第29話 ぬいぐるみ
「で、ここをこうして……」
大きな長机の真向かいに座る南瀬が教科書の文章を指で示しながら説明してくれる。
「ねぇ、聞いてる?」
「……き、聞いてるよ」
「じゃあこの問題、やってみなさい」
「りょ、了解」
しかし俺は先ほどからまったく勉強に集中できていない。
「やっぱり全然理解できてないじゃない」
「うっ、すまん」
南瀬は改めて説明を始める。今度は俺が理解できていない所を押さえた説明で、よりわかりやすいはず……なのだが、頭に入ってこない。
(それもこれも……)
俺は図書室の長机の下へと視線を向ける。
「(おい真宵、何してる)」
小声で問いかける。
そう、机の下。もっと言えば俺の股の間には、いつのまにやら
ガタガタという音の正体は彼女がどこからか机の下に潜り込み、俺の元まで移動する音だったのだ。
「(うへへぇ、私のことはお気になさらずぅ……)」
言いながらも俺の太ももを撫で回し、脚に頬擦りしてくる。
「(いや、めっちゃ気になるわっ)」
なんか触り方がいやらしいんだよ……。
「(久しぶりに拓真さんがこんなに近くにぃ……うへへ。うぇへへぇ……♡)」
机下の薄暗闇で引き攣ったような邪悪な笑みを浮かべているし。
人の性根はそうそう変わらないということで。
容姿はかなり見映えがよくなり美少女と言って差し障りないものの、相変わらずな陰キャムーブだった。
「……あなた、また聞いてないでしょう」
おっと。南瀬の方にも集中しないと。
真宵の方はとりあえず無視しておくしかないか。
「すまん、もう一回説明頼めるか?」
「……わかった。今度はちゃんと聞いてよね」
南瀬はもう3度目にも関わらず、辛抱強く優しく教えてくれる。
いつ怒りが爆発するか分からないし、今回こそはしっかり理解しなければ。
「(うへ、拓真さんのニオイぃ……もっと、濃いニオイが欲しいですぅ……)」
真宵の手が股の間、その中心へと迫る。
「(っ、おまっ、何してやがる!?)」
「(ちょっとだけ、ちょっとだけですからぁ……はぁぁぁぁ♡)」
綺麗な瞳が朦朧として、恍惚に染まる。
完全に発情してやがる……!!
「(やめろ、それ以上は……!!)」
ズボンのチャックを下ろそうとしてくる手をなんとか払い除けようとする。
そして——
「ちょっと! さっきから下ばかり向いて何やってるのよ!」
ついに響き渡る、図書室には似つかわしくない南瀬の怒鳴り声。
「ひえぇぇぇえええ!?」
それに最もビビり散らかしたのは俺でなく、机の下の真宵だった。
驚きのあまり頭をぶつけたらしく、ガンッと、鈍い音が聞こえる。
「いったぁぁぁぁ、痛いですぅ……拓真さぁん……!!」
そのまま涙ながらに飛び出てくる。
「なっ、あなた……たしか、真宵さん? 図書委員の……」
「あっ、あっ、あっ……」
南瀬に見つかってもはや二の句が告げなくなってしまう真宵。
「あなた、机の下なんかで何をして——」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 私みたいな下賤な民が風紀委員長様と拓真さんの逢瀬を邪魔してごめんなさい! 2人の間に密かに割り込んでる優越感覚えててごめんなさぁぁぁぁぁああああい!!」
真宵はお手本のような土下座を披露すると地べたを這いずりながら即座に撤退し、図書室から逃げた。
「なんだったの……?」
「ま、まぁ、あるんだよ。色々と」
真宵みたいな人種が風紀委員長からロックオンされたらそれはもう命の危機と言って差し支えない。
見事な戦略的撤退。あれは陰キャがこの学校という社会で生きていくための術である。
「ふん。よく分からないけれど……机の下で何をしていたのかは、あなたが説明してくれるということよね?」
「ちょ、ちょっとトイレに——」
「逃がさないわよ?」
肩を掴まれる。
俺は逃げられそうなかった。
およそ1時間後。
「少し早いけど今日はここまでね」
「あ、ありがとう……ございました……」
心なしかいつもより厳しかった勉強会を終える。
真宵撤退後、俺もまた土下座した。
それに加えて何でもするから許してくださいムーブまでかました。本当なら陰キャがこんなことをしたら骨の髄までしゃぶり尽くされるからおすすめしないが、南瀬ならきっと弁えた対応をとってくれるはずだ。
その結果、
「じゃあこの後、ちょっと付き合いなさい」
とのことだった。
南瀬はせっせと荷物をまとめて、帰り支度を済ませる。
「どこに行くんだ?」
「……あなたも知ってる場所」
「知ってる場所……?」
それは拓真が、ということだろうか。
記憶を探りつつ、図書室を出る南瀬の後を追った。
そしてやって来た場所、それは……
「ゲーセン?」
ヤンチャな学生たちのたまり場。
街のゲームセンターだった。
当然、拓真にとっても馴染みが深い。
「南瀬が……?」
しかし南瀬がゲーセンというのはあまりにイメージと離れている。
たしかに一度だけ拓真に連れられていた記憶はあるのだが、その時はいつもに増して機嫌が悪そうだったような……。
「なによ。私が来たら悪いの?」
「あ、いや、そんなことはないけど。もしかして、よく来るのか?」
「いいえ。これで2回目。あなたと来たのが最初で最後よ」
「そ、そうなのか……」
頷きつつ、心の中で首を捻る。
つまりは、どういうことだ?
たいして好きでもない。むしろ嫌ってそうなこの場所にどうして俺を連れて来たのだろう。
「ね、ねぇ、あれ、やりなさいよ」
「あれ?」
「クレーンゲームだったかしら? あの、ぬいぐるみとるやつ……」
南瀬はチラチラとクレーンゲームのコーナーを見ながら言う。
「ぬいぐるみ、取ればいいのか?」
クレーンゲームの方へ移動する。
「べ、べつに? 嫌ならいいのよ」
「どれがいい?」
「あなたの好きなのでいいわよ」
そう言いながらも視線はクマのぬいぐるみへ向いているのがわかった。
(あれを取ればいいんだな……)
俺は硬貨を機体へ投入した。
「あっ……」
クマの方へアームが向かうと、南瀬は少し驚いたように声を漏らす。
狙いは間違っていないようだ。
しかし、アームはクマを捕らえたもののすぐに落としてしまう。
「ふ、ふん。情けないわね。一回で取れないなんて」
南瀬はぷりぷりとして腕を組む。
そういえば以前来たときは、拓真が一度でぬいぐるみを取ってくれたのだ。
それを今も覚えているのだろう。
「すまん、最近やってなかったから。ブランクがあるんだ」
「あら、そうなの?」
「でも、絶対取るから。見ててくれよ」
本当はクレーンゲームなんてあまりやったことはない。陰キャゲーマーはゲーセンに縁がないのだ。
幸い、拓真の記憶でコツはある程度わかるが。
俺は続けて硬貨を投入していく。
しかし、取れない。
「あぁ……っ」
南瀬は興味なさそうにしながらも、視線はしっかりクレーンゲームに釘付けだ。
「も、もう少し……!」
漏れ出る声にもだんだんと熱が入ってくる。
「今度こそ、頑張って!」
10回も繰り返す頃には、俺と一緒になって夢中になってくれていた。
それからも挑戦は続き、20回を迎えようかという頃。
「あっ、そのまま! そのまま!」
「落ちないでくれよ……」
クマのぬいぐるみを掴んでゆっくりと戻ってくるアーム。
時間がゆっくりに感じる。
焦ったい沈黙。
そして、迎える歓喜。
「やった! やったわ拓真! すごいすごい!」
「お、おお……やったな!」
思わず俺もテンションが上がって、南瀬とハイタッチを交わす。
「って、あれ? 今、俺のこと拓真って————?」
そういえば彼女から名前で呼ばれた記憶はあまりなかった。
あったとしてもそれは怒っているときのフルネーム呼びだ。
「…………っ!? な、なんでもない! 忘れて!」
南瀬は赤くなって、ぷいと顔を背けてしまう。
ちょっと無粋だったか。そう思いながらもぬいぐるみを取り出す。
「ほれ、どうぞ」
「え、い、いいの? 私に? あ、べ、べつにいらないんだけど!?」
一瞬素直に出て来たかと思った手が途端に遠のいていく。
しかしその目はやはりクマに吸い寄せられていた。
「いや貰ってくれよ。南瀬のために取ったんだから」
「わ、私のため……!?」
「ああ。南瀬にはいつも世話になってるし、今日はその……気分を害したと思うし。お礼とお詫びだ」
その気持ちがあったから、慣れないクレーンゲームにもめげずに挑戦できた。
途中からは南瀬も一緒に悔しがったり、喜んだりしてくれて楽しかった。
「そ、そう……」
南瀬の視線と両手が彷徨う。
俺はその手へぬいぐるみを触れさせた。
すると、そっと掴み取ってくれる。
「仕方ないわね」
優しげに浮かべる微笑み。
「そういうことなら、貰ってあげる」
南瀬はぬいぐるみを受け取ると、胸の中でギュッと抱きしめた。
「か、勘違いしないでよね! べつに欲しかったわけじゃないから! あなたがどうしてもっていうから仕方なくよ! この子はうちの子としてずっと大切にするわ! 毎日一緒に寝るんだから! 勘違いしないでよねありがとう!」
お、おう……やっぱり最後はいつも通りだった。
しかし南瀬はぬいぐるみをしっかりと抱えて離さない。
「昔とって貰ったあの子と同じように、大切にするわ……♪」
機嫌を治してくれたようなら、それだけで十分だ。
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ラブコメ月間1位いただきました。感謝です。
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