第31話 両手に花

「うん、正解ね」


 南瀬が俺の回答を見て満足そうに呟く。


「じゃあ今日はここまでだな」


「……そうね」


 俺はノートや教科書をバッグに仕舞って、帰り支度を始める。


 しかし南瀬は動かず、少々含みのある感じでこちらを見ていた。


「どうかしたか?」

「あっ、いえ……その……っ」


 何か言いたいことがあり気に口をモゴモゴさせている。やがてしどろもどろに口を開く。


「あ、明日はもう土曜日ねっ」

「……? そうだな——ああ……」


 ようやく得心がいって頷く。


「もう来週はテストだからな。休みであろうとひとりでしっかり勉強するつもりだ。心配してくれてありがとう」


「べ、べつに心配してないわよ!? でも……そ、そう……ひとりでするのね。ひとりで……」


 南瀬の危惧を払拭するつもりで言ったのだが、返って落ち込んでしまったように声が尻すぼみになってしまう。


「……よく分からないけど、早く帰らないと下校のチャイム鳴るぞ?」


「え、ええ……そうね」


 しょんぼりしたようすで、南瀬はようやく帰り支度を始めた。


(なんだろう……?)


 疑問に思いつつも、相変わらず彼女の考えは分からない。気の利いた言葉は思いつかなかった。


「じゃ、帰ろう」


 図書室を後にしようと歩き出す。


「……ま、待って」


 すると背後から袖を掴まれる。


「あ、あの……明日、なんだけれど」

「お、おう……?」

「勉強、見てあげてもいいわよ」

「え? いいのか?」


 予想外の提案に驚く。

 ひとりでするよりも南瀬に教えもらった方がずっと効率がいいから俺にとって法外な提案だ。


「でも、南瀬だって自分の勉強した方が良くないか?」


 ここまでずっと俺に付ききりだ。


「い、いいの! 私がしたいって言ってるんだから言う通りにしなさい!」


 南瀬は物凄い剣幕で言う。

 思わず頷いてしまった。


「ふん、そもそも私は受験生なのよ? 期末テストでアタフタするような勉強はしてないわっ。明日も一緒に頑張りましょうねっ」


「お、おう……そっか。ありがとう。助かるよ」


「ふ、ふんっだ!」


 ぷりぷりと顔をそむける南瀬。

 受験生の時間を奪うのはやはり申し訳ない思いだ。こうなった以上南瀬の好意に甘えるしかないが、あまり迷惑はかけないように心がけよう。


「それなら明日はどうする? 学校は開いてないから……ウチに来るか?」


「バっ、い、行くわけないでしょう!? あなたの家なんて! エッチ! ヘンタイ!」


「ええ……」


 しかし拓真のヤリチンっぷりを考えればこの反応も当然か。俺の配慮が足りなかった。


「ならファミレスとか?」

「っ、そうね。そこらへんが妥当ね。詳しいことはまた夜に話しましょ」


 もう時間がないわと言っていそいそと歩き出す南瀬に付いて図書室を出る。


「あっ、先輩やっと出てきた〜」


 廊下には見慣れた後輩の顔が。小悪魔チックな微笑に、ショートの銀髪が揺れる。


「心愛? なんでここに?」

「先輩待ってたんだ〜。んふ〜、私はお勉強の邪魔しないからね〜」


 どうやら何か用事があって待っていてくれたようだ。

  

 心愛はぴょんと跳ねるようにこちらへ近づいて俺の右腕へ抱きつくと、


「じゃあ行こ行こ〜。放課後ミニデートだよ〜♡」


 そう言って駆け出した。


「なっ、おい!?」

「いいからいいから〜。勉強頑張った先輩へのご褒美タイム♡」


 混じり気なしの笑顔で楽しそうに片手を振り上げる心愛。

 散々待たせた挙句このご褒美とやらを断るのは申し訳ない気持ちが湧く。


 しかし図書室の扉の前には南瀬がひとり置いてけぼりになっていた。


「す、すまん南瀬! そう言うことだから、また明日! あとでメッセージするから!」


 どんどん小さくなっていく彼女に向かって叫んだ。

 



 ☆




「んふ〜、ここからは私の時間だよ、先輩♡」


 心愛の媚びた声が遠くで聞こえる。


「……なによ」


 璃音はひとりぼっち。

 明日の予定を取り付けることができた高揚も一瞬で消えてしまった。


「勉強が終わったら、私は用済みなの?」


 そのように行動し、理由がなければ彼を連れ出すことさえできないのが自分自身なのだと理解しながらも、握り込む拳は震えていた。




 ☆




「先輩、勉強順調?」

「まぁ、それなりかな。南瀬が根気よく教えてくれるから」

「ふーん、そうなんだ〜。私はさすがに先輩に教えられないし、南瀬先輩がいてよかったね」

「南瀬がいなかったらほんと、何をどうしていいやらだよ」


 雑談をしながら歩き、靴を履き替え校舎を出る。


 校門へやってくると端に佇む影が見えた。毎日を一緒に歩んでいる、今の俺にとってはもう忘れられない少女の顔。


「あっ、兄さん————」


 紬祈つむぎが亜麻色の髪を揺らして微笑む。が、一瞬で表情が失せて、瞳のハイライトが消える。


「どうしてその人と一緒にいるんですか?」


「つ、紬祈……!? もう帰ったんじゃなかったのか……!?」


「今日は晩ご飯の準備が早く終わったので、兄さんを迎えに来たんです。どうしてその人と一緒にいるんですか?」


 抑揚なく繰り返す紬祈。

 いつもお淑やかで可愛らしい妹が、なぜか怖く感じる。


「私と先輩は、これからミニデートに行くんだよ〜?」


 心愛が俺に抱きついたまま、代わりに返答する。


「デート…………?」

「うん。紬祈先輩もいっしょに行く?」


 いやいや、そういう空気か?

 心愛の物怖じしない提案に、内心肝が冷える。


「行きます」


 紬祈は空いている俺の左側で腕を組んだ。

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