第28話 好きなんだからね

「はい、兄さん。あーん」


 昼休みはいつものように中庭のベンチで紬祈と一緒にお弁当をいただく。

 外は暑いが、中庭は木陰が多いので案外快適だ。


 同じエリアにはラブラブのカップルがいた。


「やっぱりあの2人は仲がいいね」

「ちょっと羨ましくなっちゃうわ」

「そうかい? 僕らの仲だって負けてないよ。はい、あーんっ♡」

「もう、はるくんったら。あーん♡」


 最初の頃に比べれば俺たち兄妹を見る目も随分と変わったものだ。


「ごちそうさま。今日も美味かったよ」


 お弁当を食べ終わって、手を合わせる。


「お粗末さまです。兄さん、ちゅ」


 紬祈は流れるように頬へキスをした。

 

「ちょ、紬祈、学校ではさすがに……」

「ふふっ、いいんです♪ 兄妹のじゃれあいですから♪」


 お構いなしで抱きついてくる。


 いやいや、これじゃあ周りのカップルと変わらないぞ……?


「キ、キス……!? 今、キスしたの……!?」

「ぼ、僕たちだって学校ではしたことないのに……」

「し、してみる……? キス……」

「……っ! そ、そうだね。僕らこそこの中庭で1番のカップルであることを証明しよう」

「ええ♪ 兄妹のお遊びキッスになんて負けないわ♪」


 そうして、ラブラブカップルさんは人目も憚らずに唇同士でディープキスを始める。


 紬祈のソフトなキスはまだ微笑ましい光景でなんとか済ませられるレベルのものだが、彼らのものはもう見ていられないイチャイチャっぷりである。


「つ、紬祈? ちょっと場所を変えようか」


 そう言って立ちあがろうとするが、紬祈は動かない。


 カップルのキスをマジマジと見つめて、釘づけになっていた。


「唇……エッチなキス……私も……」


 頬を上気させて物欲しそうに呟く紬祈。


「に、兄さんっ、兄さん♡ 私たちも……♡」


 すがるように俺の胸へしなだれかかる。


 ゆっくりと唇へ迫ってくる小さな口からは熱い吐息が漏れていた。


「お、おい紬祈……!?」


 頬は受け入れた。だが、唇は……。


「兄さん……♡」


 俺の声は届かない。


「…………っ!?」


 その時、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。


 俺はその音に便乗するかのように紬祈の肩を取って優しく引き剥がす。


「紬祈。もう時間だ。教室へ戻らないと」

「時間……」


 しゅんと消沈する紬祈。


「わかりました。テスト前ですし、授業はちゃんと受けないと」


 物分かりの良い子で助かった。


 中庭を出て、校舎の階段で紬祈と別れる。


 ちなみに、ラブラブカップルに予鈴は聞こえなかったらしくそのままイチャイチャしていた。


「はぁ……」


 ひとりになってようやく安堵。


 懐いてくれるのは嬉しいけれど、これ以上は兄妹の垣根を超えてしまいそうだ。


 深夜のことも察するに、紬祈は改めてそういうことに興味が出てきているのだろう。


 やっぱり、新しく彼氏ができた方がいいのだろうか? いやでもそれは……兄としては少し、複雑だ……。



 ☆



 放課後は図書室で南瀬と勉強だ。


「じゃあ今日は数学をやりましょうか」


「うげ……」


「嫌そうな顔しない。まぁ苦手な人の気持ちはわかるけどね」


 勉強時の眼鏡スタイル南瀬さんは基本的に冷静だ。俺がちゃんとしていれば声を荒げることもなく、教え方も丁寧で優しい。勉強ができない俺にもちゃんも寄り添って言葉を選んでくれる。


 が、それでも数学は嫌である。忌避していると言ってもいい。文系の数学嫌いを舐めるな。数字を見るだけで恨めしい。


 中学の知識すら遥か彼方でまっさらになっている俺に今更数学とか無理なんだって……。


「南瀬は将来、何になりたいとかあるのか?」


 ちょっと話を逸らしてみる。


 いや、最終的には勉強するけどね? ちょっとだけだ。


「な、なによいきなり。私の将来が気になるの?」

「そりゃそうだろ。他でもない南瀬のことだからな」


 成績優秀な風紀委員長様だ。

 3年生の中でもトップクラスに将来有望な生徒と言っていい。


「ふ、ふーん? ち、ちなみに、あなたから見て私にはどんな仕事が合うと思うの?」


 南瀬は若干浮ついたような調子で会話にノってくれる。


「そうだな……南瀬なら……」


 俺が知っている南瀬は、風紀委員長として拓真のような不良生徒とも真正面から対峙する勇気と誠実さがあり、ボランティアで地域に貢献して慕われる、優しくて強い女の子だ。


 きっとどんな場所でも活躍できる、優秀な人材だろう。


 ああ、でも、今の俺にとって最も印象的なことと言えば、


「やっぱり先生、かな」

「先生?」

「南瀬の教え方はすごくわかりやすいからな。それに俺みたいな生徒の面倒もちゃんと見てくれる」


 前世の俺は友達がいない上に成績も悪いという拓真とは別の意味で問題視だった、

 だけど誰の目にも止まらず、教師からもずっと放置された。


 自分が悪いのはわかっているが、それでもやっぱり、寂しくて悲しかったのだ。


 だからこそ、南瀬みたいなちゃんと向き合って、歩み寄ってくれる人がいたら嬉しかっただろうなと思う。


「へぇ、先生。先生、ね」


 南瀬はその言葉を脳内で転がすように繰り返しながら、わずかに頬を染めてニヤける。


「ま、まぁ? たしかに、出来の悪いあなたのお世話をするのは好きよ?」


 そして、意外な返答がきた。


「好きなんだからね……!」

「お、おう……」


 ペンを突きつけて念押しされる。


「で、無駄な抵抗はこれで終わりかしら?」

「え」

「数学、やるわよ」

「はい…………」


 俺の目論見はしっかりバレていた。


「まずは公式を覚えること。暗記は苦手じゃないんだから、頑張って」


 それでも南瀬は優しく笑んで、励ましてくれる。


「ちゃーんと、先生が見ててあげるから」


 やはり彼女はとても面倒見がいいのだろう。


 雑談を終えて勉強を始める。


 静かな図書室内で時折鈍く響いたガタガタという音には気づいていたが、俺は数学という強敵に集中したのだった。

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