第32話 妹と後輩とラーメン
「それで、どこへ行くんでしょうか?」
俺の左腕をグッとホールドした紬祈が尋ねる。すると右を陣取る
「んふ〜、どこだと思う?」
「それは……仮にもデートと言うのなら映画館や遊園地でしょうか。プラネタリウムなんて言うのも素敵かもしれません。あ、でももうすぐ日も暮れますし公園で2人きり、夜空の星を眺めるというのも……♪」
徐々に空想に染まってうっとりと語る紬祈。定番ながらどれも純粋でロマンチックさのある彼女らしいデートだ。
しかしそんなようすを見つめる心愛はチッチッチと指を振る。
「正解はぁ〜、らーめんでした〜♡」
「またかよ」
「また……? 兄さん……???」
笑顔の圧力。そして腕が痛い。
どうやら墓穴を掘ったようだ。
「この前は美味しかったなぁ。濃厚ドロドロな先輩の〜♡」
「兄さんの濃厚ドロドロ……?」
「ラーメンの話だよな!? 絶対わざとだよな!?」
メキメキと俺の腕が捩れていく。
紬祈の瞳はやっぱりハイライトを失っていて怖かった。
「……
「俺たちはただの先輩後輩——」
「兄さんは黙っていてください♪」
しゅん。
問答無用で黙らされてしまう。
ここは心愛が言葉を選んでくれることを祈るしかないのだが……
「(にこっ♡)」
視線を向けると、心愛は満面の笑みを浮かべた。
「どのような関係か〜、そうだな〜」
うーんと唸りながら可愛らしく指を顎にあてる。その時点で嫌な予感しかしないが、やがてアッとさも今思いついたかのように声を上げて答えた。
「紬祈先輩にはまだ分からない、大人の関係かな♡」
「っ、…………(グリンッ)」
「イテテテテテテテ!? つ、紬祈さん!?」
義妹様の細腕が拓真の逞しい腕をいとも簡単にねじっていく。
紬祈のどこにこんなチカラが!?
「お、おい心愛!? いい加減にしろって!?」
「え〜、でも本当のことだよ?」
心愛は耳元に小さく囁く。
「私たち、紬祈先輩には言えないようなエロゲ趣味同士の大人な関係だもん♡」
「たしかにそれは間違っちゃいないが〜!!」
エロゲが好きだなんて紬祈には決して言えない。
が、さっきの言い方ではエロゲ趣味以上にイケナイ関係を匂わせているようにしか聞こえないんだよ……!!
「ぷっ、あはは。先輩ったら変な顔〜」
痛みに悶える俺を見て笑う。
「ごめんごめん紬祈先輩。さっきのは冗談」
「冗談、ですか……? ホントウニ……?」
「本当本当。私と先輩はただのお友だちだよ」
「そう、なんですか……」
根が純粋な紬祈は心愛の言葉を信じて、語気を弱めていく。
「うん。最近は、ね♡」
「……兄さん?(グキッ)」
左腕はお亡くなりになりました。
「さぁ、ここだよ〜」
両腕でバチバチ会話が繰り広げられながらも歩いていくと、ようやくラーメン屋の前まで辿り着いた。
そこは先週末に心愛と来たラーメン屋と同じ。ドロドロ濃厚豚骨の店だった。
「んふ〜、そろそろ食べたくなってた頃でしょ?」
「…………まぁ、たしかに」
濃厚なラーメンは一度食べるとしばらくはもういいかなって思うこともある。しかしその数日後にはまた食べたいという衝動に駆られるのだ。それはもう麻薬かのように。
店頭のニオイを嗅いだ俺の舌はすでにもう豚骨モードになっていた。
「うっ、すごいニオイですね……」
紬祈が顔を顰める。
この濃厚豚骨臭は初心者には辛いだろう。
「大丈夫か? ムリそうなら店を変えても……」
「いえ、大丈夫です。問題ありません」
しかし紬祈は毅然と首をふる。
「兄さんは、ラーメンが好きなのですよね?」
「あ、ああ。そうだな」
それは以前、改めての自己紹介代わりに質疑応答をした際に答えたことだった。
そこで紬祈は外でラーメンを食べたことがないことが判明している。
「ずっと一緒に食べたいと思っていたのです。兄さんの好きなものを、私も好きになりたいですから……♪」
ギュッと手を握って笑いかけてくれた。
妹として兄の好みに理解を示そうとする健気な姿に胸が温かくなる。やっぱりウチの妹は最高に可愛らしい。
「2人きりなら、もっと良かったのですが」
「うわ、ひっど〜い。このお店先輩に教えたのも私なのにな〜」
右手側からぶーぶーと文句が飛ぶ。
「一緒にらーめん食べたら、もうみんな仲良しだよ〜♡」
そう言って心愛は手を伸ばすが、紬祈はそれをすげなく避けた。
ビッチと清楚は当たり前のように相性が悪いらしい。
(それにしたって紬祈が他人に対してこんなに冷たいのも珍しい気がするけれど……)
そんなことを思いつつ、入店した。
「いっただきま〜す♡ ずぞぞぞぞぞ……!」
着丼したラーメンを心愛は豪快に啜る。
相変わらず惚れ惚れするような啜りっぷりだ。
「こ、これが濃厚豚骨ラーメン……」
隣の紬祈は対照的に、ラーメンを前に凍りついていた。
「もし食べきれなかったら、俺が代わりに食べるからな」
「は、はい……!」
紬祈は意を決したようにレンゲを手に取る。
スープからいくようだ。
ドロッとしてもはや粘土のような半固形スープをすくう。
最初はやはり少し、気が進まなそうな表情だったが……。
「すんすん。香りは……濃厚だけど、思ったよりイヤじゃないですね……」
まるで香りに誘われるかのようにレンゲを口へ運んだ。
「…………っ! …………おい、しい……?」
ひとりでに呟くと、次は箸を持った。
濃厚スープの中から麺を掴み取る。
「…………(ごくり)」
紬祈は麺をレンゲの上へ乗せると、ふぅふぅとしっかり冷ましてからゆっくりと口へ運んだ。啜らずに食べるその姿は上品さここに極まれりといった具合で、神聖にさえ映る。
「兄さん」
一口目を飲み込むと、紬祈は俺の袖を引く。
「……これは美味しいです。すごく美味しいです」
「お、おお……」
食べられなくても仕方ないと思っていたところにこの言葉は、ラーメン好きとして嬉しいことこの上ない。
「こんなものを今まで私に隠していたんですか……? 私をのけ者にして、甘露さんとばかり……?」
「い、いや、違うって。そもそも心愛と来たのは一回だけだし……」
いずれは紬祈とも……と思っていた。
この店はたぶん選ばなかったけれど。
「まぁ、いいです。このラーメンに免じて許します」
優しく微笑むと、紬祈は再びラーメンを食べ始めた。
そのようすは見るからに慣れていなくて辿々しいものだったが、額に汗を浮かべながら一口一口丁寧に食べる紬祈はとても楽しそうだった。
「おじさん。にんにくちょうだい〜」
「あいよっ!」
「わ〜いっ」
反対隣では嬉々としてニンニククラッシャーを使ってニンニクを丼へ落とし込む心愛の姿がある。
「んふ〜、にんにくんま〜♡」
これはこれで、ラーメン好きとして好ましい光景である。美少女としてはどうかと思うが。
「あれはさすがに真似できませんね……」
紬祈は戦々恐々としながら心愛を見つめる。
「……兄さんが入れるなら、私も入れますよ?」
「え?」
「ふたりともお口が臭くなれば……キス……できますから……♡」
いや、唇同士でする予定はないんだが……。
ナチュラルに誘ってくる妹様だった。
「どうだった? 紬祈先輩?」
店を出ると心愛は紬祈の手を取って詰め寄る。
「それは……その……美味しかった、です」
「そっか〜、よかった〜♡」
パァッと微笑む。
紬祈はしっかりと麺を完食して、スープもほとんど飲んでしまった。これで美味しくなかったとは口が裂けても言えないだろう。
「じゃあまた一緒に食べようね」
「え……?」
「私たちもう、ラーメン好きの仲良しだもんねっ」
手を握り、ゼロ距離で告げられるその言葉には一切の濁りがない。
心愛はいつ何時も、自由で奔放で、本心のままに動いているように見えた。
「じゃね、先輩。紬祈先輩も。また明日♡」
大きく手を振って、心愛は去っていった。
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