第39話 夏祭り1
「は……?」
紬祈と共に家へ帰ってまもなく、知らないおばさんがドシドシと押し入ってきた。
「ほうら紬祈ちゃん! こっちこっち!」
声のでかいおばさんは何やら大荷物を持ちながら紬祈の手を取り、奥の部屋へと連れ去ってしまう。
一瞬何事かと思ったが、後から
どうやら紬祈は顔見知りのようなのでホッと息を吐いて自室へ戻る。
「ちょっとお兄ちゃーん!? こっち来てみなさいなー!」
それから数十分後——例によっておばさんの大声でリビングへと呼び出された。
そこには、浴衣姿の美少女がいた。
「兄さんっ」
こちらに気づいて美少女が振り向く。俺の顔を見るなり笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「つ、紬祈!? どうしたんだその格好!?」
「兄さん、もしかしてまだ気づいていないのですか?」
浴衣を着た紬祈はきょとんと首を傾げる。
「今日は夏祭りですよ?」
「あっ…………」
ようやく思い当たって、少々間抜けな声が漏れた。そういえばゲームの最終盤にそんなイベントがあった気がする……いや、あまり良いモノでもなかったので思い出すのはよそう。
「そ、そうだったな。完全に忘れてたよ」
「もう、兄さんったら」
紬祈はくすりと上品に笑う。
長い亜麻色の髪は編み込みのふんわりアップスタイルになっていた。髪飾りが華やかだ。
いつもに増して女性らしいやわらかな雰囲気が実に紬祈らしく、美しさを引き立てている。
普段と異なるその姿に、胸が高鳴った。
「それくらいテストに集中していたということですよね」
紬祈は背伸びして俺の頭へ手を伸ばす。
「よしよし。兄さん、えらいです。よく頑張りましたね」
「お、おう……」
妹に頭を撫でられるというのは、なんとも居た堪れない気分だ。南瀬もそうだが、なぜ俺の頭を撫でたがるのか。
しかしその声音はその南瀬をいくらかトレースしているかのようで、大人っぽい魅力を感じてしまった。チカラが抜けてしまう。
「えへへ、やっと撫でられました」
あと、単純に妹様が嬉しそうなのでヨシとする。
「それでは兄さん、参りましょうっ」
ご満悦な紬祈は続いて張り切ったようすで俺の手を取った。
「今夜は紬祈が、兄さんの時間をいただきますから♪」
紬祈と並んで日暮れの夏へと繰り出す。
今日は年に一度の夏祭り。夜には花火大会も行われる予定だ。
「ふふ、兄さん格好いいです」
あの後、ニコニコしながら俺たちの会話を聞いていたおばさんからなんと俺の分の浴衣までいただいた。せっかくなので着替えさせてもらい、今に至る。
これで綺麗におめかしした紬祈の隣を歩いても恥ずかしくないだろう。
「紬祈もその浴衣、すごく似合ってるよ」
「そうですか? 嬉しいです」
さっきは言いそびれてしまったが、上手く流れの中で褒めることができた。
「でも兄さんの方がもっと似合っていますよ」
「え? いやいや、紬祈の方が似合ってるよ」
「いえいえいえ、兄さんの方が似合っています」
「いやいやいやいや紬祈の方が、って、何この会話」
「わかりません。私は本心を口にしているだけなので」
紬祈は実に楽しそうに、終始笑っていた。
「すごい人ですね、兄さん」
街の商店街は歩行者天国になっていて、屋台が立ち並んでいた。
子供から学生から大人まで道路が埋め尽くされるほど多くの人がやって来ていて、なかなかに盛況なようだ。人の波に気圧されるように、紬祈はこちらへ身体を寄せた。
「紬祈、手」
「え、あ、はいっ」
手のひらを差し出すと紬祈はその手をためらいなくぎゅっと掴んでくれた。
「これではぐれないな」
「はい、兄さん」
大事な妹を見失わないよう視界に収めつつ、小さな手を握りめて先導する。
人波に上手く乗るとかなり歩きやすくなった。
「せっかくだし何か食べるか」
花火大会まではまだ時間がある。それまでは露店を楽しむターンだ。
祭り特有の香ばしい匂いが空腹を誘っていた。
「何か食べたい物あるか?」
「そうですね……」
思案する紬祈の視線はわたあめ、クレープ、ベビーカステラ、かき氷、チョコバナナ……と甘味を中心に惹き寄せられていく。
「あ、アレがいいですっ。りんご飴!」
最終的に紬祈の心を射止めたのは飴菓子の屋台だった。
「りんご飴か」
「実は食べたことないんです」
「そういえば俺もないな」
あれってどう食べればいいか分からないんだよな。たとえ買っても持て余しそうな予感しかしない。
しかし、可愛い妹が食べたいと言うなら反対意見のあろうはずもない。
「じゃあ俺が買ってくるよ」
そう言って財布を取り出す。
ここは兄の財力(拓真が稼いだバイト代)の見せどころだ。
「ありがとうございます、兄さん。でも大丈夫です。お小遣いはちゃんともらっていますから」
「え?」
「ほら」
紬祈が小物入れから取り出したポーチには、1枚の諭吉様が神々しく輝いていた。
「また、お義父さんにいただいてしまいました」
「な、なるほど……」
若干申し訳なさそうな紬祈のようすを見て、源三とのやりとりが目に浮かんだ。
ちょっと娘に甘すぎませんかね!?
相変わらず俺にはお小遣いないのに!
まぁ、いいけど。
紬祈のような可愛い娘ができたら無限に貢ぎたくなる気持ちはよくわかる。
「買えました」
「お、おう」
というわけで、見た目上は妹に金を払わせるダメ兄貴が誕生した。なんだか情け無い気持ちになる。
「兄さんの分もこのお金で支払いますからね。なんでも言ってください」
「いや、それは紬祈のお小遣いだろ。俺は自分で払うよ」
自分でも少々意固地になっているのがわかる。
そのお小遣いはあくまで、紬祈の幸せを願う源三のお金だ。
俺のようなロクデナシ息子は甲斐甲斐しく父から世話されなくてもどうとでもなる。
「でも……」
しかし紬祈に悲しそうな顔をされると弱い。
「……わかった。じゃあ、ちょっとだけ貸してくれ。すぐ返すから」
「え……? もちろん良いですけど……返す?」
クエスチョンマークを浮かべる紬祈を連れて、とある屋台へと向かった。
「よっしゃ、完璧っ」
「うお、兄ちゃん上手ェな!」
「経験値が違いますんで」
ここはカタヌキのお店だ。
様々なデザインが彫られた板状の菓子を針でくり抜く遊戯だ。型を割らずデザイン通りくり抜くことができれば賞金が貰える。
前世は子供の頃、金がなかったから一攫千金を狙ってよく入り浸ったものだ。
紬祈から受け取ったわずかな金を元手に、菓子へ向き合う。
「すごいすごいっ。兄さんすごいです!」
俺の手捌きを見て紬祈が拍手しながらはしゃぐ。
最初の数枚を秒で失敗したきり完全に観客へと回った紬祈だが、楽しそうで安心した。りんご飴を舐めながら、時折パリパリと音を立てて俺のカタヌキの破片を食べている。
ちなみにりんご飴は最初に少しだけ舐めさせてもらったが、やはりこれどうやって処理するんだ感が強かった。
紬祈が一生懸命舐めているが、一向に減らない。まぁ、非常にご満悦ではあるようだが。
「兄さんは器用なのですね」
「器用?」
俺って器用だったっけ? あまり考えたことがなかった。
たしかにカタヌキは昔何度もやっただけあってプラス収支にできるくらいではあったが。
考えてみれば、今日はそれにしたって調子がいい。失敗する気がしない。
思った通りに指が動くのだ。
となれば、これはきっと俺の経験値に拓真が持っていた天性の器用さが上乗せされた結果なのだろう。
「そうだな。兄さんは器用なんだ。もう少し待ってくれよ。すぐ終わらせる」
ニヤリと笑ってみせると俺は続いて数枚のカタヌキを連続で成功させた。
これだけ稼げれば充分だろう。
大人がカタヌキでこんなことをしていたらみっともないかもしれないが、今は経済力のない学生ということで許してほしい。
紬祈が騒ぎ立ててくれたおかげで街の子供たちも集まってきて次々と挑戦しているし、お店的にも損にはならないだろう。
繁盛しているカタヌキ屋からこっそりと抜け出した。
「次は兄さんが食べたいものを買いましょう。兄さんはお祭り屋台で何が好きですか?」
「ん、俺はそうだな……腹も減ったしやっぱりガッツリした物が……」
甘い匂いに釣られた紬祈とは対極に、ソースの香ばしさに惹きつけられる、
「たこ焼き? 焼きそば? それともお好み焼きでしょうか」
「うーむ、よし、ぜんぶ食べよう」
「え、ぜんぶですか?」
「ああ、せっかくの祭りだしな。楽しまないと」
柄にもなく俺は浮かれていた。
テストを乗り切った達成感。夏休みを迎えた開放感。大切な家族と訪れる夏祭り。
それらはすべて俺の興奮を煽るスパイスで、前世ではあまり経験したことのない感覚だった。
これを人は’青春’みたいに言うのかもしれない。
「紬祈も一緒に食べてくれるか?」
「兄さん……」
紬祈はニコリと破顔する。
「もちろん。どこまでもついていきます……♪」
「じゃあ行こう。まずは焼きそばだ!」
夏休みの始まりを祝うように、兄妹水入らずでとことん祭り屋台を楽しんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます