第18話 ここだけ彼氏

 週末の早朝——俺は音を立てないよう静かに起き上がる。

 紬祈は穏やかな寝息を立てていた。


 リビングではすでに瑞祈さんが起きていた。


「いってらっしゃい拓真くん」

「いってきます、瑞祈さん」


 今日は初めてのボランティアの日。


 俺はメッセージの内容を確認しつつ、目的の場所へと向かった。



「来たわね」


 近場の海岸沿いへやって来ると、南瀬みなせが潮風に髪を靡かせながら仁王立ちしていた。さすが風紀委員長というべき貫禄である。 


「ほんとに来るなんてね」

「まだ言うか。メッセージもちゃんとすぐ返しただろ?」

「そ、それは嬉しかったけど! まだ信用できないわ! 返信ありがとう!」

「お、おう……」


 なぜかめちゃくちゃキレながらお礼を叫ばれた、

 朝からよくそんな声量出せるなぁ。


「じゃあ行くわよ」

「あ、ちょっと待った」

「なに?」


 さっさと歩き出そうとした南瀬を引き止める。


「おはよう南瀬。今日はよろしく」

「っ、〜〜……お、おはにょう……」

「え?」

「な、何でもない! 似合わないことしてないで、さっさと行くわよ!」


 真っ赤になった南瀬の後について行く。


「メッセージでも説明したけれど、今日のボランティアは海岸清掃よ。海開き前に地域の人で集まって、ゴミ拾いをしようってわけ」


 仏頂面ながら、改めて今日の活動の趣旨を説明してくれる。

 

「本格的なシーズンに入れば観光客もたくさん来るから。その人たちに綺麗な海だなって思ってもらえるように頑張りましょう?」


「そうだな。いい思い出にしてほしいしな」

「ええ、そうね」


 南瀬は少しだけ微笑んだ。

 人のために見返りを求めることなく奉仕することができるその精神には素直に好感が持てる。

 

「あなたはその……今年、海で遊ぶ予定とかあるの?」

「海? そうだなぁ、今のところはべつにないかな」

「そう……そうなんだ。まぁそうよね。今年は受験だものね。そんなことをしている暇はないわ」

「うっ……」


 嫌な単語が聞こえた。


「その様子じゃ受験勉強はしていないようね。そんなことだろうと思っていたけれど」

「ま、まぁな。まだ進学するかどうかも決めてないし」


 2度目の人生も、この選択には迷うところだ。と言っても、今の学力じゃ選択の余地もたいしてないのだが。


「進路についてはまだ悩めても、テスト勉強はそろそろしないといけないわよ」

「ぐっ……」


 夏休み前には期末テストがある。


「赤点は夏休み返上で補習だから」

「……そ、それは勘弁していただきたい」


 しかしこのままでは、補習コース一直線だ。


 拓真は去年までどうしていたのだろう。記憶を探ってみる。


(うげぇ……)


 女教師を籠絡して点数を改竄していた。

 だから拓真の成績は平均程度には良いことになっているらしい。源三にもそれで通している。


 こりゃ下手な点数を獲ったらマズイことになりそうだ。家族に心配はかけたくない。


「…………ましょうか?」

「え……?」


 声が小さくて聞き取れない。


「だから、私が勉強見てあげましょうか!?」


 だからってそんな怒気爆発させんでも。


 相当に嫌なのだろう。それでも提案してくれるなんてやっぱり南瀬はいい奴だ。

 

「いや、大丈夫だよ。自分でなんとかする」


 さすがに勉強の世話まで頼めない。気持ちだけ受けとっておこう。


「そう………………」


 数歩先を歩いていた南瀬は足を止める。それからこちらに振り返ると、言いにくそうにオドオドしたようすで俺の服の袖を握ってきた。


「あ、あの……べ、べつに迷惑じゃないのよ? 人に教えるのってけっこう自分の復習にもなるし、理解が深まるわ。それにウチのクラスから補習者なんて出したくないし、むしろそうなった方が私的には迷惑っていうか……」


「み、南瀬?」

「だ、だから、その……放課後は図書室に来なさい。勉強教えてあげる」

「いいのか?」

「これは私のためなんだから。遠慮なんかしたら承知しないから……」


 俺の反応を窺うようにしおらしく上目遣いを寄せてくる南瀬。


「わ、わかった。そこまで言うなら、頼んでもいいか?」

「い、いいわよ。べつに」

「ありがとう。正直めちゃくちゃ助かる」

「〜〜っ、ふんっ、べつにあなたのためじゃないって言ってるでしょう!? 泣き言いったらすぐ見捨てるから! いいわね!?」


 そう言った南瀬の声は心なしかいつもより弾んでいて、嬉しそうに見えた。


 海岸では、本部にテントが設置されていた。まずはそこで説明を受けて、ゴミ袋やトングをもらうらしい。


「おはよう璃音りおんちゃん」

「おはようございます、柳さん。今日はよろしくお願いします」

「はい、よろしくねぇ」


 すれ違う人たちのほとんどが南瀬に挨拶をしていく。どうやら皆、ボランティアの顔見知りのようだ。


「うっす璃音ちゃん! なんでい今日は男連れか〜?」

「まさかカレシか!? くぅ〜、あの堅物璃音ちゃんにも遂に春が来たか〜!」


 自然と連れ立っている俺にも注目がいってしまう。


「ち、違いますよ!? 彼はただボランティアに参加したいと言うから連れてきただけで、かかか彼氏なんかじゃ……」


「彼、だってよ」

「ひゅ〜、あの璃音ちゃんがね〜」


「だから違うんですってば!」


 どうやらおじさんたちにとって若くて可愛い南瀬は格好の的のようだ。イキイキとからかっている。

 

「彼氏くん名前は?」

「月城拓真です。あ、いや彼氏じゃないですけど」


 一応、俺も南瀬に加勢する。


「またまたそんなこと言って〜。最近の子は本当に謙虚だね」


 おそらく、もはや何を言おうと信じてもらえないが。


 ここでの俺のキャラは南瀬の彼氏で確定しそうだ。本当に申し訳ない。


「男の影のカケラもなかった璃音ちゃんが男を連れてくるというだけでそれはもう、なぁ?」

「デキてるよなぁ」


 ニヤニヤ。


「デキてません!!」


 清掃が始まるまで、俺たちはイジられ続けたのだった。


『えー、それでは皆さん、短い時間ですが今日はよろしくお願いしまーす』


 メガホンを構えた女性の声が合図となり、ボランティアが開始される。

 参加者たちはいくつかのグループに分かれて、バラバラに散っていった。


(さて、俺はどうするか……)

 

 高校の生徒もそれなりにいるようだが、知り合いと呼べるような人は見当たらない。


 べつに1人で黙々と作業しても構わないのだが……他の参加者を見る限りそこまで堅苦しいものでもないだろう。


 何よりボッチは精神的に辛い。前世から慣れていても、辛くないボッチなどいないのだ。


「南瀬?」


 唯一の顔見知りに声をかけようとするが、その彼女は俺を無視してスタスタと歩き始めた。


「おーい?」

「こっち来ないで」

「なんで?」

「ま、また恋人だと思われるでしょう」

「でも、別々で作業してたらそれはそれで変な勘繰りされないか? からかいすぎて雰囲気悪くしたかなぁとか」


 基本的には気の良い人たちのようだし。ただ単純に南瀬のことを可愛がっているだけなのだ。それは俺なんかよりも彼女自身がわかっているように見えた。


「今だけ恋人ってことで」

「い、嫌よ」

「そこをなんとか」

「嫌ったら嫌」


 南瀬はぐんぐん波打ち際の方まで歩いていきながらゴミを拾っていく。

 しかしやがて立ち止まったので、その隙に距離を縮めた。それ以上逃げられることはなかった。いや、なぜかむしろ近づいてくる。


「な、なに?」

「べつに。恋人はもっと近い方がいいと思っただけ」

「そ、そうですか……」


 あからさまに離れた場所じゃなければいいと思うんだけどなぁ……。


「そんなことよりあなたもちゃんと作業しなさい。ぜんぜん拾えてないじゃない」


 南瀬を追うことに夢中になりすぎていたようだ。


「すまん。これから頑張るよ」

「そうして」


 本格的にゴミ拾いを開始する。

 それなりの観光地なだけあって、ゴミは多かった。海辺まできたことで、危険そうな漂着物もたくさんある。


 南瀬は作業に集中しているようで、会話もなかった。横目に盗んだ彼女の姿は真剣そのもの。本当に真面目な少女だ。

 ふだんは口煩いが、黙っていればその美しさも際立つ。ちょっと見惚れてしまった。


「……なに?」

「何でもないよ。それより、あんまりそっち行きすぎるなよ? 波来るぞ?」

「わかってる」

 

 そう言ったのも束の間、一際強い波が押し寄せた。


 このままでは靴が浸水してしまう。


「おっと……!」

「きゃっ……!?」


 俺は咄嗟に南瀬を抱き上げた。


「な、何してるのよ!? 触らないでエッチ!」

「不可抗力だ」

「だ、たからってこんな、抱き上げなくても……」

「そんなことより、濡れなかったか?」


 ギリギリ間に合ったように見えたが……


「え、ええ……私は大丈夫」

「それはよかった」

「ごめんなさい。あなたは濡れてしまったわよね」

「べつにいいよ。冷たくて気持ちいいくらいだ」


 朝とはいえ、夏の気温は上がり続けている。


「降ろすぞ?」

「え? ちょ、ちょっと待って!」


 嫌がっているし早く降ろしてあげようと声を掛けると、南瀬はとたんに慌てだす。


「も、もうちょっとこのまま……」

「いやでも……」

「いいから! このままがいいの!」

「お、おう……」


 作業を中断して、そのまま早朝の海を眺める。穏やかな海は心を鎮めていくようだった。


「海辺で彼氏にお姫様抱っこされちゃうなんて……なんだか映画のワンシーンみたいだわ」


 南瀬はしみじみと耽ける。


「……そうか?」


 そもそも彼氏と認めてないはずなのに。


 ふいに南瀬と視線が重なる。


「〜〜〜〜っ、ちゃ、ちょっと、こっち見ないで! ち、近いし!」


 ワタワタと両手を振り乱して暴れる。その顔は最高潮に真っ赤だ。


 俺は落とさないようにガッチリとその身体を抱えながらも、大人しく従って顔を逸らす。


 すると南瀬はきゅ〜っと縮こまって、小さく呟いた。

 

「……そんなにカッコいい顔で見つめるんじゃないわよ……バカっ」


 独り言のつもりかもしれないけど、めっちゃ聞こえてるんですが……。

 とか言ったらまたキレられるのは明白なので黙っていた。


 しかし拓真のことが嫌いな風紀委員長にさえそう言ってもらえるのだから、顔だけは本当に素晴らしい。

 

「お? お〜? みんな〜、あそこでいちゃついてるカップルがいるぞ〜!」

「サボりだ〜! 璃音ちゃんがサボりだぞ〜! ラブラブだぞ〜! いやらしい〜!」


 その後たっぷりからかわれた。

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