺の方は人でごった返していた。場所のキープなどしているはずもなし。とてもじゃないが落ち着いて花火を見れる環境じゃない。
そこで今回もまた、拓真の記憶に頼ることに。
海岸までがほどよく見渡せて、人に知られていない穴場スポット。
花火大会の日、拓真は決まってお気に入りの女を連れてここに来ていた。
まぁ拓真のことなので当然、花火だけが目当てなわけがなく……という話なのだが、この場所だけはありがたい。
人混みに疲れた身体を癒してくれる。
兄妹で2人きりの時間を過ごせる。
「お、あがった」
まもなく、スーッと夜空に光の線が入っていく。カラフルな大輪の花が咲き、少し遅れて心臓を揺らすようなドッシリとした重低音が響いた。
最初の1発を皮切りに、次々と花火が上がる。夜空を、海を彩っていく。
「きれい……」
紬祈は見惚れるように花火へ釘付けになっていた。花が咲くたびに感嘆を漏らして、小さく手を叩き拍手する。それらはきっと本人も気づいていない無意識の行動。頬はほんのりと紅潮し、瞳は爛漫と煌めく。自然と背伸びをするかのように身体は前のめり。
この子の笑顔を奪おうとした拓真のことは許せない。
だけど、拓真があるから今の俺がある。何度も助けられてしまったし、至る所で拓真の恩恵を受けている。
そして、だからこそ紬祈の手を引ける。笑わせることができるのだろう。
まぁ、それでも拓真のことは大嫌い。それが変わることはないけれど。
(なぁ、どうして俺の魂はこの身体に転生したんだ? この現状を、おまえはどう思ってるんだ?)
そんなことを一瞬問いかけてみても、答えなどあるはずもなく。
俺はただ、隣の少女を見つめていた。
やがて花火大会が終わる。
紬祈は最後まで笑顔で、拍手を繰り返していた。
花火が終わればあたりは静寂。暗闇が降りる。
「……ごめんなさい。兄さん」
「え……」
突然なにを……?
「……兄さんの周りには、やっぱりたくさんの女性がいるのですよね。南瀬先輩に小波先輩、真宵さん、甘露さん。きっと、他にもたくさん。たくさん」
「いや、そんなことは……」
「ありますよね?」
ニコッと微笑む紬祈。それは穏やかで、大人のそれに見えた。
「……まぁ、そうかも」
ぜんぶ俺じゃなく、ヤリチン拓真の功績だけども。
「私、嫉妬していたんです。兄さんは私のなのにって。まるで幼い子どもみたいに。自分の気持ちが抑えられなくて、こんなこと、初めてで……だから……」
紬祈は申し訳なさそうに、ポツポツと語る。
「いいんじゃないか、べつに」
これ以上言わせるわけにはいかないと、俺は言葉を探す。
「前も言ったけど、妹の嫉妬とか可愛いだけだし。紬祈はいつも大人すぎるからな。俺の前でくらい、子どもでいてくれたら……なんというか、兄としては、嬉しい、と思う」
最後の方が辿々しくなってしまったが、ありのままを伝えたつもりだった。
紬祈がこんなことを考えるようになったきっかけはやはり、あのファミレスの一件だろうか。
たしかに最近の紬祈は、俺の知っているゲーム上の紬祈とは違う。
年相応に怒り、笑い、甘えてくれる可愛らしい女の子だ。
それが辛い境遇から解き放たれた彼女の本来の姿であるはずで、本当は拓真と家族になったその日からそうなるべきだったのだ。
「……兄さん」
紬祈はきゅっと俺の手を握る。
「いいんでしょうか」
「いいんだよ」
小さな手を握り返す。
「私、けっこうめんどうくさい妹ですよ?」
「いいよ。兄としてはむしろ大歓迎」
「そう、ですか……」
微笑んで見せると、紬祈はようやく頷いてくれた。
それから紬祈は何か考え込むように、俯いていた。数分後、再び口を開く。
「ねぇ、兄さん」
「……なんだ?」
「兄さんは、妹が1番ですよね」
「……っ」
「妹を愛していますよね」
「……家族としてだよな?」
「…………もちろん、そうですよ」
一瞬の間を挟んで、紬祈は答える。
さすが、妹様はいきなりぶっ込んでくる。そう促したのは、俺なのだが。
「私は、愛していますよ。兄さん」
「それも、家族としてな?」
「さぁ……それはどうでしょう?」
クスッと紬祈は小悪魔的な笑みを浮かべた。これは絶対、揶揄われている。
「愛してるの、キスをしてください」
「え」
「約束。ご褒美キスです。今なら、誰もいません。キスをするべきシチュエーションではないですか?」
「それは、まぁ……」
南瀬さんからすればまた雷が落ちるだろうが、青春的には正解だろう。
いや、俺たちは家族だけど。
「さぁ、兄さん」
紬祈は俺を甘く誘うように囁く。
「紬祈を愛してください。ずっと、ずっと、私を愛して、隣に置いてください。あなたを愛する、あなたの愛する……どんな女性よりも、近くに……それが妹、月城紬祈の特権ですから」
「………………」
覚悟はとっくに決めている。
この世界にきて、彼女の家族でいると決めたそのときから。俺の根っこにある優先順位が揺らぐことはない。
「紬祈……」
紬祈にご褒美のキスをした。ほっぺに。4回。仕方ないので、最後はおでこに。1回。
「愛してるよ。家族として」
その線引きだけは、しっかりと。
「はい。それがよいと思います。私はこれからもずっと、妹ですから」
この兄妹関係は筒がなく、良好である。
☆
帰り際、スマホの通知が鳴った。
内容を見て、俺はすぐさま返事をする。
それからふと思い当たって紬祈に問いかけた。
「紬祈は進路って決めてるのか?」
「進路ですか?」
「そう、進路」
妹の将来は兄にとっても重要事項である。ともすれば自分以上に。
「ちなみに、俺が言うことでもないけど金の心配はいらないぞ。祭り代に諭吉を出せる親父の稼ぎを舐めちゃいけない」
少し考え込んだふうだった紬祈に先手を打つ。
紬祈が経済状況を気にするようなことがあれば、逆にあの2人は悲しんでしまう。
「では」
紬祈はささやかな勇気を振り絞るように告白する。
「大学へ、行きたいです。大学でしっかりお勉強して、よい会社へ就職して、お母さんとお義父さんに恩返ししたいです」
「そっか」
テストでさらりと学年1位を取ってしまえるような優秀な妹であれば、きっと叶えられることだろう。
「あと……できれば、なのですが……」
紬祈は控えめに、上目遣いを寄せる。
「兄さんと同じ大学だったら、嬉しいですね……♪」
ああ、なるほど。はいはい。そうきますか。
「さすがにそれは……」
いや、皆まで言うのはやめておこう。
大学……受験、か。
俺はただ、兄として、最愛の妹に恥じない生き方をしたかった。
「帰るか」
「はい」
共に歩きだす。が、紬祈の足取りはやけに拙くて、今にも転んでしまいそうだった。
「どうした?」
「あ、えっと、その、ですね……」
紬祈は言いにくそうに俯いてしまう。その視線は自らの足元へと寄せられていた。
「あっ……」
慣れない草履を履いて歩き回った脚は、赤く腫れ上がっていた。
「ごめん、気づかなくて」
「いえ……」
俺はすかさず、紬祈の前に背中を向けてしゃがみ込む。
「ほれ。乗れ」
「いいんですか?」
「当たり前だろ。これ以上は一歩だって歩かせない。治療は帰ってからな」
「ありがとうございます、兄さん」
そう言って、紬祈は俺の背中に身体を預けた。よっと力を入れて立ち上がる。この身体にとって、紬祈1人の体重など羽根のように軽く感じた。家までおぶって帰ってもたいした疲れさえ感じないだろう。
「ふふっ。兄さんの背中、おっきい」
最初は遠慮がちだった紬祈だが、すっかり気分を良くしたらしくご機嫌なようすで背中を撫でてくる。
紬祈の手の滑らかな感触が心地よい。
「……っ」
その直後、背中を極上の柔らかさが襲う。
紬祈がギュッと抱きつき、身体を密着させたのだ。
しっとり汗ばんだ身体から、不思議とトロけるような甘い香りが漂ってきた。
自然と身体が強張ってしまう。
「兄さん兄さんっ」
しかしそんな俺の気持ちなのお構いなしに、紬祈は完全に無邪気な甘えたさんモードだ。
「私は優しい兄さんがだいすきです♪」
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、耳元で囁かれるとダメージが非常に大きかった。
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