第20話 完堕ちの少女
放課後の勉強会を始めてから数日が経った。
南瀬の教え方は非常に分かりやすく、それでいて今回のテストに必要な知識だけを厳選して教えてくれているので、少しずつ成果も出てきているように感じる。
「それじゃあ、明日は休みってことでよろしく」
「ええ。ちゃんと家で勉強するのよ?」
「了解」
校門が閉まる間際、軽く挨拶を交わして別れる。
紬祈がいないので1人きりの帰り道。
(やっぱり、いるよな……)
背後にはたぶん、ストーカーがいる。
図書室からずっとだ。
その人物の正体についても俺はおそらくわかっているのだが……自分から関わるつもりはない。
彼女はきっと、見極めているのではないかと思うからだ。
今の月城拓真が自分にとって害となるか、そうでないのか。
接触してくるようすはないし、気が済むまで自由にしておこう。
「あれ……?」
そんなことを思っていたのも束の間、背後の気配が消えた。
振り向いてみるが、やはり姿がない。
「まぁ、いいか」
諦めてくれたのならそれでいい。
もう月城拓真という悪魔とは関わらず、平和な日常が過ごせる。それはこの身体に転生してしまった俺が保証しよう。
紬祈が例外というだけで、辱められた人間が俺に寄ってくることなどあるわけがないのだ。
夏とはいえ、あたりも暗くなってきた。家路を急ごう。
しばらく歩いていると、
「うおっ!?」
真横の細い路地からニュッと細い手が伸びてきて、腕を引っ張られる。
心霊現象にしか見えなくて心臓が跳ねた。
しかしそれも一瞬——
「あ、あれぇ!? う、動かな——いですぅぅぅぅ!?!?!?」
人通りのない道に、間の抜けた声が響く。
俺が体幹を使ってその場に持ち堪えたせいで、俺を引っ張ろうとした何かの方が逆にバランスを崩したのだ。
図らずも胸に飛び込んできた何かを抱き止める。
「……大丈夫か?」
両腕にすっぽりと収まった黒い物体——長い漆黒の髪の少女に声をかける。
「は、はひぃ……大丈夫です。あ、ありがとうございますぅ……」
クラクラしているが、怪我はなさそうだ。
身体を離して、1人で立たせる。
彼女は2年の
長すぎる黒髪で瞳を隠した、影の薄い少女。いわゆる陰キャ女子で、読書が趣味の図書委員。引っ込み思案で口数少なく、声も小さい。
いつもひとりぼっちで、ひっそりと本を読んでいるような女の子だ。
しかし、巨乳。
ムチムチの太もも。
顔もよく見ればけっこう可愛い。
磨けば光るであろう原石だ。
そのせいで、めざとい拓真に目をつけられてしまった哀れな子。
気の弱い彼女は拓真の手練手管で簡単に騙され、流され、脅され、メス奴隷にされた。
紬祈にターゲットが移るまで、学校内では最も恥辱の限りを受けていたと言えるだろう。
「何のつもりだ?」
まさか先回りして襲いくるとは……。
いや、これも道理か?
拓真にされたことを思えば、その怨みは計り知れない。そんな男が大人しくなったとなれば一矢報いたいと思って当然だ。
彼女にそんな度胸があるとは、まったく考えていなかったが。
「な、なんのつもりって、それはこっちのセリフですぅ…………」
「こっちのセリフ?」
「だ、だってぇ、拓真さん、最近全然私に構ってくれないじゃないですかぁ。私、ずっと待ってるのにぃ……っ」
「は?」
構ってくれない? 待ってる?
どういうことだ……?
彼女は拓真を忌避しているのではないのか……?
「ま、毎日送れって言ってたエッチな自撮りにもぜんぜん反応してくれませんしぃ……!!」
「エ、エッチな自撮り!?」
「わた、わたし、毎日毎日、拓真さんのことを思って恥ずかしいけど頑張ってたのにぃ……」
そんなことを言ってポロポロと涙を流し始めてしまう。
そのようすはとてもじゃないが、拓真を嫌っているように見えなかった。
むしろ、好いているようにさえ見える。
てかエロ自撮り……スマホ壊してなければ見れたのか——ってそんなこと今はどうでもいい!
「な、なぁ、ひとつ聞いてみてもいいか?」
「なんですかぁ……?」
「おまえにとって月城拓真はどういう存在だ?」
「そ、それはもちろん、私のご主人様ですぅ……♪」
真宵は途端に笑みを深くして、トーンをあげて流暢に答える。
「拓真さんはひとりぼっちだった私のことを見つけてくれました。こんな私の身体をたくさん使ってくれました。人から求められるのがこんなに嬉しいことなんだって教えてくれました。抱きしめられるとこんなに温かいんだって教えてくれました。拓真さんは、私の空っぽな心を、満たしてくれたんですぅ……」
頬を染めて恍惚とする真宵。
それはまるで、恋する乙女のような表情だ。
「で、でも最初はむりやりだっただろう? 拓真のことを恨んでないのか?」
「最初はたしかに悲しかったですけど……でも、逆らったりしなければ拓真さんは優しいですし……上手くできたらたくさん褒めてくれますしぃ……♪」
「拓真にとって、おまえは数いる女のうちの1人でしかないぞ?」
「それでもいいんです……私には拓真さんしかいないのでぇ……♡」
「…………っ」
これが、調教の成果。
真宵は完全に拓真に染められてしまっていた。
しかしそれがどんなに歪んでいようと、彼女のコンプレックスを解消したのはたしかで。
元が陰キャな俺には痛いほど分かる。
人に理解されたい、求められたいという気持ちは……。
俺だってこの世界に来て、紬祈に救われているのだから。
「だ、だからぁ……また、抱いてくださいぃ♡ めちゃくちゃにしてくださいぃ♡ 」
真宵は発情したようすで吐息を熱くし、言い寄ってくる。
抱いてあげることで、きっと彼女は救われるのだろう。
「…………お断りだ」
俺は真宵の肩を掴んで、引き剥がした。
「え……?」
表情が青ざめていく。
色欲に染まっていた一瞬前から一転して、不安や失望が押し寄せているのがわかる。
「ど、どうしてですか? わ、わたし、わたしなら何でもしていいですよぉ? 何しても嫌がりません。拓真さんを満足させます。だ、だから捨てないでくださいぃ…………」
再び涙を流して、その場に崩れ落ちた。
ただ拒絶するだけでは、彼女は壊れてしまう。依存先を失った彼女が次にどんな行動を起こすのか、あまり想像したくはない。
(だから、俺がするべきこと……俺にできることは……)
その依存を、利用する。
俺はへたり込む真宵に向かって、しどろもどろになりながらも叫ぶ。
「お、俺は、イケメンだ! おまえと違って!」
「へ…………?」
脈絡のなさすぎる言葉に驚いたのか、真宵は黒髪の間から見える瞳をまんまるに見開いてこちらを見上げる。
水晶のように透き通った、きれいな瞳だ。
「だから、地味で根暗で、ク、クソ陰キャなおまえのことはもう抱かねぇ!! 絶対にな!!」
「そ、そんな……ひどいです……ぅ……」
彼女と俺はきっと波長が合うと思う。拓真が拓真であった頃よりも、ずっと。
だけどこのままではダメだ。
彼女にとって俺、拓真は、弱い自分を正当化するための依存先でしかない。快楽に逃げているにすぎない。
膝をついて、真宵と視線を合わせる。
「俺に抱いてほしければもっと綺麗になれ。可愛くなれ。社交的になれ」
「…………っ!?」
「胸がでかいだけのブスは、俺の奴隷にいらないからな」
拓真に身体を求められたことで、真宵はその承認欲求を満たした。そして依存した。
しかしそれは拓真である必要があったかと問われれば疑問が残る。
そもそも拓真からすれば、真宵など数ある女のうち1人であり、使い捨て。本当の意味で彼女という存在を求めてはいないだろう。
始まりから間違っているのだ。
(それなら、だ)
彼女自身が人一倍可愛くなって、誰からも認められ、目に止まるようになれば。
そうして、心から彼女を好きになる人が現れれば。彼女の心を射止めれば。
自然と拓真への依存的な感情は消えてゆくはずだ。
今俺が軽率に真宵を受け入れるのは悪手でしかない。
「わかったな?」
「………………」
頭を撫でると、真宵はこくりと小さく頷いた。
「わたし、可愛くなりますぅ……拓真さんにちゃんと、一生、求めてもらえるように……」
真宵は決意を固めたらしく、小さな拳をぐっと握り込む。
拓真、拓真と……いつかその意識が変わっていくと嬉しいのだが……。
その純粋な瞳には、燃え上がるように眩しい煌めきが宿ってしまったように見えた。
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